08-11-06 自分の穴は自分で埋めよう!

家族、友人、パートナーと親密な関係を持てることはすばらしいこと。まさに、人生の贈り物です。でも、最近は「愛情」で結びつくというよりは「執着」で結びついて、自ら苦しむケースがふえているように感じるのです。あまりに相手に多くを期待・要求しすぎたり、また犠牲しすぎることで、自分の自由がなくなりボロボロになってしまうというように。

幼少期の両親との関係のなかで「自分が欲しくても得られなかった!」という体験は誰にでもあるもの。誰の幼少期も完璧ではありません。でも、その欠落を現在の親密な関係の中で埋めようとすると、ひどく相手に期待したり執着することになります。そして、そんなコテコテの感情を愛情だと勘違いしてしまい、「こんなに愛してるのにあなたは何もしてくれない。あなたはひどい!」あるいは「愛を得るためには奴隷になる」という苦しさに突入します。どちらも自由がない状態です。

自分の愛する相手が、この「欠落」(たとえば、認めてもらうこと、甘えさせてもらうこと、無条件に愛されること・・・etc)を埋めてくれて当然だと考えると、「なぜ、あなたはわたしの思うようにしないの」とつねに文句たらたらになります。相手を責めます。そして、欲しいものが手に入るように密かにコントロールし、攻撃し、ついには思うようにいかない現実を相手のせいにして恨みつらみをつのらせる。

おそらく、いくら相手を変えようとして戦っても、それは負け戦となります。なぜなら、どんどん嫌われてしまうからです。。

もともと人間関係は「他の人間」との関係ではないのです。どういうことかというと、人間関係は自分自身との関係、つまり「自分」関係。自分がその状況をどうとらえるのか、どう対処するのか。だから、誰とつきあおうとすぐに自分のパターンが露呈してしまうことになります(この相手だとうまくいかない!と、次ぎの相手をさがしても、また同じ結果になったというのはよく聞く話ですね。ようは自分です)。

人間関係で怒りを感じると、相手に責任を負わせて悪者にしたくなりますが・・・ちょっと待って!さて、なんで自分はその「怒り」を感じているのでしょうか?自分の中で何が起きているのでしょうか?あなたは相手の何に刺激されたのでしょうか?たぶん、「怒り」の下には弱い自分がいます。泣いてる自分、打ちひしがれている自分。その声を聞いてあげてください。

「何を手に入れたかったのか?」そして「それは、過去の誰との間で手に入らなかったのか?」・・・・。そう考えると、本当に怒りを感じているのは自分の「目の前の人」ではないのがわかります。何かに触発されて、古い感情パターンを繰り返しているのです。

わたしたちは、その感情のほんとうの声に耳を傾けてあげる必要があるのです。「そうか〜、子供のとき、いつもお母さんに認めてもらいたいって思ってたんだ。その穴を、わたしはこの人で埋めようとしてたんだな〜。あのときは、自分をそのままちゃんと見てほしかったんだよね」と耳を傾けて、過去の感情の穴をちゃんと認めてあげます。

つらくて直面するのがこわいからずっと穴があいたままなのですが、ちゃんと穴ぼこの存在を認めると不思議と穴はうまろうとします。ただ、その悲しみをそのままうけとめたら、手放してあげるのです。傷ついた自分がほっとするのに気づくはずです。

そして、「怒り」の分析がすんだら、相手にはおだやかに「あなたの行動に怒りを感じたけど、じつはわたしの中にはこんな悲しみや癒されない痛みがあってね・・・」という話をすると、相手は受け取れるものです。「そうか〜、そんなふうに感じていたのか〜。その気持ちが癒されるように助けになるよ」となるわけです。

わたしたちはその人を愛するがゆえに、この穴を埋めてくれるのはこの人しかいないと勘違いし、期待し要求し、ついには「ほしいものが得られない怒り」を感じて大切な人との関係をこわしてしまいます。しかし、つねに自分の感情としっかり向き合う気持ちを持つと、相手を悪者にせずに「大切な人」としての関係が深まってゆくのです。そして、なによりも自分自身が相手から自由になれることがいちばんすばらしいところです。

大切な人だからこそ、長くおつきあいしたいものですよね。