16-10-10 人生に勝手に生きてもらう生き方

「なんか最近疲れて、いっつも昼寝しちゃって」「昨日なんて、気がついたら1時間もたってたし・・・」「ほんと、やんなっちゃう」「なんでこうなんだろ?もっとちゃんとしなくっちゃ」・・・自分のふがいなさを責めている様子の友人。

「そう? わたしなんてちょっと疲れるとすぐソファーに倒れこんでて、お昼寝なんて日常茶飯事(笑)。しょっちゅう意識なくなってるわ〜 (´▽`) '`,」と私。

こんなやりとりをしながら気がつきました。

人はいろんなルールをもっているけれど ・・・ 「こうあるべき」「こうしなくちゃいけない」という決めつけが多ければ多いほど、苦しくなるっていうこと。たとえば友人の場合は、「疲れてても昼寝をするべきではない。スケジュールが守れなくなるから。きちっとすべての予定をこなせる人がえらい人である」と信じている。すると、もし私のような生活態度だったら、罪悪感のかたまりになること、間違いない。

「こうあるべき」という決めつけは、自分が守れなくって罪悪感を感じることもあるだろうし、あるいは人に向けられて批判や怒りにかわることもある。

以前、「道に広がって歩く人をどうしても許せない」「歩きタバコが許せない」、それによってつねにイライラさせられる、それが困る、というご相談を受けたことがあった。

いくら規則が決まっていても、守らない人は必ずいるし、ある意味じゃそれはその人の自由でもある。でも、いちいち人がどれだけ正しく行動するかに目を光らせていたら、なかなか心は休まらない。なんといっても、「道に広がって歩く人」も「歩きタバコの人」も見知らぬ彼女がどれだけイライラしているかなんて知るよしもない。彼らは楽しくやっている。

さきほどの昼寝をする自分を許せない友人の話しに戻ると、私のなかには「昼寝をしてはいけない」とか、「疲れるべきではない」とか「だらだらしてはいけない」というルールがないので、何の負い目も罪悪感もなく、いつでもだらだらできる。

なぜなら、それが自分自身が今、求めていることだから。そうしたいといっているのだから。

いくら「しゃきっとしなさい!」といっても、疲れているときは疲れているし、それが「事実」であり、時として私たちはその「事実」というものをなんとかしてねじ曲げようとする。

だから、「疲れている」という明らかな事実に反して、「疲れるべきじゃない」のに・・・と自分の感覚や身体の反応を否定しにかかる。

でも身体って、本当のところ、まったくコントロールがきいていない。私たちは「自分の身体」だから、制御ができてあたりまえと思っているフシがあるけれど、いつあくびがでるのか、いつトイレに行きたくなるのか、いつ眠くなるのか、わかっているようでまったく予想がついていない。自分の身体に、つぎの瞬間なにが起こるのか、まったくわからない。

それでも、「昨日、頑張りすぎたから眠くなったんだ」とか、「水分とりすぎたからトイレが近いの」とか、その体験が起こったあとにそれっぽい理由をでっちあげて、「私は、ちゃんと自分自身をコントロールできているのだ!」「自分のことがわかっているのだ」と納得したがる。

そして、すべてを自分の制御下においている!と錯覚する。

わたしは、こんなふうに考えるようになってから、ラクになった。

昔は、おそらく人一倍、自分の人生をきっちりとコントロールしたい、コントロールするべきだ、と思っているタイプの人間だった。

けれども、自然に自分にやってくることに、「今、起こっいること」そのものに、「人生のできごと」そのものに、私を生きてもらおう! と決めてみた。ある意味、自分を流れにあけ渡すことにした。

自然に起こることこそ私の人生なんだ、人生をコントロールしていじくりまわすことが人生ではない、と気づいてからいろいろなことをそのままにしておけるようになった。

「眠くなったら」「だらだらしたくなったら」・・・ それが今自分がすることなのだ!と、できる範囲内でそれを罪悪感なく受けとめる。そうしてみる。

なにかがキャンセルになったり、おじゃんになったら・・・。「どうして?なんでこうなるの?」なんて思わずに、これが今わたしが生きることなんだ、と素直に従う。

わたしたちは、自分の予想したようにコトが運ばないと、「何かが間違っている」「正さなくてはならない」と思うように教育されているけれど、そうすると人生に対してしょっちゅう修正しようと、抵抗のかたまりになってしまう。抵抗が生きることになってしまう。

そうではなくって、「やってくるものこそ、今、わたしが体験すべきこと、生きるべきこと」と思うと、「なんでも心よくオッケー」と言える自分がいる。

何かのチャンスを逃したように感じたら、「なるほど、これが今の自分が生きる道か」と頓着しないでいると、失敗の結果だったようなものがうまくいく原因にすりかわる。

先日も時間があいていたので、なかなか会えない友人をお茶に誘った。そうしたら、「仕事がつまってて空き時間がないの」というお返事。会えないのは残念だけど、じゃあ一人でまったり過ごそう!と気持ちを切り替えたら、その直後、別の友人から「緊急で話したいことがあるけど、明日どこか時間があいていない?」というメールがやってきた。

「ちょうどフラれちゃったから時間があるよ」と返信したら、「まあ、わたしのために空いてるのね!?」と喜んでくれた。そんなふうに、手を放してほうっておくと、じつはいちばん大切で、いちばん今起るべきことが自然と起こってくる。その友人とは、実りある情報交換とおいしいランチを楽しんだ。

これが、「あるがまま」の完璧さ。

ダラダラしたい? じゃあ、ダラダラしちゃえ! サボりたい? オッケー、おもいきりサボっちゃえ〜!!(笑)ダラダラもサボりも、最高〜!!

自分に優しくしていると、人にも優しくする余裕が生まれるし。なによりも、自分をむりやり押さえつけない、コントロールしないことで、思ったほどダラダラもしたくないし、さほどサボりたくもなくなるもの。いつでも OK を出してもらえると思うと、心は協力的になる。

受け入れてあげることって、とても大切。

まずは、自分をね! ( •ॢ◡-ॢ)-♡

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング