15-09-17 人生、ほかの筋書きを選ぶには その1

先日、レンタルDVD屋さんでのこと。

パッケージの違う二本のDVDが目に入りました。どちらも同じストーリーのよう。違うのは、一方は女性の目線から、もう一方は相手の男性の目線からその恋愛をとらえたもの。二本立てにしたということは、視点が変われば同じなりゆきも違ったドラマになる・・・ということ。(DVD「ラブストーリーズ コナーの涙 / エリナーの愛情」)

そういえばむかし、「冷静と情熱のあいだ」という同じような小説(映画)がありました。辻仁成さんと江國香織さんという二人の作家が同じ筋書きの恋愛ドラマを男女それぞれの目線から書いていましたっけ。ひとつの恋愛も二人の目線から見ると、二つのまったく違うドラマが存在しているのです。

まさに、「人生で起ることはニュートラル」。なんの意味もない。「意味は体験する人が与えるもの」。与えた意味のとおりのドラマになる、ということです。

まっさらな出来事に、見る人が色あいをつける。・・・ということは、わたしたちは日々自分の人生に色をぬっていて、それが人生の明暗をわけていることになります。

決して最初から色のついたもの(意味があるもの)をさし出されて、それに対して一定の反応を求められているのではないということです。

まっさらな下絵に対して、わたしがどんな色づけ(意味づけや選択)をするかでホラーにもコメディにもなっちゃう。暗い色合いを選べば、それは当然鬱々とした絵になるけど、同じ下絵でもきゃりーぱみゅぱみゅ的なカラフル&ポップな色柄をつけたら、「まあ♡ とってもラブリー!ステキだわ」ということになるのです。

だから「ヒドイ体験に見まわれた!」というときは、無意識のうちに自分なりの色つけが完了していて、それに対してあらためて自分が反応していることになります。

どうやらわたしたしはほっておくと、自動的にものごとに対してダークな色つけ(意味づけや選択)をしてしまうようです。たしかに、何かを見ればすぐに「あ〜だ、こ〜だ」という価値判断がはじまり、そのものごとが自分にとって役に立つのか立たないのかが唯一の判断の基準となります。

つまり、自分の自己保存とサバイバルにとってプラスになるかどうかで、ものごとをばっさばっさと切り捨てているのです。(サヨナラする彼氏彼女、妻、夫は、自己保存においてもはや役に立たなくなったので、じゃあレプレイスしましょ!ということです。・・・あじゃ〜・汗)

 

自分を守るためにする解釈は当然、怖れのこころに基づいています。そして、怖れが動機となっていれば、行きつくところはやはり怖れの結末。 ・・・だから気がついてみたら、結局は失敗、悲しみ、痛み、苦しみ、怖れ、罪悪感、無価値観、怒り、後悔などなど・・・ 残念な結果にたどりつきます。

成功に見えた転職も、仕事がきつくて地獄の職場に ・・・。ついに運命の人だ!と思った出会いも、メッキがはがれて史上最悪、バトルの絶えない間柄に ・・・。マイホームさえ手にすれば完璧と思っていたのに、天災にみまわれた ・・・というように。

けれども、わたしたちにはもっと別なハッピーな人生の色づけ、ストーリー展開につながる選択もすることができるのです。

それはあまり使ってなかったので、すっかり忘れられている選択の仕方なのですが。さて、それは・・・。

(その2につづく)

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー