10-05-31 つじつまのあわないココロの策略 (@_@) その1

「男性運がホトホトないんです・・・」とクライアントのA子さん。

「ようやく彼氏ができたかと思えば、妻子持ち。これではダメだと思い別れたものの、出会うのはあきらかにダメ男ばかり。とにかく、フツウの人がいない。わたしって、そういう星の下に生まれてしまったのでしょうか?」と。

わたしたちは意ににそぐわない現実が続くとき、「わたしって運がない」「そういう星の下なのね」・・・と星占いや運勢のせいにして自分を納得させようとします。が、このあきらめ方はちょっと残念。

もともと運がない!と言いきってしまうと、運がない人生が目白押し!さらにひどくなります。「不運だ」といいながら、「強運になる」ことはありえないでしょう。「強運スイッチ」はすでに切れています。

また、占いにしても「えっ?そうなの・・・」と簡単に内容を受けいれてしまうと、その占いに自分をあけわたしてしまい、結局支配されてしまうことになりか
ねません。心理学でいう「預言の自己成就」、つまり無意識のうちに占いを成就させるような行動を自ら起こして、「わっ!やっぱりこの占い当たった。スゴイ!」とびっくりします。

しかし!!・・・運というのはもともとカッチりと決まっているわけではないのです。じつは、ほとんどが自分で創るもの。自分の自己責任です。

もちろん、どの時代に生まれるか、男か女か、どんな容姿か、どんな人を両親に育つか、そして生まれながらの性格などなど・・・おおまかな土台、初期設定は存在します。けれど、これは単なるゲームのスタート地点にすぎません。そこからどれだけの変化を自分で創り出してゆけるのか・・・が、このゲームの醍醐味でしょう。ハンデがついたり、ハプニングが続出するスポーツやゲームは人をひきつけます。予想ができないからこそ楽しいのです。でも、ハンデやハプニングが結果をきめてしまうわけではありません。

いっけん「運」「不運」のように見えるもの、それはじつは自分の心が生み出したたんなる出来事にすぎません。いっつもネガティブな考え方をし、怖れや敵対心を抱きながら、ある日カラリと超ハッピーな人生になるなんてありえません。一つ一つの出来事に過剰に反応することなく、ポジティブな目線を持つとか、今を楽しむとか、人も自分も大切にする、明るい希望をもつ・・・そんなささいな積み重ねがじつは大きな違い、「運」につながってゆくように感じます。

つまり、わたしたちは自分の現実を一瞬一瞬選びとっていることに気づいていないのです。時間は連なってゆきます。「今」が「その次」につながり、次の今が創り出されるのです。だから、自らが選んで現実を創り出していることに気づき、意識的にならないかぎり、ほとんどが無意識のうちの過去の繰り返し、同じものが創り出され続けることになりかねません。「現在」に何らかの変化を与えないかぎり、過去と同じものが繰りかえされるだけなのです。

自分にとって何かパターン化した「うまくいかない問題」がある場合、おもしろいことにそれがどんなにひどい現実であっても、あなたの潜在意識はあなたにとって「よかれ」と思って自動的に選び続けていることがあります。それがどんなにひどくて、どんなに悲惨で、どんなにつらくても、けっしてやめない。つまり、心の底では「それが好き♪ 」「ベスト♪ 」「 やめたくな〜い♪」と思っているのです。もし、他のものが本当に好きだったら、とっくにそちらを選んでいることでしょう。ということは、苦しいけどこれをやり続けたほうがよい、という隠れたメリットがあるようです。

自分を痛め続ける悲惨な状況を繰りかえすメリットって・・・いったい何なんでしょう?
(その2へ続く)