12-04-16 やめられないんです♪被害者は! その1

この地球に住むわたしたちは、ホント「被害者」になるのがだ〜い好きな生き物のようです。

世界中どこでも、「被害者」であるかわいそうな自分を守るために争い、戦い、略奪し、なにか不都合があれば即座に誰かのせいだと思おうとします。国が悪い、環境が悪い、政治家が悪い、親が悪い、やつらが悪い・・・と。もはや「被害者」ということに対して中毒症状。やめたくってもやめられません。しかも、そうなっていることにすら気がつかないのです。

わたしもこんな経験がありました。ある海外のセミナーで「潜在意識を浄化する」ワークに日々を費やし、自分の中のかわいそうなわたしや被害者意識をクリアにすることに専念していました。その帰路の飛行機でうとうととまどろんでいると、突如「ぜったい、ぜったい、ぜ〜ったい、何が何でもぜったいに被害者でいてやる〜〜〜!!」という声が自分の心の中におどろおどろしく響き渡ったかと思うと、その直後から飛行機が尋常ではない恐ろしい揺れ方をしはじめたのです。もともと心には山をも動かすパワーがあります。この場合、悪くしたらわたしは自分のエゴ(被害者意識)にそれを抹殺しようとしたことによって殺されかねない状況だったのです(幸い、飛行機は落ちずにすみました)。これはエゴのパワーのすごさを感じた瞬間でもありました。(と、いうわけで、わたしのエゴはいまだご健在でありますが・・・。)

でもね、被害者でいることはエゴにとっては利益があってやめられない楽しい習慣かもしれません(病弱なわたしに母はやさしくしてくれる、失業したわたしに彼は同情してくれる・・・など、自分を弱く感じれば感じるほど、被害者意識が強くなります)。しかし、被害者意識は百害あって一利なし。自分の首をしめることになり、また自分の欲しいものを破壊してしまうことにもなりかねません。

さて、きょうはそんな誰もが大好きな被害者をどうしてもやっちゃうA子さんのお話。

A子さんは夫婦問題でセラピーにいらしています。

以前からだんなさまとの間に問題がなかったわけではないのですが、彼の携帯をのぞき見してしまったところから、A子さんの心のバランスが大きく崩れることとなりました。

「なんかあやしいぞ!」と思って携帯をのぞいてしまったら、案の定、思ったとおりの結果が・・・。

「昨日は、ごちそうさま。○○さんはお話し上手でホント楽しかったです。また連れて行ってくださいね〜」というデートをしたらしいメール。あるいは、「心ばかりですが、バレンタインのチョコレートで〜す」というプレゼントをもらったようなメールまで。

彼には携帯を見てしまったことは話していませんが、それ以降、彼の態度がそわそわしていると「彼女からのメールを待っているの?」、あるいは「メールをしたいの?」と憶測したり、彼の帰りが遅いと「ああ、きょうは彼女とデートしてきたのね」と落ち込んだり。また、だんなさまの機嫌がよければよいで、「ふうん・・・うまくいってるんだ・・・」と落胆し、機嫌が悪ければ「どうせ、わたしといたくないのでしょ」と悲観的になります。

そして不安ばかりがふくらみ、何も手につかず、ゴハンも喉をとおらず。そしてだんなさまに対しては、ついつい皮肉っぽかったり意地悪な言葉をなげかけるか、機嫌をとって媚びるような態度をとってしまうそうです。

そこで、A子さんに聞いてみました。「もし、ほんとうに浮気していたらどうしますか?別れますか?」彼女の答えは「その過程はどうでもいいんです。それよりも、また仲良く平和に信頼しあって暮らしたい」。

さてさて、彼女の生活にはほんとうに平和や信頼がないのでしょうか?彼女が言うように、平和や信頼を台無しにしたのはほんとうに彼なのでしょうか?

まず、メールを見ちゃったことは、一つめの NG です。

人にはそれぞれの境界線というものがあります。私の世界と彼の世界は同じではありません。結婚という形態をとっていようとも、自分が生きなければならないのは自分の現実、自分の境界線の中であって、人の境界線に踏み込んだり、その中のことをあれやこれやコントロールしようとすると、必ず無力感を感じるし、ストレスで苦しむことになります。

人の境界線をむやみにおかしているときは、実は自分の境界線も大切にしていません。自分と人が曖昧になっているごちゃまぜ状態です。彼がこう感じているから、わたしもこう感じなくては。彼がこう反応しているから、わたしも同じように反応しよう。どんどん自分がなくなって、依存的になってゆきます。自分が誰だかわからなくなります

相手の境界線に入っているときには、「あなたは、わたしが思うようにふるまうべきである」という「べき」ルールがあります。しかし、いくら心の中で「あなたはわたしの思うとおりにふるまうべきである」と叫んでも、結局は人はふるまいたいようにしかふるまいません。人は変えられないのです。「べきだ」は現実に起っていることとはあわないので、もれなく葛藤を感じるハメになってしまいます。

そもそも、メールを見ていなければ、A子さんの心には何も起っていません。平和です。境界線をおかしてしまったことで、A子さんは自ら自分の心の平和を台無しにしてしまったと言えます。

「え?でも彼が浮気してても許すの?」というご質問がきそうですね。

これは二人の間にメールということが介入して問題をおこしているように見えますが、そもそもこれはそれ以前の問題なのです。これはA子さんとだんなさまとの基本的な信頼関係の状態がたまたまメールという形で表面化してきました。A子さんが自分がほしい「信頼関係」を彼に対して持つ努力をしていたら、メールをのぞくことはなかったでしょう。メールはその信頼関係が十分でないところを露呈したのです。彼を信頼できないと思っているA子さんは、じつは自分が信頼できない人なのですね(はい、いつだって相手に見えるものは、自分のもの!)。なので、メール事件が起ろうが、起るまいが、じつは遅かれ早かれ同じような彼との「信頼関係」に関する問題が勃発したことは確かなのです。

そしてA子さんの二つめの NG は・・・

(その2に続く)

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト