13-03-10 わたしの考えはわたしの人生、そのもの

本当に自分の考えというのは、自分の世界そのものだな〜と感じます。

自分は自分の考えの中の住人、自分の考えの中に生きている、といってもよいぐらいです。

その考えを通して知覚する世界は、いつも自分の考えの色に染め上げられています。

○子さんとはカウンセリングを進めていくうちに、彼女の中に「わたしは他人の期待には応えるべきである、応えてあたりまえ」という信念があることに気がつきました。そしてその信念が、さまざまな場面で彼女を苦しめ、ついには過食にまで走らせているということが・・・。

この考えは、かなり厳しかったお母さまからの愛や注意を勝ちとる唯一の方法であったに違いありません。人がある考えにしがみつくのは、そこに手放しがたい報酬があってこそです。手に入るものがあるとき、わたしたしはその考えにしがみつきます。

厳しい母はきっと、彼女が期待に応えて優秀だったときには優しかったり満足気だったのかもしれません。そこまでの反応はなかったとしても、期待に応えたときには叱責しなかったのかもしれません。

すると彼女の中には「人生とは人の期待に応えるものである」→「応えてこそ、安全」という方程式が当然のことのように刷り込まれます。もはや、「それって正しい考えかどうか」と判断する余裕もなく、まったくあたりまえとしか思えないのです。もちろん、無力なこども時代には自らの防御に役立っていた考えでも、おとなになるとかえって足をひっぱってしまうことがしばしばです。

さて、『人の期待に応えるのは当然なのでしょうか?』・・・もしかすると、この文章を読んでらっしゃる方の中にも、「わたしも、そう思う」と当然に感じている方もいらっしゃるかもしれません。「何がいけないの?」って。

「人の期待に応えるのは当然」と信じていると、「人にも自分の期待に応えて当然」と思うようになり、期待に応えてもらえない場合は怒りを感じたり、裏切られたように思い、苦しくなります(世の多くの人が「期待に応えなくても当然」と思っていると、自分はいつも肩すかし状態にあいます)。そしてなによりも、地球上に70億の人がいるとすると、人の期待というものは70億種類の違った期待があることになり、それにいちいち「応えてあたりまえ」と信じていることとイコールになるのです。もやは、自分の人生を生きるヒマがなくなっちゃいますね。

でも、信じていることって、あまりにも自分と一体化しすぎて、自分にとっての普遍的な真実になっているので、いくら説明してもおかしいぐらいにその誤りがピンとこなかったりするのです。(実際、○子さんにも、それを信じているとこんなに大変なことになるよ!と説明しても、なかなか腑におちないご様子でしたもの。)

「人の期待を生きる」ということは、常に人のニーズを知ろうとして、自分の注意・関心が外へ外へと向かう結果になります。その結果、自分の気持ちがおざなりになり、自分を大切にできなくなります。いつも自分のニーズよりも人のニーズを優先してしまうことになるからです。

外ばかり気にしていると自分の中がカラッポになり、まるで詰めものが抜けたヘロヘロの縫いぐるみ状態。カラッポの自分にあわてて、そこへぐいぐいと詰めものを詰め込むように食べ物を詰めることになります。シャキっとしろ!とぐいぐい詰め込んでも、自分に注意が戻ってこない限りは満たされません。そして、ついには過食になってしまいます。

そして過食のあとは、必ず情けない自分への罪悪感がやってき、ひどい気分におそわれます。そこでまた、よい気分になるためには「期待に応える」→「ほめてもらう」→「価値があるように感じる」という悪循環を繰りかえすことになります。

人は確かにさまざまな期待を自分に対して持っていたりしますが、それはその人の勝手、その人の都合で、自分とはまったく関係のないことなのです。人のことは気にすることなく、自分は自分のペースで生きればいいのです。自分らしく生きはじめて、自分が心地よく感じ、また自分に対する自信が持てるようになると、そのポジティブな気持ちは他の人にも伝染するし、まわりも前向きな気持ちになってゆきます。

○子さんは仕事や親との関係だけでなく、恋愛においても「期待に応えるべき」という考えで自分も相手も苦しくなる状況を生みだしていることに気がつきました。苦しい考え方は自分の首をしめるだけでなく、まわりの人にも負の影響を及ぼしてしまいます。

なので、「人の期待に応える」努力をするよりも、自分が幸せになる努力をすることで、自然と自分のまわりの世界にもよい影響を及ぼして、また幸せな関係を築き上げることができます。外を気にして、外に向けっぱなしにしてきた注意を、自分の気持ちやニーズを丁寧に感じて、受けとめ、応えるようにしてあげます。

そのことで、自分が安心し、満足し、しっかりと地面に根っこをはりだしたような安定感を感じることができるでしょう。そこからは、人の期待に気持ちよく、できる範囲で応える心の余裕も生まれるかもしれません。

飛行機に乗ると、何かアクシデントがあったときには、まず自分が酸素マスクをつけて、ライフジャケットを着てから、こどもに着けてあげてください、と指示されますね。まずは、自分をOKにしてあげることが大切なのです。

たまには自分にとって「あたりまえ」と思っている考えが本当に自分を幸せにしているのか(苦しくしていないか)、またその考えが正しいのか、親しい人とチェックしあってみるのもいいかもしれません。また、何か苦しい気持ちを感じているとしたら、きっとそこにはすでに役に立たなくなった考えが横たわっていることでしょう。

自分の考えが人生の色あいを決め、筋書きさえも左右してゆきます。ちょっと考えを変えたり、手放すだけで、わたしたちは見える景色が違ってくるし、住む世界さえもガラリと変えることができるのです。

(こちらのブログはご本人のご了承を頂いた上で書かせていただきました)

 

(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト)