19-04-22 私の目標は「目標を達成しないこと」?!

難しい資格の取得にむかって、長年コツコツと勉強をつづけているAさん。

そろそろ成果を手にできそうな今 ・・・ 心身のバランスを崩して、勉強すら手につかなくなってしまいました。ゴールは目前なのに ・・・ アセりがつのります。

そこで、Aさんの深いこころを探求してみたら ・・・ 意外にも、「この目標を達成してはならない」という思いが見いだされ、じつはこころは別のゴールを目指していたのです。

別のゴールとは、「苦しみつづけること」。

「その目標を達成しないことで、苦しみのなかにとどまるのだ! 」、これがAさんのエゴが言いはる目標です。

どうりで目標に到達できそうになってきたら、目標に近づけないことが起こりはじめたわけです。

目標を達成して幸せな気持ちになったら、エゴは出番がなくなってしまいます。なんせエゴのお仕事は、できるかぎり苦しんでもらうことだからです。

だからエゴは、よい気持ちや幸せを全力で阻止します。

たとえば ・・・ 「わ〜い♪ 大好きなケーキ!いただきま〜す」と喜びでケーキにかぶりつこうとしたら、ケーキが床にポトリ ・・・喜びの瞬間があっというまにガッカリの瞬間に早変わりします。とにかくエゴは、幸せになるまえに失敗してほしいのです。イヤな気分でいてほしいのです。

Aさんの場合は、体調不良とともに落ちこみやイヤな気分が浮上し、子どもの頃に体験したつらい場面が思いだされてきました。そうなると、「ああ〜、この体験のせいでこんな気持ちになり、勉強さえできなくなったんだ。私を傷つけたあの人のせいだ。だから私は進めない」と感じます。

この推論は、とても正当な感じがします。だって私はこんなに傷ついていて、たった今こんなに苦しいんですもの・・・と。

でも、ここで気をつけなければならないのは、エゴが幸せを阻止する手として、すぐにバレてしまう手は使わないということです。つまり、これはフェイクの原因です。

「苦しくて勉強が手につかない」 → 「苦しみつづけることを目標にしていたことに気がついた」 → 「でも、この苦しみそのものは子どものときの癒されていないつらい体験のせいだ。あのとき、ダメな人、不十分として扱われたからだ」 → 「すべてあの人のせいだ!」 ・・・ と自分を被害者に仕立てあげてしまうことで、解決の糸口が自分にはないように思わせるのです。

なんせ、「被害者」ですから。かわいそうな被害者は無力なのです。

これもエゴが「幸せにしない」という目標のために問題をかく乱し、原因をわからなくする手です。今、ここにある問題の原因を、自分から切り離して他人のせいにして、さらに遠い過去へともっていって、もうその時間に起こったことは癒すことができないように感じさせます。

でも、これはエゴの方便です。

真に解決したかったら、そんなエゴの複雑な理由づけにずぶずぶとかかわってはいけないのです。

解決法はもっとシンプルです!

Aさんの場合は、勉強ができないほどイヤな気分が出てきて、「この感情は過去に根ざしていて、そこが癒されなければ、私は立ち直れない。元気になれない」とエゴは語りかけます ・・・が、それが原因ではありません。

原因は、今感じているその倦怠感、やる気が出ない感じ、怖れ、自責の念、怒りなど ・・・今感じているすべてがただこころのなかに封印されつづけていた、自分がもっていたくて抱えていた、ということです。

そして、それは今、解放してほしいのです!

だから、ほんとうにしなければならないのは、たった「今」の感情を、たった今、まったく過去のストーリーや裁きの気持ちと結びつけることなく、ただそのまま受けいれて、感じてあげます。あとはハイヤーセルフに手渡すだけです。

過去云々は、エゴがより問題を複雑にして混乱させ、もう解決ができないように感じさせる手口にすぎません。

ただ今ある苦しさとともに、たとえ過去が浮かびあがろうとも、ただそこにある「感情」だけにひたすら向きあうことが重要です。

こころのなかで責めつづけていたその人は過去なので、もう手放します(ほんとうはこの瞬間というものは独立して存在しているので、過去とはなんの関係もないのですね)。

もしそこで、誰かを責めることにハマってしまうと、相手を攻撃することでより罪悪感をふやし、そのため無意識のうちに自分を痛めつけることになります。「神さま、私と同じ完全性をもつ相手を攻撃してしまいました。間違っていました。神さまにおしおきされるまえに、自分で自分を痛めつけますから、どうか無罪放免にしてください」と。

私たちのこころはひとつなので、相手を責めて攻撃しつづけると結局、共倒れになるしかありません。手をつないで地獄行きです。それがひとつであるものの運命です。

自分のなかのわだかまり、怒り、赦せない思いが手放されると、自分の見ている世界が平和になります。

自分のこころで生じたものは、結局は自分のなかにあり、自分に対して何らかの結果を生み出します。すべての攻撃の思いは、自分に災いし、すべての愛の思いも、自分を豊かにします。

自分の目にする世界とは、結局は自分のこころが生みだす映像にすぎないので、もしほんとうに安らかな世界を体験したいのなら、まずは自分のこころのなかから闘いの思い、攻撃の思い、裁きの思いを断固として追放する気持ちが大切です。

それらのほんとうの自分ではない攻撃の思いに気づき、ハイヤーセルフにもって行ってもらいましょう。すべて手放しましょう。自分ではないものを大切にすると、ほんとうの自分自身を見失いつづけます。

ほんとうのあなたは、まったく無傷な光輝くダイヤモンドのような存在です。その光をさえぎるどんな思いも、ゆるしてはいけないのです。ゆるしてしまうと、あなたは知らぬまにゾンビ化してしまいます。

そのために、自分のこころに浮かぶ自分を傷つける思いに敏感になり、それを逐いちハイヤーセルフに渡して、もって行ってもらいましょう。本当の自分を体験したい!とお願いしましょう。

平和で穏やかなこころ、そこから自分の目にする平和で穏やかな世界が立ちあがります。攻撃さえなければ、安らぎと愛はすでにそこに存在しているからです。

天国のルートも、地獄のルートも、おもいのままです。二枚のチケットが渡されていて、選ぶのは自分です。

そして、Aさんが今懸命に進んでいる目標への道のりも、その目標じたいも、ぜんぶハイヤーセルフにゆだねてしまいましょう。それをエゴに乗っとらせるのではなく、ハイヤーセルフに渡して、全部をよきことのために使ってもらいます。

私たちは個人の満足のために目指すゴールにおいては、イバラの道を行かなければなりません。一方、それが全員のためによきことであるゴールで、人と手をとりあうなかで達成されるのであれば、道の景色もがらっと変わるはずです。

感情をただの感情(なんのラベルもない感情)として感じきったら、しっかりとハイヤーセルフの手をとってすすんでくださいね〜。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング