13-06-07 こころのキモチと、あたまのキモチ その1

クライエントのAさんは30代のシングルマザー。お仕事をしながら5歳の娘さんを育てています。

ところがいつからか、熱がでたり、頭痛がしたり、体調がすぐれない日が多くなったとか。風邪かな? とほっておいたら、ついには何をする気力もなくなってしまい、夜、娘さんのためにゴハンを作らなくちゃと思っても、キッチンの床にぺったりと座りこんだまま、ただハラハラ涙をこぼすようになってしまったとか。

「わたしの人生、こんなはずじゃなかった」「娘のことも苦しめている」「両親だって心配しているし」・・・「それも、これも、わたしがいけないからだ」・・・と、自分自身を責める気持ちに苦しみながらセラピーにいらっしゃいました。

Aさんはふだん、まわりを気遣うとても優しい性格。職場でも明るく雰囲気を盛りあげていました。

しかし、「なんとかこの職場で、好かれながらうまくやりたい」という意識が強くなりすぎたせいで、注意が外を気にすることばかり注がれ、自分を気遣ってあげることがすっかりお留守になっていたようです。

じつは、家のことと職場のことですご〜く疲れているのに「必要以上に元気にふるまったり」、同僚のちょっとしたひとことに傷ついてしまったのに「まるで気にしていないふりをしたり」、理不尽な残業をおしつけられても全然大丈夫ですと「笑顔で引き受けてしまったり」・・・明らかにこころと態度に大きなずれが生じていたのです。

これは意図的にそうしていたわけではなく、無意識のうちに大丈夫な自分を演じていたため、自分の内側の気持ち、こころの叫びを汲みとれなくなっていたのです。

わたしたちは小さい頃から、「もっとアタマを使いなさい」と理性的であることをよしとされます。そのまま気持ちを出そうものなら、たいてい親に嫌がられるのです。

「なにめそめそしてるの?」
「いつまでスネてるつまり?」
「文句ばっかり言って」

こどもは上手な感情の伝え方を知らないのでそのまま感情を爆発させるわけですが、それをちゃんと受けとってもらったためしがありません。いつも否定される反応が戻ってくるのです

すると、感情はいけないものだ、これは嫌われる、と「飲みこむ」クセがついてしまうのです。(飲みこまず、人にぶつけ続けるパターンもあります。)「飲みこんだ」感情はなくなりません。感情はしっかりと受け止めない限り、潜在意識にしっかりと抱えこまれてしまいます。

抱えこむといっけん無くなったように見えます。「おお、わたしって、立ち直り早いわ!」「何言われてもぜ〜んぜん平気じゃないの」と。

いえいえ、そんなことはありません。ちゃ〜んとためこまれていて、ある引き金を引かれたときに、いっぺんに全部が飛び出してくることがあるのです。「え〜、あの温厚な人が?」「え?あのおとなしい彼女が?」と、手をつけられないぐらいの爆発ぶりに周囲はアゼンとします。

いったん火がついたら、大爆発にいたるわけです。あるいは、ためこんでいた同じようなものに引火して手が付けられなくなることも。(ははは・・・そんなこともありましたって、思いあたっちゃったりして・・・(^^ゞ   )

自分の感じていることに関しては、アタマよりもカラダの方が正直です。自分では気がつかなくても、カラダは一生懸命、メッセージを発してくれているのですね。たとえば、眠れない、胃の調子が悪い、頭痛がする、下痢・便秘になる・・・など、心身症としてカラダがメッセージを伝えてきます。それでも、わたしたちは自分のこころの叫びに気づくことができません。

アタマはまるで、「わたしの言うことをきけ!」「ちゃんとやるんだ!」「イヤだなんていわせないぞ」と、いやがる馬(こころとカラダ)にまたがりビシビシとむちを打ちこむ暴君のようですよね。

「元気なふり」「なんでもないふり」・・・「ふり」をするのは、ある種、自分への虐待です。こころやカラダが何を言おうと、ぜったい耳を傾けず、いやがることを強いるわけです。一方、自分以外の人の気持ち、意見にはとても敏感に反応して、気遣ってあげるわけです。(これじゃ、ココロが反乱をおこしても仕方がありません・・・。)

(その2につづく)

 

(「気づきの日記」バックナンバーはこちら 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト)