12-01-28 「あなた」と「わたし」の人生の境目

セラピーセッションの中で、「あなた」と「わたし」の境界線があいまいになっていることによって問題や悩みが起きていることが多々あります。

ということは、それだけわたしたちの中では人と自分との境界線が自覚できていないということです。

身体の境界線なら一目瞭然ですが、目に見えない相手との境界線ってなんでしょう・・・?

境界線の問題は、恋人や家族という近しい間柄に顕著です。

つまり、「わたしの夫」「わたしの妻」「わたしの恋人」「わたしのこども」という名のもとに、相手の思考やら人生にズカズカと勝手に介入してしまうということです。

「あなた、そんなことするべきじゃないわよ」という文句、「あなた、こう生きるべきでしょ」というコントロール、「あなた、ちゃんとできないならもう知らないわよ」という脅し・・・。これ全部、自分のことではなくって、相手の人生に関することです。

ほっといてくれ〜、と言いたいけれど、けっこう日常で無意識のうちにこの文句やコントロールや脅しは使われています。

近しい関係では、相手を思うあまり相手に自分のパワーを明け渡してしまい、相手と自分を同一視した結果、相手を自分の一部のように錯覚してしまいます。ひどくなると、自分自身は完全にお留守で相手の人生を生きようとします。(これは恋愛初期に見られる症状。自分はもぬけのカラで相手のことばかり考えています。あるいは、自分はそっちのけで尽くしすぎたりします。一見、熱愛のように見えますが、たんに相手に憑衣しているだけです。)

そもそも「自分」と「相手」は別の存在。さきほど書いたように、身体を見れば一目瞭然、別個の存在です。そして、個人としてわたしたちは「自分」の人生を好きなように「自由に生きて体験する」、という目的のためにここにやってきているのです。あくまでも主役は自分、自分の人生とまっこうから向き合って体験し充実させなければなりません。ほんとうは、人の人生にお出かけしているヒマはないのです。

でも、自分への自己評価が低いと、自分の人生なんてとるにたらない、よし!この人(夫、妻、恋人、こども)の人生でわくわくしよう!ということになり、ズカズカ境界線を越えてもの申したり、ちょっかいを出したり、コントロールしたりすることになるのです。

そしていったん自分の手綱を相手に渡したなら、相手(夫、妻、恋人、こども)は、勝手をするなんて許されない、自分の期待に答えるべき、と信じます。自分のことをわくわく喜ばせるような生き方をするべきだし、自分の自己評価の低いところの埋め合わせもすべきなのです。(だから、おちこぼれもカッコわるい人生ももってのほか!)

でも、わたしたちは自分個人が、いわば好き勝手なやりたい人生を思う存分謳歌するためにここにいるのですね。そもそも、それぞれが相手の期待に答えるための存在ではない、ということです。

もし、夫、妻、恋人、こどもがそれぞれの人生を生きていることに関して不満を言いたいのであれは、もしかすると、自分が自分の面倒をちゃんと見てあげていないのかもしれません。自分をからっぽにしておいて寂しいから人の人生にお出かけするのではなくって、ちゃんと自分のところに戻って、自分の気持ちを聞きながら喜ぶような人生にしてあげなければならないのです。

相手にムカっとくるポイントがあるときには、かならず「抑圧した痛み」という自分のお宝が隠れています。相手が好き勝手して頭にくるなら、おそらく「わたしはガマンしているのに、あなただけ好き勝手するな!」という自分につけている足かせが明らかになるだろうし、相手の能力不足やだらしなさを責めたいなら、「あなたのその能力のないところをみていると、わたしの中にある劣等感がちくちくするからそれを見せないで!」ということかもしれません。

わたしたちはこんな痛みがあると、すぐさま「あなたがその痛みの元凶だ!」と相手を責めたくなります。だから、そこを正してあげるために相手に介入しなくちゃ!と。

でも、いつだって目の前にぶら下がっているのは、自分の中の何か。そしていつだって相手に挑みかかるより、自分と向き合うことによって解決しなければならないことなのです。

相手をコントロールしたいと感じたとき、文句を言いたいと感じたとき、間違っていると感じているとき、ちょっと思い出してみましょう。相手はどんな人生であっても、そのままの人生を生きる権利があること。そして、その人生は自分が思うようなステキな結果は出ていないかもしれないけれどそれは自分の判断であって、その人にとってはこの時点ではベストな選択、結果であること。もし、問題があれば本人が気づいて何かを学ぶことによって、修正する必要なあるときに修正されるということ。そして相手がサポートを必要としている時にだけ、相手を尊重しながらその手伝いをすること。

「相手をどうにかしたい」を手放せば手放すほど、相手に明け渡していたはずの自分のエネルギーが戻ってきます。すると、不思議!あんがい自分の人生が軽やかに流れ出すのを体験するかもしれません。