気づきの日記「イヤな夢をみます・・・」

Q: なんか最近、イヤな夢を見るようになったのですが・・・?(汗)

A: たびたびこんなご質問をうけます。とくに、セラピーが一段落してから、あるいはセラピーの期間中に。

イヤな夢といってもそれはけっこう強烈で、「人を殺してしまいました」みたいな。

そこで私は、「大丈夫ですよ〜!私も殺りましたから♪」とお答えすると仰天されます(笑)。

それはけっこうリアルな夢で、目覚めてからも夢と現実のハザマから抜けだせず、しばしボウゼンとしていましたっけ(汗)。それだけ鮮明だったのです。

バチカンのサン ピエトロ寺院に「開かずの扉」というのがあるのですが・・・

それは25年に一度しか開かない扉です。こどもの頃、その扉を開ける儀式をテレビで見ていたのを覚えています。

お子ちゃまにとっての25年はとてつもなく長く感じるので、「とってもすごい扉を開けているのだ」とそのなりゆきにをドキドキしながら見守っていました。

25年ももったいぶって、いったい何を隠しているのだろう? 扉もキラキラだけど、その向こうはよほどスゴいんだろうな〜? キリストが坐っていたりして?! ・・・と扉の向こうの光景に胸をふくらませて・・・。しかし・・・

そのそびえ立つ大きな扉は計算どおりに開かなくて、法王がハンマーなどでたたいたりして、かなり難航したあげくようやく少し開いた!と思ったら、上からドドっと土砂のようになにかがふり注いできたのです。

扉は漆喰で固めていたらしく、その破片かもしれないし、あるいは25年間のすすやホコリの塊かもしれません。予想外のドドっと襲いかかって舞い上がるものに私も固唾を飲みました。

これなのですよっ!! 私たちがこころを癒しはじめると出くわすのは。

私たちの「ほんとうの自分」「真のちから」「楽園」も、開かずの扉の向こうにしっかりと守られているのです。

それは25年どころではなく、どれだけ輪廻をくりかえして、「今度こそ開けてやるんだ!」と固く決意をしながらやってきても、それは叶えられぬままです。

なぜなら、目のまえのあれこれにかかずらっているうちに、扉を開けるんだった!という目的をすっぽり忘れてしまうから。

大掃除をしていて、何か懐かしいもの、珍しものに出くわして、それに気をとられいるうちにお掃除をすっかり忘れて遊びほうけちゃう感じ。

また、それだけ大切な「ホンモノ」、「楽園」を守る扉は、そうそうたやすく手が届くようにはできていないのです。しっかりと、がっちりと守られています。

でも、今回、ようやく! ついに! めでたく! こころの開かずの扉に手をかけて、ナント! くさびを打ちこんでしまったのです。それゆえに、扉はきしみはじめました。

そうしたら、封印のための漆喰やら、永年のちりにホコリに、さらにコウモリやらネズミやら、わけのわからないゲジゲジ虫も、あれもこれも ・・・いっせいに飛び出してきちゃったというわけです。

それがこの悪夢の正体。

「真の自分」「自分の楽園」を守ってきたこころの扉、いままで一度も開けたことのない扉がきしんで、開きそうになっている証拠なのです。

でも、人はここで思うのです。こんないやな気もちになるのは、きっと何かが間違っているにちがいない ・・・ と。

これこそがエゴの罠です。怖れや疑い、狂気の感覚を使って、ぜったいにこの扉に触れないようにたくらんでいるのです。ほんとうは、めちゃくちゃうまくいっていること、牙城が崩されそうだ、ということを必死で誤摩化したいのです。

なぜなら、ほんとうの自分を見つけてしまったら、幸せな自分になってしまったら、エゴは一巻の終わりです。消えてしまうしかないのです。だから絶対見つけてほしくないのです。

そのため、エゴはその「真の自分」「楽園」を、「恐怖」や「悪夢」でラッピングしちゃったのです。そうすれば、誰もそれに近づいてこられないからです。

でも、セラピーをはじめると、「恐怖」などの怖れの感情をそのまま受けとめて無防備に感じる練習をします。そして、とても上手になってしまいます。

ということは、この宝ものを包んでいる恐怖というラッピングに直面しはじめるわけです。それをどんどんほどきながら。

だから、夢のなかで怖れに出会うのは、抑圧して見ないようにしていた怖れにようやく直面できるようになったということであり、むしろ、正しいプロセスの道しるべとも言えます。

そのまま突き進みましょう。恐れを玉砕しましょう。バチカンの扉のように、その向こうにこそお宝があります。

ちょっとキツく感じるときには、ハイヤーセルフにお願いして、すこし歩みをゆっくりにしてもらうこともできます。「もう少しお手やわらかに」とお願いしてみてください。

けれども、いずれ、どこかの人生のなかで、かならず向きあうことになるシロモノです、その怖れは。今生でやるのか、それとも次に持ちこすのか。

でも、なぜコワいのかという理由がわかっていれば、そんな怖さも笑えたりするものです。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

19-09-29 メアリーの総て

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

メアリーってだあれ・・・ て?

メアリーは、誰もが知るあの「フランケンシュタイン」の作者です。17歳のころに物語を書きはじめ、わずか18際で世に送り出しました。

私たちがフランケンシュタインに惹かれてしまうのは、それがホラーや怪奇ものとは一線を画するから。なんぜ、フランケンシュタインは哀しいのです・・・(泣)。

理想の人間を求めてつぎはぎだらけで作り出されるのですが、できあがったのは醜いモンスター。作者から愛されるどころか、忌み嫌われ、見捨てられ、孤独と絶望のなかで生きることになります。

この見捨てられや孤独・・・ は誰のこころの奥にも潜む思いであり、この怪物の悲しみは読むものに「人ごとではない」感覚を与えるのです。(え〜〜ん! 作ったんだから、愛してくれ〜〜〜!!)

メアリーの父は作家でもあり、本屋を営んでいます。メアリーも作家志望で、こっそりと怪奇小説を読みあさる日々。

そんなメアリーに父親は、「人まねではなく、自分の声を探せ」と厳しくたしなめていました。

メアリーが16歳の頃、父のもとに学びにやってきた美貌の詩人シェリーとまたたくまに恋に落ち、妻子があることを知りながら駆け落ち。ここから、彼女の苦難が始まります。

お酒にも女性にもお金にもだらしないシェリーの放蕩で家も財産も失い、夜逃げの道中では生まれたばかりの赤ん坊まで命を落とすことに。

失意のまま身をよせたのが、詩人のバイロンの館。雨つづきの日々、退屈したバイロンがメアリーや滞在者に提案したあそびが、「ひとりづつ、怪奇物語を作って披露する」ことだったのです。

精神的にも肉体的にもギリギリの日々をすごしたすえに、バイロンというちょっといっちゃってる人物の登場で、メアリーはついに自分のこころの声にふれ、語るべき物語があふれだします。

まさに、シェリーとともにした二年のあいだの痛みこそが、メアリーのこころの叫びを外に押しだしたのです。

その物語の怪物は、自分を生みだした作者に嫌われるわけですが、それはまさに自分の出生によって命を落とした母に対するメアリー自身の罪悪感を重ねあわせているようです。

また、死んだ者を蘇らせたいという願望も、亡き母と娘へのこころの叫びだったのかもしれません。

これはわずか200年まえのことですが、まだロウソクで本を読んでいる時代です。そして、女性が本を書くということすら、正々堂々と認められる時代ではなかったのです。

「フランケンシュタイン」は、初版こそ作者の名前がないのですが、その後は堂々とメアリー・シェリー著と記されたようです。

メアリー役のエル・ファニングはちょうどメアリーと同じ年代でしょうか? 知的な美しさで、当時のドレス姿も似合っています。

映像も雰囲気があって、まるでヴィクトリア朝の絵画をおもわせます。

バイロンの館にハインリヒ・フュースリーの「悪夢」がかけられています。

メアリーはこの絵画にも影響されるのですが、フュースリーがメアリーのお母さんの恋人だったというのも、なおさら彼女にこの絵を印象づけたのかもしれません。

私もその昔、この絵をはじめて観たときに惹きつけられました。フロイトもこの絵を好きだったそうな。人のこころの奥深くにあるシャドウを刺激するような絵です。(たしか「ゴシック」という映画でも、この絵が題材にされてましたっけ。)

映画のなかで語られている「フランケンシュタイン」の文章がとても表現力豊かで美しかったので、是非、メアリーの文章を読んでみたくなりました。

 

お茶の間シネマトーク「メアリーの総て」

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

メアリーってだあれ・・・ て?

メアリーは、誰もが知るあの「フランケンシュタイン」の作者です。17歳のころに物語を書きはじめ、わずか18際で世に送り出しました。

私たちがフランケンシュタインに惹かれてしまうのは、それがホラーや怪奇ものとは一線を画するから。なんぜ、フランケンシュタインは哀しいのです・・・(泣)。

理想の人間を求めてつぎはぎだらけで作り出されるのですが、できあがったのは醜いモンスター。作者から愛されるどころか、忌み嫌われ、見捨てられ、孤独と絶望のなかで生きることになります。

この見捨てられや孤独・・・ は誰のこころの奥にも潜む思いであり、この怪物の悲しみは読むものに「人ごとではない」感覚を与えるのです。(え〜〜ん! 作ったんだから、愛してくれ〜〜〜!!)

メアリーの父は作家でもあり、本屋を営んでいます。メアリーも作家志望で、こっそりと怪奇小説を読みあさる日々。

そんなメアリーに父親は、「人まねではなく、自分の声を探せ」と厳しくたしなめていました。

メアリーが16歳の頃、父のもとに学びにやってきた美貌の詩人シェリーとまたたくまに恋に落ち、妻子があることを知りながら駆け落ち。ここから、彼女の苦難が始まります。

お酒にも女性にもお金にもだらしないシェリーの放蕩で家も財産も失い、夜逃げの道中では生まれたばかりの赤ん坊まで命を落とすことに。

失意のまま身をよせたのが、詩人のバイロンの館。雨つづきの日々、退屈したバイロンがメアリーや滞在者に提案したあそびが、「ひとりづつ、怪奇物語を作って披露する」ことだったのです。

精神的にも肉体的にもギリギリの日々をすごしたすえに、バイロンというちょっといっちゃってる人物の登場で、メアリーはついに自分のこころの声にふれ、語るべき物語があふれだします。

まさに、シェリーとともにした二年のあいだの痛みこそが、メアリーのこころの叫びを外に押しだしたのです。

その物語の怪物は、自分を生みだした作者に嫌われるわけですが、それはまさに自分の出生によって命を落とした母に対するメアリー自身の罪悪感を重ねあわせているようです。

また、死んだ者を蘇らせたいという願望も、亡き母と娘へのこころの叫びだったのかもしれません。

これはわずか200年まえのことですが、まだロウソクで本を読んでいる時代です。そして、女性が本を書くということすら、正々堂々と認められる時代ではなかったのです。

「フランケンシュタイン」は、初版こそ作者の名前がないのですが、その後は堂々とメアリー・シェリー著と記されたようです。

メアリー役のエル・ファニングはちょうどメアリーと同じ年代でしょうか? 知的な美しさで、当時のドレス姿も似合っています。

映像も雰囲気があって、まるでヴィクトリア朝の絵画をおもわせます。

バイロンの館にハインリヒ・フュースリーの「悪夢」がかけられています。

メアリーはこの絵画にも影響されるのですが、フュースリーがメアリーのお母さんの恋人だったというのも、なおさら彼女にこの絵を印象づけたのかもしれません。

私もその昔、この絵をはじめて観たときに惹きつけられました。フロイトもこの絵を好きだったそうな。人のこころの奥深くにあるシャドウを刺激するような絵です。(たしか「ゴシック」という映画でも、この絵が題材にされてましたっけ。)

映画のなかで語られている「フランケンシュタイン」の文章がとても表現力豊かで美しかったので、是非、メアリーの文章を読んでみたくなりました。

 

19-09-23 家へ帰ろう

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

 

ブエノスアイレスに暮らす仕立て屋のアブラハムは88歳。

老人ホームに入れられる前日、こどもたちや孫が集まってくれたものの、彼の気難しさは相変わらず。

彼らをさっさと帰してしまったと思ったら、アブラハムはその日のうちに家出をくわだてたのです。じつは、最後に仕立てたスーツをどうしても渡さなければならない相手がいて、向かった先はナント、ヨーロッパ大陸、ポーランド。

