気づきの日記「まずは、こころを整える」

 

「私たちは、自分のこころの中にあるものしか見ることはできない」・・・

と、アタマではわかっているものの、いざ、目にしているものが気に入らないとこの一文はあっさり忘れさられます。

目にしているものと自分とは何の関係もなく、むしろ目にしているものが自分に対して攻撃をしかけてくるように感じてしまうのです。

だから、コヤツをなんとかせねば!・・・とアセります。

先日あったこんなこと。

ここ一ヶ月、上階から真夜中の二時ごろに掃除機音と家具をひきずる音が聞こえるようになったのです。それもたびたび、えんえんと・・・。

早起きな私はプチ不眠になってしまいました。

ずっと静かだったのに、上階さん、急にどうした? 断捨離にめざめたのか?!・・・ それにしても、どうしたものか?

ふつうだと、改善のための「行動」・・・となると思うのですが、

なんせ、「こころの中にあるものしか見えず、なにを目にしようとも、私は自分が見たいことを見ている(体験している)」ということを無視するわけにはいきません。

そう思って自分のこころをかえりみてみると ・・・ 思いあたることが。

最近、眠るまえにあるジャーナリストさんの公開ライブを観ることが多くなり、

あるときには激怒しながら熱く語るそのお方を見ながら、「よくぞ言ってくださった!」と自分のモヤモヤを代弁してもらっているようにスカっとしたものです。

トピックスはどのようなことにして対しても、「問題さがし」なのですよね。

それを好んで観るということは、私のこころが「世の中には問題がたくさんある!」「ほら、あっちにも、こっちにも!」と、問題があることを肯定してしまっているのです。

そして問題があるということに注意が注がれると、結局は自分自身が身をもってそれを体験することになります。

「はいはい!こんなふうに問題がいっぱいあるよね」「世の中、さわがしいね」「困ったもんだね」「間違ったことだらけだね」

その考えが自分の外側に映しだされて、自分をおびやかす形(音)となって夜な夜なあらわれていたわけです。(自分の攻撃的な考えは、結局は自分に戻ってきます・汗)

問題解決にはなによりもまず、こころの中を平和にしてあげることが先決です。

そこで、ライブ配信の視聴はやめて、静かに目を閉じてこころを鎮める時間をもつことにしました。

こころを鎮める習慣をもつと、気づかないうちにこころが波だっていたのがよくわかります。

そして「なにかできることはありますか?」とハイヤーセルフに尋ねたところ、「管理会社にご相談」という言葉が浮かびました。そこで、翌日電話をしてみました。

すると、管理会社いわく「個人に直接注意することはしていないので、組合に申し入れて掲示を出してもらいましょう」ということに。

この相談からものの十分ほどで管理会社から電話が入り、

「注意喚起の掲示のことで組合の理事長さんに連絡したら、お宅の真上にお住まいで、結局直接お伝えすることとなってしまいました」と。

まあ、音の主が組合の理事長さん宅!? クレームできないといいつつ、すぐさま直に伝わってしまうことに!

最初に自分のこころを整えて、ハイヤーセルフとともに穏やかなこころで向きあうと、すんなり解決し、なおかつオマケもついてくるようです。

もうその夜からすぐに静かになりました。

「こころのなかにあるものを見る」、それだけで問題は解決してしまうこともありますが、とにかく目のまえの問題に不平不満を言いたい気持ちをおさえて、こころを平和に整えてあげると、おのずと次になにが必要なのか見えてきます。

目のまえにある問題は、自分でも認識できなくなっているこころの中のゴミを教えてくれています。

だから、それに対してイライラしてしまうのではなく、「見せてくれてありがとう。だから、私はこれで手放すことができるし、より幸せになれる」と感謝して、ハイヤーセルフとともにこころを整えて、導かれながらこころに浮かぶ行動をしてみましょう。

目のまえに現れてくる不具合は癒しのサインです。

これがないと、こころのゴミが処理されることはなく、自分の世界に投影されることで自分自身を苦しめることになってしまいます。

映しだされてきたものに対して不平不満を言うことにエネルギーを注いでしまうと、方向性が癒しではなく攻撃となり、逆に苦しみをふやしてしまうのです。

どのような問題に対しても、「この問題の源として、私のこころにはいったい何があるのだろう?」と問いかけて調べてみましょう。

そして、その後にこころにひらめく解決策を実行してみましょう。

きっと、「あら☆」と笑顔になる結果が待ちうけていることでしょう♡

 

 

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空が気になるこのごろ

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

あら、富士山が見えるじゃない!? と喜んでいたけれど、

空気が澄んできたらふつ〜に毎日見えていることに気づき、東京といえども山並みに囲まれているだな〜と自然を身近に感じます。

富士山を気にするようになったら、空の様子も気になるようになってきました。

今までちゃんと見てあげていなかっただけで、晴れていればけっこう毎日夕焼けがきれいなのです。

太陽が姿を消したあとの茜色はまるで絵のようにきれいです。

 

 

つかのまのピクニックタイム♪

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

明け方、風の音で目が覚めました。

今朝は空気が澄みきって、景色がきらきらしています。

あまりにも気持ちがいいので、所用のあいまにお散歩タイムを。

お弁当を買って、プチピクニックも。

落ち葉の舞い散る音とさまざまな鳥のさえずりをききながらのひなたぼっこ。

つかのまの癒しタイムでした♪

 

 

21-11-23 セラピーをはじめたら不安を感じます

 

Q: セラピーを受けはじめたら、以前よりも怖れや無力感、自己否定的な気持ちを強く感じるようになってしまいました。それは、朝起きたときや、ぼーっとしているときに感じます。なにが起きているのでしょうか?

A: セラピーを開始したとたんに今まで感じたことがない感情に出くわす、というのは「セラピーあるある」なのですが、安らぎや自己肯定感を高めるためにセラピーを受けているのにびっくりしてしまいますよね。

セラピーをはじめると、今まで何重にも強固にロックされていたこころの砦が緩みはじめるからなのです。

私たちは誰もが、こころの無意識の部分に巨大な怖れの塊を隠しもっています。ここに暮らす人で、それをもっていない人はいないのです。

私たちはその塊に直面するのがあまりに恐怖だったために、こころの奥底に埋めこみ、しまいには自分でもそれをすっかり忘れてしまったのです。

それが無意識というこころの城塞で、そこにカギをかけることで出くわさないようにはしているのですが、ふとこころが幸せのなかでくつろぐとそれが勝手に浮上してきてしまうのです。

ほんとうは、幸せのなかで、自分でないものは手放したいだけなのですが・・・。そしてやはり、クサイものはどこに置こうとも、隠しきれないということなのです。

その怖れの塊に怯えている私たちは、出くわさないようにするためにはなんだってするのだ!という心構えです。

私たちが怖れをさけるためにすることといえば、忙しくすることです。

なぜなら、怖れは安らぎのなかで浮上してくるので、とっちらかっているほど安全だ!とエゴは信じているからです。

そして、忙しくする口実は「誰かのため」という、一見よいことのようにも思えることも含まれています。しかし、結局は怖れから逃れるための手段です。

また、過度に刺激を求める(娯楽、嗜好品、恋愛、キケンなこと)というのも怖れを煙にまく方法のひとつでもあります。

じつは、怖れの下には大いなる安らぎや喜び、光が隠されています。

逆にいえば、怖れはエゴが真の自分の輝きを隠すためのラッピングとして使っているものなのです。

これを使えば、ぜったいにほんとうの自分には近づいてこないだろう、そして身勝手なエゴの姿をほんとうの自分だと信じて苦しみつづけるに違いない、と。

だから、「怖れに出会う」ということは、じつはほんとうの自分の輝きに向かってまっすぐに進みはじめている、ということなのです。

自分がためこんでしまった怖れは、その存在をちゃんと認識し、「これは私のもちつづけたいものではないのだ」という正気の判断によって、ようやく手放されるのが可能になります。

怖れに対して「これはいるものなのか、いらないものなのか」という選別ができるようにならなければなりません。

「こんな怖れは私には必要ない! これは私じゃないから」と怖れを握りしめる手を緩めることこそ、自分が解放されることになるのです。


だからまずは、「隠していた怖れが浮上してきてそれを感じることができるようになった」ということは、じつは逃げずにちゃんと直面する準備がととのった、という喜ばしいサインなのです。

怖れはたんにエネルギーなので、じつはドキドキ、ワクワク!というエキサイティングな感覚と中身は同じものです。

しかし、「これは私が避けてきた怖れであって、こんなものはぜったい感じたくない」と、その感じに「怖れ」という拒絶のレッテルをはってしまうと、それを直視できず、逃げることになってしまういます。

だから、せっかく怖れの感情があがってきたのなら、ただあるがままに受け入れて、感じてあげる必要があるのです。

すべては、無防備に受け入れてあげたときに、自分自身とひとつにとけあい、とけあったからには脅威であるものは存在しなくなります。

まずは、浮上してきた怖れのようなものは、解放のさきがけとして受け入れてみましょう。

そして、その感情に「怖れ」のレッテルをはることなく、ただ「その感じ」をそのままに受け入れ、愛でてあげましょう。

せっかく、今まで強固に閉じていたバルブがゆるんで、いらない感情が浮上してきているのなら、それを歓迎してあげましょう。

感情をそのままに感じることができるようになると、自分のなかがどんどん静かになり、その静けさのなかで真の安らぎや喜びや光に出会うことができるようになります。

だから、今までに感じたことがないような感情や思考が浮上してくるときは、解放が起こりはじめたことを喜び、高い意識であるハイヤーセルフに委ねて、解放を安らかに導いてもらいましょう☆

 

 

 

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気づきの日記「セラピーをはじめたら不安を感じます」

 

Q: セラピーを受けはじめたら、以前よりも怖れや無力感、自己否定的な気持ちを強く感じるようになってしまいました。それは、朝起きたときや、ぼーっとしているときに感じます。なにが起きているのでしょうか?

A: セラピーを開始したとたんに今まで感じたことがない感情に出くわす、というのは「セラピーあるある」なのですが、安らぎや自己肯定感を高めるためにセラピーを受けているのにびっくりしてしまいますよね。

セラピーをはじめると、今まで何重にも強固にロックされていたこころの砦が緩みはじめるからなのです。

私たちは誰もが、こころの無意識の部分に巨大な怖れの塊を隠しもっています。ここに暮らす人で、それをもっていない人はいないのです。

私たちはその塊に直面するのがあまりに恐怖だったために、こころの奥底に埋めこみ、しまいには自分でもそれをすっかり忘れてしまったのです。

それが無意識というこころの城塞で、そこにカギをかけることで出くわさないようにはしているのですが、ふとこころが幸せのなかでくつろぐとそれが勝手に浮上してきてしまうのです。

