furukawaさんのブログ

新しいカフェ♪

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

中目、代官山のカフェは、コロナ禍ですっかり顔ぶれが入れかわりました。

そんななか、お散歩をしていたら生モンブランの写真をかかげているカフェが! 食べた〜い♡

そのうち来てみようと思っていたところ、お友だちとお茶する機会があったのでお出かけしてみました。

すると、生モンブランのビジュアルが苺スウィーツに変わっているではありませんか!

いやな予感がしたら、案の定、メニューにもモンブランはなく ・・・ どうやら季節でスウィーツが入れかわる模様。二人ともアタマはすっかり「生モンブラン」でだったのですが・・・

しかたなしなし(泣)苺ショートをたのんでみたら、

これが予想外のヒット♡

スポンジがうっすらでフレッシュな香りのいい苺とほどよくコクのあるクリームを味わっているような感じで、今まで食べた苺ショートのなかでいちばんでした。

禍転じて福となす(!?)ふたりとも大満足なお茶タイムとなりました♪ @神乃珈琲 代官山さん

こちらのお店、パンケーキもとってもおいしそうでした♡ 次回は是非!

帰り道、満開の桜に出会いました。

桃の花のような鮮やかなピンク色。紅山桜でしょうか?しばし見とれてしまいました。

その先の角には、白い沈丁花がいい香りをただよわせていました。

わあ、春♡ 嬉しくなります ( ・◡・ )♫

 

 

 

お花♡

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お花があるだけで、お部屋の空気が変わります。

お花は、
「私を見て、見て」ともいわないし、
「私ってきれい?」ともきかないけれど、

ほほえんで見つめてしまう存在。

それは、ただ与えるだけのものの引力ですね。

マンダリンオレンジ、サーモンピンク、カナリアイエロー・・・
私の好きな色のブーケをありがとうございます♡

 

 

 

きょうから弥生♪

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暦がすっかりわからなくなっていたこのごろですが、

冬眠中に目覚ましがなったクマのように、いただいたお菓子を見てハッといたしました。

まだ先だと思っていたけど、お雛さま !?もう春だわ! と。

ミニお雛さまを出すにはちょっとおそいので、練りきりのお雛さまを愛でさせていただきます。(^-^)

かわいいです♡ ありがとうございます♡

冬のあいだは暖かなオレンジ色のアイシャドーを愛用していましたが、春のひざしにあわせて軽やかなミント色にでもしようかな〜・・・ と春気分がもりあがってきました♪

が ・・・ そのまえに、巣穴から出るためにはダイエットも必須かも〜?! (^^;;

 

 

気づきの日記「目に見えることの向こうがわ」

 

相手の表情、相手のとる動作や行動、相手の発する言葉  ・・・
これらから私たちは相手のことを理解できたと思っているし、状況も判断できると思っています。

なぜなら、こどものときから実験や観察という視覚に頼る情報集めを教えられてきたので、目にできるものこそは真実を教えているのだ、と信じてきたからです。

こどものケンカの常套句も、「だったら証拠を見せてみろ!」と目に見えるものを要求します。(覚えあります?!)いつも、見えるものが真実の証となってきたのです。

でも ・・・ そもそも、ひとりひとりの目に映っているものって、共通でもなければ普遍的なものでもありません。各々にとってまったく違うのです。

同じ道をしばらく一緒に歩いて、この道に何があったのかを尋ねてみてください。

ある人は散歩中の犬に気づくかもしれないし、またある人はお店にディスプレイされたお洋服が目にとまるかもしれません。お洋服に気をとられた人にとって、犬は存在していないも同然なのです。

そんなふうに、私たちは真実を見ている、というよりは、自分にとって好ましいもの、興味をひくもの、都合のいいものしか見ていません。

そうなると、人の表情にも、行動にも、自分のおなじみのものしか見えてこないわけです。

もし、自分にとってのおなじみが不愉快な感情であれば、きっと世の中は不愉快な人ばかりとなることでしょう。

自分の都合だけで「目にしているもの」の向こうがわに、ほんとうの意味が隠されています。

それが見つけられないと、ずっと欺かれたままとなります。

どんなふうに欺かれるかというと ・・・ 華やかな包装紙に包まれたおっきなモノは、華やかだから、大きいから、きっとステキなものに違いないと思って持ち帰ると ・・・ じつは中身はカラッポ、いえ、悪くすればゲジゲジやムカデや気持ち悪いものでいっぱいかもしれません。