高齢で身体はなまりのように重く、そのうえ足も悪い彼にとって、遠距離の一人旅は困難をきわめます。

なんせ突如思いたった旅なので、まずはブエノスアイレスからマドリッドへ飛んで、そこからパリへ行き、ドイツ乗り換えの鉄道でワルシャワへ ・・・。

けれども、彼はドイツという言葉も口にしたくなければ、ドイツなどに足もつけたくなく、ドイツ語も耳にしたくない。彼はホロコーストを体験したユダヤ人だったのです。

そのうえ、旅の途中で全財産を盗まれるしまつ。

じつは、彼の偏屈さ、気難しさは、彼のこころの癒しても癒しきれない悲しみにも関係している様子。

旅の途中でさまざまなことにみまわれるものの、ゆきずりに見えた人々が彼の天使に姿を変えてゆきます。そして、ひとつひとつが癒しへと導かれてゆくのです。

アブラハムが命を落としそうになったときに出会った看護士の女性が、「神はすべての人を守ってくださる。すべて神のご意志だから」という言葉をかけ、彼は意を決して自分の怖れに立ち向かいます。(もう! アブラハムったらご高齢のわりには、つぎからつぎへと魅力的な女性に助けられちゃって。「俺も、今だってすてたもんじゃないだろ!」って、思ってたでしょ?!笑)

看護士の女性の言葉を証明するように、この旅はアブラハムの人生の最終章において神さまからの愛が輝きだします。

もう涙だらだら・・・。アブラハムとともに癒されました♡♡
涙壷度:★★★★☆(人と人のこころがつながったときに奇跡が生まれます。)

 

 

お茶の間シネマトーク「家へ帰ろう」

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ブエノスアイレスに暮らす仕立て屋のアブラハムは88歳。

老人ホームに入れられる前日、こどもたちや孫が集まってくれたものの、彼の気難しさは相変わらず。

彼らをさっさと帰してしまったと思ったら、アブラハムはその日のうちに家出をくわだてたのです。じつは、最後に仕立てたスーツをどうしても渡さなければならない相手がいて、向かった先はナント、ヨーロッパ大陸、ポーランド。

高齢で身体はなまりのように重く、そのうえ足も悪い彼にとって、遠距離の一人旅は困難をきわめます。

なんせ突如思いたった旅なので、まずはブエノスアイレスからマドリッドへ飛んで、そこからパリへ行き、ドイツ乗り換えの鉄道でワルシャワへ ・・・。けれども、彼はドイツという言葉も口にしたくなければ、ドイツなどに足もつけたくなく、ドイツ語も耳にしたくない。彼はホロコーストを体験したユダヤ人だったのです。

そのうえ、旅の途中で全財産を盗まれるしまつ。

じつは、彼の偏屈さ、気難しさは、彼のこころの癒しても癒しきれない悲しみにも関係している様子。

旅の途中でさまざまなことにみまわれるものの、ゆきずりに見えた人々が彼の天使に姿を変えてゆきます。そして、ひとつひとつが癒しへと導かれてゆくのです。

アブラハムが命を落としそうになったときに出会った看護士の女性が、「神はすべての人を守ってくださる。すべて神のご意志だから」という言葉をかけ、彼は意を決して自分の怖れに立ち向かいます。(もう! アブラハムったらご高齢のわりには、つぎからつぎへと魅力的な女性に助けられちゃって。「俺も、今だってすてたもんじゃないだろ!」って、思ってたでしょ?!笑)

看護士の女性の言葉を証明するように、この旅はアブラハムの人生の最終章において神さまからの愛が輝きだします。

もう涙だらだら・・・。アブラハムとともに癒されました♡♡
涙壷度:★★★★☆(人と人のこころがつながったときに奇跡が生まれます。)

 

フランスのお菓子缶

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

フランスのお土産をいただきました。

「かわいい缶を見つけると貴子先生を思い出します」とMさん(わあ♡恐縮ですっ!)。Mさんのおかげで手元にきれいな缶がふえました。

もともと缶好きだったのですが、フランスのお菓子缶はレトロな雰囲気が特別にかわいいのです。

使いこんで古くなってもオシャレに見えます。

今回の缶は、マドレーヌやらタルト、ドラジェなど、フランスらしいスウィーツ柄と、

パリの街並がカラフルに描かれたスーツケース型。

なかのチョコレートも、エッフェル塔、凱旋門、ノートルダム、サクレクール、ルーブル、お城(ユーロディズニー?)とパリの名所めぐりができちゃいます。

お菓子もとてもおいしいのですが、ながめているだけで楽しくなります♪ ありがとうございます♡

 

