18-12-26 しまわれた贈りもの

お出かけがふえるこの季節、ふだんはあまり開けることがないアクセサリーが入っている引き出しをゴソゴソ。

すると、「こんなものも!? あんなものも!?」と、すっかり忘れさって使われることのなかったアクセサリーたちがたくさん出てきたのです。

「まあ♡ これも使えるし、あれも使える♡」「こんなの買おうと思っていたけど、持ってたじゃない!」と、この引き出しを開けるまでは「無」だったはずのものたちが、いっきに姿をあらわした感じです。

しまっておけばそれらは自分でも気づくことがなく、もしかすると同じようなものを買いに走るかもしれません。そして、それもまた引き出しにしまいこみ、「私はもっていない!」と・・・。

しまっておいて手にとらないかぎり、すべては「なきもの」にすることができちゃうのです。

それは、私たちのなかにある自分本来の「贈りもの」についても同じことが言えるのかもしれません。

その私たちの「贈りもの」はこころのなかにしまいこまれて、気づいてもらわないかぎり、引き出しのなかのアクセサリーと同じにまったく「なきもの」にすることができます。そして、「ない!」「ない!」と騒ぎます。

しかし、それらをひっぱり出して表現することによってこそ、自分自身でもはじめて「私はもっているのだ!」と気づくことができます。表現こそが、持っていることを教えてくれる作業なのです。

だから、「私にはないのだ」と決めこまずに、「ない」と思うものこそみずから表現してみる必要があるのです。

すると、はじめて「あったのだ!」と自分自身で気づくことができるようになります。

これは、夕べある大切な人のことを想いだしていたときに(その人はもう天国に移住してしまったのですが)、「何年かかったら、私もあのように暖かなこころをもつことができるかしら?」と思ったとき、ふとこころのなかで教えられたことです。

☆☆☆「何年かかる?でも頑張る私」・・・ これもポジティブな考えのように聞こえますが、じつは巧妙なエゴのワナでもあります。なぜなら、本来すでに完璧な愛である自分をごまかしてしまい、愛を今なきものにしてしまう言い訳だからです。

「今はないけど、いつか手にする」という考えは、「たった今」自分の引き出しのなかに眠っているものを完全にカラにしてしまう考えなのです。「私には今はない! けれど頑張る!」と。

「それらはすでにそこにあると信じて、欲しいと思うものをただ表現してごらんなさい ・・・」

「たった今、この瞬間、瞬間に、ただ愛であるように、やさしさであるように。小さなことでも愛の表現であろうとしてごらんなさい。それは、そこにあったと気づきます。ずっとあったのだと気づくことができます」と。☆☆☆

私たちは引き出しにしまいこんだものにはカギをかけて、欲しいものをさがしに外にむかって走りだします。そして、一生引き出しには気づくことがありません。

「引き出しから出してみるために、ただ表現してみる」・・・ それだけでよいのですね。

こころにやさしくとどいたクリスマスのメッセージでした。˘⌣˘♡

 

 

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