外観と中身(そのものの意味)はまるで一致しないので、外観だけで判断するとこんな間違いをくりかえします(いいモノを選んだつもりが、なぜかいっつも最悪だ・・・という)。

でも、先入観という邪魔ものがいなくなり、外観にだまされなくなると、自分とそれがひとつになることができるため、それがおのずと中身を明かしてくれるようになるのです。

先入観さえなくなれば、外観という目に見えているものをとおりこすことができ、核心に達することができます。

そうすると、人のこころの深いところを理解できるようになり、何が起きているのかを知ることができます。

どなりちらしたり暴力をふるう人を、私たちは横暴で強い人だと感じてしまいがちですが、

目に見えていることを手放して、先入観をもたずにひとつになってみると、その人がいかに怯えて、こころに闇を抱えているのかを感じとれるかもしれません。コワいからこそ、先に攻撃していたと気づくかもしれません。

一見、冷静で静かな人も、ひとつになって感じてみると、こころの深いところに怒りや憎しみが横たわっていることに気づくかもしれません。

目に見えるものにすぐに反応するのではなく、先入観をもたずにひとつになって感じることをしていると、ほんとうのことが見えるようになってきます。

そして、さまざまなことを深く理解できるようになり、はじめて自分のこころも正しく理解できるようになります。

自分のこころ? そんなのとっくに理解している、って?!

いえいえ、じつはいちばんわかっていないのは自分自身のこころです。

私たちは自分自身を癒すために(癒しはここに存在している全員にとって必須です)、ひとつひとつ自分のなかに置きざりにされた悲しみや怒りや怖れや絶望に気づき、それを意識して受けとめたら、ハイヤーセフルに手渡して取り去ってもらう必要があるのです。

人のこころのなかにあるものに気づき受けとめはじめると、自分のこころが明かされるようになり癒しが加速します。

なぜなら、私たちはひとつのこころだから。癒しはつねに同時に進行してゆくのです。

すぐさま目にしたものにおなじみの判断を下すのではなく、こころをカラッポにして、目にしているカタチの向こうがわまで見られるようにいたしましょう。

 

 

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お茶の間シネマトーク「泣きたい私は猫を被る」

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このところ、お友だちオススメ作品の鑑賞にいそしんでいます。

アニメだったり、韓流ドラマだったり・・・ いつもの自分とはチョイスの視点がちがい、どれも新鮮でわくわくどきどきな作品ばかり。

そのなかからの一本。

ひょんなことからネコになるすべを覚えてしまった女の子。

ネコに姿をかえて向かう先は、大好きな男の子の家。

学校でその男の子と面とむかうと、ついつい言葉ばかりが先走り、自分らしくない自分を演じることに ・・・ そして、相手も自分も傷つけてしまうのです。

ネコはよけいなことは口にせず(できず)、ただ静かによりそうのみ。彼もふいに姿をあらわすそんなネコを特別に可愛がっているのです。

言葉って、気持ちを伝達するためにあるはずなのに、はたしてどこまでちゃんと本当の気持ちを伝えられていることか? ・・・

もしかすると、ほんとうの自分がこころもとなくて、そんな自分を防御せずにはいられずことばを使ってしまっているのかもしれません。

便宜上必要なことと、ほんとうの本心のみを口にすると決めたとしたら、きっと言葉はもっともっと少なくなるだろうし、ことばがないからこそスッとつながりあってしまう体験ができるのかもしれません。

このネコちゃん、なんとも可愛いらしいこと♡ 真っ白でふわふわで、すいこまれそうな碧眼です。

そして舞台になっている街の風景も、どこか懐かしくって癒されます♡ (→予告をみる

PS これを観たあと、ネコちゃんが街をウロウロしているとつい気になってしまいます。

あっちでお腹出して寝転んでいるネコの正体は、じつは人間のオジサン? とか、あのシュッとした黒ネコはイケメン男子の仮の姿?!とか(笑)自分も知らないうちにネコになっていりして・・・存在しているだけでOKな体験ができる?!

