10-12-02 たすけて〜!ダメなわたし その2

(その1より)

誰かに文句を言いたいとき、攻撃したいとき、そんなときはもれなくその本人が幸せでないときです。文句や攻撃の相手はただの標的にすぎません。

このガミガミ言うお母さんは、娘のことに限らず、自分の人生のあらゆることが自分の思い通りにならない無力感にさいなまれています。ものごとが自分の思い通りにならないときや葛藤があるとき、ひとはそれを持て余します。どっかでガスを抜きたい、さっぱりしたいのです。自分の葛藤を自分の中で昇華する力もなく、また周りに力をかしてもらうというコミュニケーションもとれないので、結局その葛藤はどこかにぶつけられることになります。当たり散らすのに最適な場所・・・、それは都合よく「無力」の呪文をかけた娘なわけです。そして、娘をコントロールすることによって、自分の不安定な人生のコントロール感を取り戻すわけです。

また娘さんの立場からすると、なぜ母はわたしにガミガミ言うのだろう?母はわたしを愛してくれるはずなのに。その母がつらく当たるってことは、自分が愛されるに値しないからに違いない。と、確信し自信喪失します。「ダメなわたし」に対する自己攻撃に入ってしまうのです。

娘さん、違うんですよ〜!これは娘さんが、「母は無条件にわたしを愛してくれる人」という幻想に固執してしまったことが苦しみの原因となります。あるいは、他のおうちのお母さんと比較してしまったこと・・・。わたしたちは「母」=「無条件の愛」「やさしさ」「いたわり」という名札をつけようとします。しかし、「母」もひとりの人間。みんなと同じように心に傷のある人間です。もしかすると、この娘さん以上にガミガミ言われて育てられたので、同じように無意識でガミガミ言うのがあたりまえになっているのかもしれません。そうなると、「母」というラベルよりも、ひとりの「人間」としてどのような人なのかを冷静に観察しなければならないのです。

ああ、この人は自分に自信がないから、すぐにキレちゃうのね。すべてを自分の思い通りにしないとこわくてしかたがないのね。そして、攻撃することによって自分よりも弱いものをつくって、自分が優位に立ちたいのね。・・・と静かに分析してください。そうです。ただ「そういう人」なのです。それを淡々と理解しなければなりません。ゆめゆめ、理想に仕立て上げないようにいたしましょう。

すると、おのずと対処法が見えてきます。「お母さん、その言い方こわく感じるからもう少し静かに話してくれる?」とか、「わたしは自分がよかれと思ってやったけれど、うまくできないことは仕方がないわ」とか、母の理想と実際の娘の現実を冷静に教えてあげます。そして、思い切って距離をおくことも大切です。たとえ母であろうと。自分が傷つくときには、自分で自分を守る姿勢も大切なのです。

わたしたちはパターン化してしまった害のあるコミュニケーションや力関係に、鈍感になったり、いたずらに無力感を感じたりすることがあります。でも、もし自分がいやな思いをしているとしたら、もういちど他人のように離れた目線で冷静に関係のあり方をながめてみることです。もし、友人から相談されたとしたら、「あれ?それってすごくヘンじゃないの?」と気がついてしまうことがよくありますよね。そんなふうに、人から相談されたと思って客観的な目線でふだんの親しい人とのパターン化したコミュニケーションのあり方を見つめなおしてみましょう。

わたしたちは、自分を大切にすることに躊躇しがちですが、まずは自分の心によくよく聞き耳をたててあげること。そして、人は自分とは考えも感じ方も違って当然ということを前提に、自分の心の声をもとにお互いが歩み寄れるところを探ってゆくことも大切です。すると、双方に敗北感や支配された感覚が残らずよいコミュニケーションがとれるようになりますよ。Good Luck!(^-^)ノ