ほんとうは、幸せのなかで、自分でないものは手放したいだけなのですが・・・。そしてやはり、クサイものはどこに置こうとも、隠しきれないということなのです。

その怖れの塊に怯えている私たちは、出くわさないようにするためにはなんだってするのだ!という心構えです。

私たちが怖れをさけるためにすることといえば、忙しくすることです。

なぜなら、怖れは安らぎのなかで浮上してくるので、とっちらかっているほど安全だ!とエゴは信じているからです。

そして、忙しくする口実は「誰かのため」という、一見よいことのようにも思えることも含まれています。しかし、結局は怖れから逃れるための手段です。

また、過度に刺激を求める(娯楽、嗜好品、恋愛、キケンなこと)というのも怖れを煙にまく方法のひとつでもあります。

じつは、怖れの下には大いなる安らぎや喜び、光が隠されています。

逆にいえば、怖れはエゴが真の自分の輝きを隠すためのラッピングとして使っているものなのです。

これを使えば、ぜったいにほんとうの自分には近づいてこないだろう、そして身勝手なエゴの姿をほんとうの自分だと信じて苦しみつづけるに違いない、と。

だから、「怖れに出会う」ということは、じつはほんとうの自分の輝きに向かってまっすぐに進みはじめている、ということなのです。

自分がためこんでしまった怖れは、その存在をちゃんと認識し、「これは私のもちつづけたいものではないのだ」という正気の判断によって、ようやく手放されるのが可能になります。

怖れに対して「これはいるものなのか、いらないものなのか」という選別ができるようにならなければなりません。

「こんな怖れは私には必要ない! これは私じゃないから」と怖れを握りしめる手を緩めることこそ、自分が解放されることになるのです。


だからまずは、「隠していた怖れが浮上してきてそれを感じることができるようになった」ということは、じつは逃げずにちゃんと直面する準備がととのった、という喜ばしいサインなのです。

怖れはたんにエネルギーなので、じつはドキドキ、ワクワク!というエキサイティングな感覚と中身は同じものです。

しかし、「これは私が避けてきた怖れであって、こんなものはぜったい感じたくない」と、その感じに「怖れ」という拒絶のレッテルをはってしまうと、それを直視できず、逃げることになってしまういます。

だから、せっかく怖れの感情があがってきたのなら、ただあるがままに受け入れて、感じてあげる必要があるのです。

すべては、無防備に受け入れてあげたときに、自分自身とひとつにとけあい、とけあったからには脅威であるものは存在しなくなります。

まずは、浮上してきた怖れのようなものは、解放のさきがけとして受け入れてみましょう。

そして、その感情に「怖れ」のレッテルをはることなく、ただ「その感じ」をそのままに受け入れ、愛でてあげましょう。

せっかく、今まで強固に閉じていたバルブがゆるんで、いらない感情が浮上してきているのなら、それを歓迎してあげましょう。

感情をそのままに感じることができるようになると、自分のなかがどんどん静かになり、その静けさのなかで真の安らぎや喜びや光に出会うことができるようになります。

だから、今までに感じたことがないような感情や思考が浮上してくるときは、解放が起こりはじめたことを喜び、高い意識であるハイヤーセルフに委ねて、解放を安らかに導いてもらいましょう☆

 

 

 

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お福わけ♪

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

「イイコトがあったから、お福わけ♪」と、お友だちがプレゼントを送ってくださいました。

シャンプーとトリートメント♡

お友だちも使っているブランドだそうで、いくつかある香りのなかから「こんなイメージであってほしい」という願望をこめて香りを選んでくれたそうで、「楽しみにしていて♪」 と。

こうあってほしい?? いったいどんな香りなのでしょ?

きました〜、こちらで〜す!

なになに・・・? 香りは、「Femme fatale (ファム・ファタール)」。

ファム・ファタールっていうと、ロセッティの絵画を思い出します。ちょっと魔性のひとのイメージ??

説明書きには、「魅惑のティーバ」とありました。

げっ!!!めっちゃハードル高っっ!!(大汗)

フランスの香水で有名な街 グラースの調香師がつくり出した香りで、オリエンタルフローラル。ライチ、リリー、バニラの香りだそうです。

さっそく使ってみました。

ああ〜、日本にはない香りで、まさにヨーロッパを感じます。

泡立てるとダリの香水(あの唇型のビン!)のベースにあるムスクの香りに似ていて、すすぐと白檀のようになり、洗い上がりは甘い香りへと変化します。

香水は使わないけれど、髪だけでもほんのり香ると気分も変わります。

しかし ・・・ファム・ファタール ・・・はるかに遠し(トホホ・・・)。

Kちゃん、お福わけありがとうございます。シャンプー楽しませていただきます♪

 