 

 

 

気づきの日記「ココロの乾燥注意報」

 

空気が乾燥する季節ですね〜。ちょっとでもお手いれをサボろうものなら、お肌は一気にカサカサパサパサです。

乾燥するのはお肌だけではありませんよ〜。

ココロだってお手入れを怠ると気がつけばパサパサになります。だから、お肌と同様に気にかけてあげなければならないのです。

お肌のお手入れは時間をかけたり高い美容液をつけたりとけっこうな投資をするものの、ココロのお手入れに関してはほぼ無頓着。「ココロに時間やお金をかける?そんな必要なくない?」ぐらいに思っていたりします。

けれど米国などでは、ココロに時間やお金をかけるのはそんなに珍しいことではないのです。みなさん、ふつうにセラピーにかようし、先日 YOSHIKIさんもアメリカでは定期的にセラピーを受けているとお話されていました。

お肌がきれいになると気分があがるように、幸せのみなもとであるココロをスッキリさせれば幸せ度は自然とアップするのです。

ココロが荒れてくるとどうなるのでしょう?

もちろん幸せ感を感じられません。顕著な反応としては、「かわいそうな私」「どうせ○○な私」「つまらない私」という自己否定の考えにひたりがちになります。

「かわいそうな私」の変化級としては、「あいつのせいだ」という被害者意識があります。なにを見ても、自分を傷つける敵に思えるのです。

ココロが荒れてしまうと、何ごとに対しても正しく認識できなくなるからです。すると、何を見ようと、何を聞こうと、何を体験しようと、自分は劣っているとか、攻撃にさらされている、ととらえてしまうのです。

ほんとうは苦しさの原因はその状況などではなく、ココロが荒れてヒリヒリしているから苦しいのに ・・・。

自分の痛んだココロにあるつらい考えこそが、自分に刃をむけてしまうのですね。

いつなんどきでも、どんな状況でも、自分を傷つけることができるのは自分の考えだけです。

まっさらである状況、ものごとに対して、自分が下している考え自体が優しくないのです。

コワガリさんを見ていると、きまってものの見方がかなりコワイです(汗)。おそらく想像力が旺盛なのですが、方向性が悲惨な方に向かってしまっているのが原因です。

「私はダメだ」「私にはできない」「私は嫌われている」などなど・・・ つらく、悲しく、厳しい考え方こそが、自分の価値をおとしめるし、自分を地獄に突き落とすことができるのです。

自分自身、気分がよくないと感じるときには、いったいそのものごとや状況に対して自分はどんな考えをしているのかを調べてみましょう。

そして、その考えが100%ほんとうのことなのか、真実なのか、正直に調べてみましょう。

立ち止まって検証するクセをつけてみると、自分の考えって正しくなどないことに気がつきます。

じつはその考えで、「かわいそうな私」に執着して、さらにもりあげて、「ダメな私劇場」を演じることを楽しんでいたことに気づくかもしれません。

お肌のお手入れとちがってココロのお手入れで大切なことは、なにかをつけ足してあげることではありません。どっかから借りてきた自信も自己愛もいらないのです。

ひたすら邪魔なものをとり去るだけです。

つらく厳しい考えさえとり去れば、その下には光り輝く愛と安らぎと豊かさのみなもとが現れてきます。

そこには「自信がある」とか「ない」とかの行ったりきたりもないし、「愛ある自分って」という疑問もありません。

ただ存在の安らぎと平和と充足があるだけです。

それをおおっているものをひたすらとり去ってあげることこそがココロのお手入れです。

そのために、イヤな気分を生みだした自分の考えに対して、正面から向きあってしっかりと監査を入れてみましょう。

何度もくりかえしていると、かわいそうな自分を演じようとしている自分に素早く気づき、その手が通用しなくなってきます。

その手を使わなければ、ただ本来の自分の価値のすべてが自然と戻ってくるのです。

 

 

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おみやのスィーツ♪

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お友だちがもってきてくれたレザネフォールさんのスウィーツ♡

モンブランは何回か食べているので、ナポレオンパイにしてみました。

フレッシュないちごとラム酒の香りのカスタードがおいし〜い♪

そういえば、パティシエさんのスウィーツってかなり久々のような・・・。今年お初かもしれません。

スウィーツを口にしていないわけではなく、最近は簡単に買えてかなり美味しい(とパティシエさんさえも絶賛する)コンビニスウィーツのお世話になっていたのです。

とはいっても、やっぱり海外で修行をしたパティシエさんの本気はまったく別物で、バターやリキュールの香りが豊かで、フルーツと生クリームとパイのバランスも完璧!