 

どんだけ好きなの?!(笑)

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

「えっと・・・栗でしょ。それから、カボチャ、タマネギ、ごぼう、豆、トウモロコシ ・・・」
「あ、桃も!!」

これは、本日の八百屋さんでのお買い物リストについて話しているわけではありません。

今までお友だちと食事をしたとき、ペニンシュラホテルのラウンジで出てきたスープの種類。じつは、私たちはここのスープが大好きでずっと通っています。

「ビシソワーズのときもあったよ!」「二回食べてるのもあるよね」 ・・・ となると、もう十回以上は来ているよう。

ちなみに、本日は秋らしく「栗」のポタージュに香ばしいカリカリのパンチェッタベーコンをあわせたスープでした。大きなスープボウルにたっぷりと。目がハートになるぐらいおいし〜い♡

ペニンシュラのダイニングはスープだけでなく、パンも小麦とイースト、バターの香りがとってもよくて思わずおかわりしちゃうし(「おいくつおとりいたしましょうか?」と言われて、「全部くださいっっ!!」と言いそうになります。笑)、

デザートもおいしいし(アフタヌーンティーにも何度も来ているので、太鼓判☆)、またカフェラテも大きなボウルのようなカップでたっぷり、苦みもコクも私たち好み、もちろんメインのお料理もいつもおいしく ・・・ ほぼ絶賛ですね(笑・決してペニンシュラのまわしものではありませんぬ)。

何回も通ううちに、まるで自分たちのダイニングのようです。そのときどきで洋楽器、和楽器の生演奏もあり、姫気分がもりあがります。

(あら〜、お魚料理・・・ちょっと顔色わるく撮れてしまいましたが、ポワレは焼き加減が絶妙でソースも甘味のあるパンプキンと酸味のあるルッコラで、とっても美味でした。)

本日は、九月生まれのお友だちのプレお誕生会もかねて〜〜♪ (おめでと〜〜♡ よい一年になりますように!)

いつも通りお料理もおいしく、お話もはずんで、楽しい夕べでした☆☆☆

 

19-09-14 パーフェクト ワールド

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

クリント・イーストウッドの監督作品はどれも大好き♡

どのストーリーも、性別、年齢、境遇をこえて登場人物のこころの動きや葛藤に引きこまれてしまいます。

けれど、好きといいつつまだ観ていない作品もいくつかあって、そのひとつがこの「パーフェクト ワールド」。

殺人犯であるブッチ(ケビン・コスナー)が、刑務所からみごとに脱獄し、逃走途中で小さな男の子を人質にとり、またも殺人を重ねながら、追っ手をかわし逃走をつづけるというお話。それを追う警察署長が監督でもあるクリント・イーストウッドで、この署長はかつてブッチにかかわった人物なのです。

ドキドキするような映画はいろいろ観てきたけれど、劇場鑑賞ではないのをいいことに「ああ〜〜!やめて〜〜〜!(汗)」と何度か叫んでしまったし、見ていられずに目をおおった場面も。

ブッチはどこか脱獄囚のイメージとは違って、人間味のある優しさがあって、常識ももちあわせているし、また頭の回転も早いのです。その一方で、ある状況におかれると即座にこころは怒りに支配されてしまい、容赦のない残酷さが顔をのぞかせるのです。

その怒りのポイントにふれなければ、彼はそのもちまえの人柄からよい人生を送れたはずなのに。

彼がキレるポイントは彼の生い立ちに関わることで、こころの癒されていない傷がうずくような場面では怒りからの行動がおさえられず凶暴になります。それも、自分のこころの痛みを必死に隠すための凶暴さなのですが。

ブッチと人質となった八歳の男の子はともに、父親の愛に飢えていて、同じような思いをかかえて少年時代を過ごしているために、ふたりがは時間をともに過ごすうちに親子のような、また相棒とも呼べるような絆が芽生えはじめます。

脱獄囚と連れまわされている人質であるはずなのに、この二人の様子を見ていると、誰も傷つけることなく安全に生きのびてほしいと願わずにいられません(だから、ハラハラする〜〜〜!汗)。