 

 

21-11-19 appreciate 〜 愛でる生き方

 

FMを聴いていたら流れてきたことば。

「たとえば、苔を守ろうとして芝生を刈ってしまうと、とたんにシッペ返しがくる。・・・生態系はそれ自身でバランスを保っているから、ひとつを変えてしまうと(コントロールしようとすると)とたんにダメになる。大切なのは、状況を appreciate すること ・・・」と、研究者の森田真生さん。

「状況を appreciate する」・・・ appreciate とは、味わい愛でること、認めること、受け入れること、それでよしとすること。

ああ~、ホントそうですね! 状況をただ受け入れること。

生態系と自分の生きる世界はまさにイコールなので、私たちの生き方においても目のまえのことをコントロールしたり、取り除こうとするよりも、ただ appreciate (受け入れ、そのままにする) ことこそが大切なのです。

自分個人として、自分の願望に基づいて、自分の益のために、自分の時間軸で、自分のアタマにたよって、すべてにひとりで対応しようとすると ・・・ どうしたって「全体のために」とはならないものです。

こちらを立てれば、あちらが立たず・・・。

すでに完璧なバランスを保ちながら粛々と進んでいる宇宙の秩序というものは、超ド近視的な個人の視野では理解できないものなのかもしれません。

ヨイことも、時分にとっての恐怖としてしか解釈できないほどこころは怯えているのです。

だから真の問題は、あるがままをあるがままとして appreciate できない自分のココロそのものです。

なんせ、ピンポイントの近視眼でほぼ盲目状態の私たちにしたら、どうでもいいものも脅威となってしまいます。(はい、近視の私は陽が短くなると、暗がりの中で疾走する○-ber 配達自転車がメッチャ脅威です)

結局は、個人も、時間軸も、理由も、あれやこれやもとっぱらって、ずっと引きの目線でものごとを見られたとしたら、

自然の生態系が完全にバランスをとっているように、じつはパズルのピースがみごとにおさまって、遅かれ早かれ全員にとってそのままであることがいちばん益があるということがわかるかるようになるのでしょう。

全体から切りはなされた自分のちっちゃなエゴが何かに怯えて「これを変えるべきだ!」と騒ぎ立てるとき、

それをコントロールしようと四苦八苦するよりも、「なぜ、それが自分にとってそんなに脅威に感じるのか?」「なぜジタバタしたいのか?」「いったいどうなっちゃうと思っているのか?」「そうなっちゃう自分ってどんな自分なのか?」

そちらのほうをじっくり調べて、その原因をどうにかしたほうがよさそうです。

完全さがそこにあるのなら、超ド近視的になってしまう視野(ものの見方)を修正して、すべてをリラックして appreciate できるようにすることこそが解決策です。

すべてのバランスを壊さない、状況を appreciate(味わい愛でる)生き方ができるように、「そんなことムリ!」と言っているエゴのセリフを探求してみましょう。

また、appreciate して(味わい愛でて、あるがままに)見られるようになるためには、自分の都合でものごとを解釈して意味を決めることをやめなければなりません。

自分の都合による意味は、自分にしか意味をなしません。そして、自分の都合は、全体の秩序とは相容れないようです。

だから、ものごとに自己都合の意味をあてはめるのではなく、いったん自分にとっての意味は手放して、高い自己であるハイヤーセルフに尋ねて意味を教えてもらいましょう。

そうすると、完全な秩序という流れにのれるのでしょう。

それが起きているのならば、今のところ、それはそれでよいのです!