 

この幸せ気分は、やっぱりその道のプロのワザ♡  

おかわりぃ〜〜〜٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

 

 

気づきの日記「いい人になって、自爆しない」

 

早いもので、新しい年が明けて一ヶ月がすぎようとしています。

さてさて・・・新年の決意は覚えていますか?

クライエントのA子さんは年末、こんな決意をしました。「私はどうも人にイヤミを言ったりあげ足をとったりして攻撃してしまうクセがあるんです。それは相手も自分も幸せにしないので、是非新しい年はそれをやめようと決めました・・・」と。

「一ヶ月たって、どんな調子ですか?」とA子さんにお尋ねしてみると、

「いい人になりたいと思って、人を咎める気持ち、裁く気持ち、見下す気持ちをおさえる努力をしていたのですが、なんだか調子わが悪いです」と。

どんなふうに調子がよくないのかというと、「急に体調が悪くなってしまいなかなか回復しないし、へんな言いがかりをつけられて面倒な問題がふりかかってくるし ・・・ なんかツライことがふえたようなのです」とシンドいご様子。

じつは、これはよくあることなのです。

自分の怒りをなるべく外にばらまかないようにするために、人を咎めず、裁かず・・・・、

でも、じつはこの段階でもうすでに怒っているし、咎めているし、裁いているのです。ただ、それを外へと表現するのをやめる努力をしただけです。

つまり、怒りの爆弾は着火されたのに、外へと放り投げることができなかった・・・。

じゃあ、どうなるのでしょ?・・・そうなると、ハイ、自爆です。

これが、自分の体調不良やら、さまざまな問題の勃発やら、怖れたり怒りを感じたりするものごとことして現れます。

人にぶつけないかわりに自己攻撃に転じてしまい、自分のなかで爆発したのです。

これじゃ、咎めないことも、裁かない努力も、幸せを感じるための解決策とはなりえません。

まずは、自分が爆弾を抱えているのだ!ということに、ちゃんと気づかなくてはならないのです。

私のなかには、人に怒りたい、人を裁きたい、そんな気持ちがたしかにある、ということを認める必要があるのです。

自分のなかでイライラしている気持ち、怒っている気持ち、裁きまくっている気持ち、不平不満を言いたい気持ち ・・・ 私たちはそんな自分を認めたくないので、怒っていても、裁いていても、ついついそんなことはなかったことにしようとします。

どこかに注意を向け変えて、あるいは自分を忙しくして、「いえいえ、私はそんな邪悪なことはまったく考えてなんかいませんよ!」「何も感じていません!」とウソぶいてしまうのです。

でも、爆弾は着火しています。他への爆撃も自爆も避けたいと思うのなら、この攻撃的な気持ちという爆弾に気づきましょう。

攻撃にしろ怒りにしろ、自分のなかの邪悪な気持ちは「認知」という光にあてることで消滅させることができます。

つまり、「ああ、今、私のなかに怒りが存在している」「裁きの気持ちが存在している」「でも、これは私の望まない気持ちだ」とただ正直にこころのなかで起こっていることを認めてしまうのです。

怒りがあってもいいのです。どうせ、捨てるものですから。

気づくことは、手放すことの第一歩です。認めることによって、はじめて手放すことが可能になるのです。

さらに、それらを完全にこころから消滅させることができる自分自身の高い自己へと、邪悪な考えをひとつひとつ委ねてしまいましょう。

高い自己・ハイヤーセルフこそ、危険物処理班です。お願いすれば完璧に任務をこなしてくれます。それも、無料で! 24時間対応で!

大切なことは、人に投げつけたり、自分のなかで爆発するまえに、ちゃんと自分の考えに気づいて、それ(爆弾)をかかえていることを認めてあげることです。

よい人になろうとする努力は、しばしば爆弾を温存したまま違う自分になろうとしてしまいます。

すると、遅かれ早かれ自爆(自己攻撃)というかたちでいろいろな問題が勃発します(自分の怒りがさまざまな形をとり、自分自身に襲いかかるのです)。

自分のよろしくない思いは「廃棄すべきもの」なので、べつに隠そうとする必要もありません。

いさぎよく捨て去るために意識の光のもとにひっぱり出して、親切丁寧な危険物処理班におまかせしてしまいましょう。

よい人になる努力などせずとも、危険物をうちに持たなければ、自分もまわりも平和になるのです。

 