このふたりがともに過ごすことができるなら、ブッチはこの少年の面倒を見ながら自分のなかの傷を負ったこどもを癒すことができるだろうし、少年はふれたことのない父性をブッチから受けとって自信をつけ解放されることでしょう・・・。

この作品は1994年に公開されていますが、その当時に観るよりも、トシを重ねた今観るからこそ、さまざまな思いを感じとることができるのかもしれません。

涙壷度:★★★☆☆(もれなく泣けます! ケビン・コスナーのこんな悪役もいいわ〜♡)

 

お茶の間シネマトーク「パーフェクト ワールド」

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

クリント・イーストウッドの監督作品はどれも大好き♡

どのストーリーも、性別、年齢、境遇をこえて登場人物のこころの動きや葛藤に引きこまれてしまいます。

けれど、好きといいつつまだ観ていない作品もいくつかあって、そのひとつがこの「パーフェクト ワールド」。

殺人犯であるブッチ(ケビン・コスナー)が、刑務所からみごとに脱獄し、逃走途中で小さな男の子を人質にとり、またも殺人を重ねながら、追っ手をかわし逃走をつづけるというお話。それを追う警察署長が監督でもあるクリント・イーストウッドで、この署長はかつてブッチにかかわった人物なのです。

ドキドキするような映画はいろいろ観てきたけれど、劇場鑑賞ではないのをいいことに「ああ〜〜!やめて〜〜〜!(汗)」と何度か叫んでしまったし、見ていられずに目をおおった場面も。

ブッチはどこか脱獄囚のイメージとは違って、人間味のある優しさがあって、常識ももちあわせているし、また頭の回転も早いのです。その一方で、ある状況におかれると即座にこころは怒りに支配されてしまい、容赦のない残酷さが顔をのぞかせるのです。

その怒りのポイントにふれなければ、彼はそのもちまえの人柄からよい人生を送れたはずなのに。

彼がキレるポイントは彼の生い立ちに関わることで、こころの癒されていない傷がうずくような場面では怒りからの行動がおさえられず凶暴になります。それも、自分のこころの痛みを必死に隠すための凶暴さなのですが。

ブッチと人質となった八歳の男の子はともに、父親の愛に飢えていて、同じような思いをかかえて少年時代を過ごしているために、ふたりがは時間をともに過ごすうちに親子のような、また相棒とも呼べるような絆が芽生えはじめます。

脱獄囚と連れまわされている人質であるはずなのに、この二人の様子を見ていると、誰も傷つけることなく安全に生きのびてほしいと願わずにいられません(だから、ハラハラする〜〜〜!汗)。

このふたりがともに過ごすことができるなら、ブッチはこの少年の面倒を見ながら自分のなかの傷を負ったこどもを癒すことができるだろうし、少年はふれたことのない父性をブッチから受けとって自信をつけ解放されることでしょう・・・。

この作品は1994年に公開されていますが、その当時に観るよりも、トシを重ねた今観るからこそ、さまざまな思いを感じとることができるのかもしれません。

涙壷度:★★★☆☆(もれなく泣けます! ケビン・コスナーのこんな悪役もいいわ〜♡)

 

すべてよきこと♪

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

お友だちと久しぶりのランチ♪

いったいどのぐらいお久しぶりなのかわからないぐらいのお久しぶりで・・・ そ〜いえば、海外のワークショップで一緒になってワークしたよね? あれって、おそらく15年まえ?!

すっかりご無沙汰しちゃって・・・と話していても、

やっぱり、今日、「今」こうして会って話すのがベストなタイミングで、

ここにひとつの答えがあって、それをふたりで確認しあって、「なるほどね!」と納得しあって、そしてまた出発する。 ・・・ そんな再会でした。

案じなくてもすべては勝手に、いちばんよいタイミングで、お互いにとってよきことのために!

そして、道のりを確認しあって、さあまた出発しよう! みたいな・・・。

ありがとうKYちゃん、またね〜♪ 次も、完璧なタイミングで引き寄せられるようにランチをして、気づきを喜びあいましょうね〜♡

最近ちょくちょく足を運ぶメキシカンさんにて(@アシエンダ デル シエロ 代官山)。
まずは、サングリアとともにみずみずしいサラダ♪

私はタコスプレート♡ KYちゃんはメカジキのファフィータ☆ with パッションフルーツジュース and おかわり自由なトルティーヤでした〜♪