だから、状況を appreciate 〜認めて、味わい愛でて、受け入れて〜 リラックスいたしましょう♪

 

 

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気づきの日記「appreciate 〜 愛でる生き方」

 

FMを聴いていたら流れてきたことば。

「たとえば、苔を守ろうとして芝生を刈ってしまうと、とたんにシッペ返しがくる。・・・生態系はそれ自身でバランスを保っているから、ひとつを変えてしまうと(コントロールしようとすると)とたんにダメになる。大切なのは、状況を appreciate すること ・・・」と、研究者の森田真生さん。

「状況を appreciate する」・・・ appreciate とは、味わい愛でること、認めること、受け入れること、それでよしとすること。

ああ~、ホントそうですね! 状況をただ受け入れること。

生態系と自分の生きる世界はまさにイコールなので、私たちの生き方においても目のまえのことをコントロールしたり、取り除こうとするよりも、ただ appreciate (受け入れ、そのままにする) ことこそが大切なのです。

自分個人として、自分の願望に基づいて、自分の益のために、自分の時間軸で、自分のアタマにたよって、すべてにひとりで対応しようとすると ・・・ どうしたって「全体のために」とはならないものです。

こちらを立てれば、あちらが立たず・・・。

すでに完璧なバランスを保ちながら粛々と進んでいる宇宙の秩序というものは、超ド近視的な個人の視野では理解できないものなのかもしれません。

ヨイことも、時分にとっての恐怖としてしか解釈できないほどこころは怯えているのです。

だから真の問題は、あるがままをあるがままとして appreciate できない自分のココロそのものです。

なんせ、ピンポイントの近視眼でほぼ盲目状態の私たちにしたら、どうでもいいものも脅威となってしまいます。(はい、近視の私は陽が短くなると、暗がりの中で疾走する○-ber 配達自転車がメッチャ脅威です)

結局は、個人も、時間軸も、理由も、あれやこれやもとっぱらって、ずっと引きの目線でものごとを見られたとしたら、

自然の生態系が完全にバランスをとっているように、じつはパズルのピースがみごとにおさまって、遅かれ早かれ全員にとってそのままであることがいちばん益があるということがわかるかるようになるのでしょう。

全体から切りはなされた自分のちっちゃなエゴが何かに怯えて「これを変えるべきだ!」と騒ぎ立てるとき、

それをコントロールしようと四苦八苦するよりも、「なぜ、それが自分にとってそんなに脅威に感じるのか?」「なぜジタバタしたいのか?」「いったいどうなっちゃうと思っているのか?」「そうなっちゃう自分ってどんな自分なのか?」

そちらのほうをじっくり調べて、その原因をどうにかしたほうがよさそうです。

完全さがそこにあるのなら、超ド近視的になってしまう視野(ものの見方)を修正して、すべてをリラックして appreciate できるようにすることこそが解決策です。

すべてのバランスを壊さない、状況を appreciate(味わい愛でる)生き方ができるように、「そんなことムリ!」と言っているエゴのセリフを探求してみましょう。

また、appreciate して(味わい愛でて、あるがままに)見られるようになるためには、自分の都合でものごとを解釈して意味を決めることをやめなければなりません。

自分の都合による意味は、自分にしか意味をなしません。そして、自分の都合は、全体の秩序とは相容れないようです。

だから、ものごとに自己都合の意味をあてはめるのではなく、いったん自分にとっての意味は手放して、高い自己であるハイヤーセルフに尋ねて意味を教えてもらいましょう。

そうすると、完全な秩序という流れにのれるのでしょう。

それが起きているのならば、今のところ、それはそれでよいのです!

だから、状況を appreciate 〜認めて、味わい愛でて、受け入れて〜 リラックスいたしましょう♪

 

 

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21-11-11 血のお茶と紅い鎖

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

キモかわはお好き?

いえ、これはキモかわをとおりこしてグロかわです☆

不思議な世界観に目が釘づけで、最後までガン見してしまいました。

お人形を少しづつ動かしながら撮影するストップモーションの作品で、ナント製作年月は13年だそうです(汗)。

あやとりやお裁縫のシーンがあるのですが、細かい指の動きが描写されていて、それだけでもどれだけ時間がかかったことでしょう?