 

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気づきの日記「幸せのオセロゲーム」

 

私たちは自分の目にする世界に対して、やさしく受け入れようとするよりも、むしろ戦闘態勢で向きあっています。

決して不利にならないよう、少しも損害を被らないよう、なるたけ優位でいられるよう、警戒を怠りません。

ということは、「ここ」はちょっとでも気をぬいたら簡単にやられてしまうような弱肉強食のアブナい世界だ、と信じているからです。

そんな世界と対峙していれば、誰でもリングの上のファイターのごとく、そこには安らかなこころがありません。

そんな自分に襲いかかってくるような世界を目にしているのであれば、「世界とは、自分の考えそのものを見ているだけだ」ということはなかなか受け入れられないことでしょう。

世界とは外にあるもので、自分とは対立する存在となっているのです。

しかし、世界は外にあるものではなく自分のこころのなかに存在しています。

世界は、自分の考えそのものなのです。そこには、どんな間隔も距離もなく、こころの在りかたが変わりさえすれば世界も変わってしまう、という即効性もあります。

だから本当のところ、自分のこころが変わるまでは自分の世界は決して変わることがありません。

自分のこころが安らかにならなければ、世界も安らかに知覚されないのです。

この連動しているメカニズムに気づくことがで大切です。

なぜ問題や間違いを目にするのでしょう?

それは、私たちが自分のこころのなかに存在している苦しみや痛みに耐えきれず、それらを外側というくくりのなかに不法投棄しつづけているからです。

不法投棄するのは、それらと金輪ざい縁を切りたいと思っているからです。だからそこに投げ捨てたが最後ふりむくこともせず、「そんなもの知りません!私とはなんの関係ありません」と言いはるしかないのです。

知らないと言いつつも、外にゴミ(問題)がゴロゴロしている、ということは、自分のこころが投棄をつづけている、ということに他なりません。

しかし・・・もしも外にゴミが見当たらなくなることがあるとすれば、それは自分のこころが投棄をやめた、つまり不法投棄するものがなくなった、きれいになったという証でもあるのです。

自分の幸せを左右するこころの状態を整えるために、外側に目にするすべてを「クロ(罪がある)」の状態から「シロ(無罪)」として見るようにしてみましょう。

シロを見よう!と決めます。

決めたら見ることができる、というももこころのすばらしい力です。

みんなシロだ!罪などない!間違いなどない!と自分の外側に対して言ってあげることができるのなら、自分の内側もシロなのでしょう(投棄しなくてもよくなっているのです)。

そして、自分がシロであることを知ることができます。

だから、すべてにおいてシロをみようと人生ゲームをすすめます。

まるでオセロゲームのように、外側をパタパタ白に変えつづけることで、ついに勝利をおさめることができます。それが自分の安らぎと幸せへの近道です。

「与えたものは受けとるもの」。白を与えると決めて、白を受け取りましょう。

シロ(罪とは無縁)というのは、自分自身がなんのリスクからも、なんの危険からも、なんの罰からも、なんの苦しみからも無縁であるということを意味しているのです。

自分自身にシロを獲得するためには、オセロの石をパッタパタ返してゆくように、世界にシロを与えてあげましょう。

 

 

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こころに栄養♪

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久々のライブのコンサートです。

お友だちの吉原圭子ちゃん出演のコンサートにお誘いいただきました♡

演目も、新春にふさわしいウィーンのワルツの数々。J.シュトラウスにレハールに・・・心もからだもウキウキと華やいでくるような明るいメロディ。

吉原圭子ちゃんは、ソプラノで登場。

当日の朝、体調がすぐれず大変なご様子でしたが、さすがプロ☆ 真っ赤なドレスでステージに姿を現すやいなや、優雅で颯爽としたいでたちで、みんな吸いこまれるように魅了されておりました。

優しいお声はのびやかで、まるで光と花びらで会場を包みこむよう。もう、ウットリでした♡

指揮者の方のおしゃべりも楽しく軽快で、まるでダンスのようなステップふみながら指揮をなさっておりました。

まさに新しい年を祝福してくださるようなワクワクした調べに包まれる素敵なコンサートのひとときでした。

こころがメロディと光と愛で満たされました。ありがとうございました♡