あやとりは、私たちがしていたあやとりとまったく同じでビックリ☆(万国共通なの?!)あなたも、小動物さんたちのあやとりに ↓ 加われますよ〜!

小動物に白ネズミ、カメにカエルに麦畑にお月さま・・・ まるで手作りの人形劇のような可愛らしい雰囲気なのですが、随所にグログロ要素が散りばめられています。

カラスのような小動物が、貴族である白ネズミから女の子の人形の作成を依頼されるところからはじまります。

小動物はせっせと制作にはげむのですが、出来上がったあかつきには白ネズミに渡したくなくなってしまったのです。たとえいくらお金をつまれても。

そこで白ネズミは夜中にやってきて、その人形を盗み去ります。それに気づいた小動物は、まるで愛する人をさらわれたかのように悲しみ、人形を取り戻すべく白ネズミの住む館へと旅立ちます・・・そこで起こるあれやこれやの物語。(→予告を見る

私が鑑賞した翌日にお友だちも観たので、おもわず二人で一時間も語りあってしまいました。(ハイ、語りあいたくなります!)

これはまったくセリブがないので、ちょっとはずれた笛の音や、自然の水音、布や食器の物音、動物の鳴き声のみ。

ことばがないぶん、ダイレクトに感覚が刺激されるよね〜と話していました。

まるで、幼い頃のコワい空想や夢のつづきのようで、無意識に抑圧されている感情をユサユサされるようです。

シュバンクマイエルやクエイ兄弟ほどのいっちゃってる感はありませんが、摩訶不思議なグログロワールドに遊びたいときには是非どうぞ〜☆

 

 

 

お茶の間シネマトーク「血のお茶と紅い鎖」

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

キモかわはお好き?

いえ、これはキモかわをとおりこしてグロかわです☆

不思議な世界観に目が釘づけで、最後までガン見してしまいました。

お人形を少しづつ動かしながら撮影するストップモーションの作品で、ナント製作年月は13年だそうです(汗)。

あやとりやお裁縫のシーンがあるのですが、細かい指の動きが描写されていて、それだけでもどれだけ時間がかかったことでしょう?

あやとりは、私たちがしていたあやとりとまったく同じでビックリ☆(万国共通なの?!)あなたも、小動物さんたちのあやとりに ↓ 加われますよ〜!

小動物に白ネズミ、カメにカエルに麦畑にお月さま・・・ まるで手作りの人形劇のような可愛らしい雰囲気なのですが、随所にグログロ要素が散りばめられています。

カラスのような小動物が、貴族である白ネズミから女の子の人形の作成を依頼されるところからはじまります。

小動物はせっせと制作にはげむのですが、出来上がったあかつきには白ネズミに渡したくなくなってしまったのです。たとえいくらお金をつまれても。

そこで白ネズミは夜中にやってきて、その人形を盗み去ります。それに気づいた小動物は、まるで愛する人をさらわれたかのように悲しみ、人形を取り戻すべく白ネズミの住む館へと旅立ちます・・・そこで起こるあれやこれやの物語。(→予告を見る

私が鑑賞した翌日にお友だちも観たので、おもわず二人で一時間も語りあってしまいました。(ハイ、語りあいたくなります!)

これはまったくセリブがないので、ちょっとはずれた笛の音や、自然の水音、布や食器の物音、動物の鳴き声のみ。

ことばがないぶん、ダイレクトに感覚が刺激されるよね〜と話していました。

まるで、幼い頃のコワい空想や夢のつづきのようで、無意識に抑圧されている感情をユサユサされるようです。

シュバンクマイエルやクエイ兄弟ほどのいっちゃってる感はありませんが、摩訶不思議なグログロワールドに遊びたいときには是非どうぞ〜☆