21-04-23 グレムリン

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

ひさしぶりに「グレムリン」観ました〜♪

愛らしい声で歌うふわっふわのギズモしか印象にのこっていなかったのですが ・・・ 観てみたらそのグロさにびっくり仰天☆ これってホラーではありませんかっ?!

とくにギズモをもらってきたおうちのお母さんときたら!

家のなかで得体のしれないグロテスクなものが孵化しはじめたら、誰もが一目散に逃げそうなものですが・・・ このうちママはちがうのです(汗)。

「私のうちにそのようなものは許さない!」とばかりに、キッチングッズを駆使してつぎつぎグレムリンを殺ってしまうママの鬼気迫る様子には、目をおおうものがあります。

一匹をグラインダーですりつぶしたかと思えば、もう一匹を電子レンジにとじこめ爆発させ、さらに他のを肉切り包丁でまっぷたつ ・・・(ひゃ〜〜、もうやめて!汗)。

グレムリンよりも、このお母さんのほうがよっぽどコワいよ〜〜〜(汗)。

もちろんグレムリンも、そうとうグログロですが。でも、懐かしさをかんじるグログロさ。

この時代の気持ち悪さって、「エイリアン」とか「ザ・フライ」にも見られるように、グロテスクなサナギのようなものがカサカサカリカリ音をたてて、スモークとともにネバネバと糸をひくわけのわからないものが生まれてくる ・・・ というパターン。

今はどうなのでしょう? もっと心理的、生理的なイヤさかげんに変わっているのかもしれません。

あんなに可愛いギズモちゃんから分裂して生まれてくる超凶暴で残酷で強欲なグレムリン。

これって私たちのなかに存在する二つの自己のようです(グレムリンは欲望にかられて闘争にあけくれるエゴの自分、ギズモは安らいで幸せでいるほんとうの自己)。

エゴエゴグレムリンは、エザをあげることでいったん欲望に火がついてしまったら大変なことになります。利己的で凶暴で、智恵は欲望を満たすためのキケンな凶器となり・・・。

どんどん増殖してゆくさまは、まさにエゴが欲望とともに大きくんなってゆく様子と同じです。

ほんとうの自分を失わないためにも、過度な欲望(夜中のエサ)にはご用心!

グレムリンは光にだけはどうすることもできないのですが、それはエゴが光(真理)にさらされるとひとたまりもなく消え去ってしまうよう。

グレムリンを自分のなかのエゴの象徴として見ていると、その凶暴さに笑ってしまいます。

「バックトウザフューチャー」やら、「インディジョーンズ」「フラッシュダンス」など、この時代のハリウッド作品って、今の作品にないようなワクワク感がありました(シンプルでわかりやすい?)。

「グレムリン」もとっても懐かしいでした(→予告を見る)(→かわいらしいギズモちゃんはこちら!)。

 

 

お茶の間シネマトーク「グレムリン」

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ひさしぶりに「グレムリン」観ました〜♪

愛らしい声で歌うふわっふわのギズモしか印象にのこっていなかったのですが ・・・ 観てみたらそのグロさにびっくり仰天☆ これってホラーではありませんかっ?!

とくにギズモをもらってきたおうちのお母さんときたら!

家のなかで得体のしれないグロテスクなものが孵化しはじめたら、誰もが一目散に逃げそうなものですが・・・ このうちママはちがうのです(汗)。

「私のうちにそのようなものは許さない!」とばかりに、キッチングッズを駆使してつぎつぎグレムリンを殺ってしまうママの鬼気迫る様子には、目をおおうものがあります。

一匹をグラインダーですりつぶしたかと思えば、もう一匹を電子レンジにとじこめ爆発させ、さらに他のを肉切り包丁でまっぷたつ ・・・(ひゃ〜〜、もうやめて!汗)。

グレムリンよりも、このお母さんのほうがよっぽどコワいよ〜〜〜(汗)。

もちろんグレムリンも、そうとうグログロですが。でも、懐かしさをかんじるグログロさ。

この時代の気持ち悪さって、「エイリアン」とか「ザ・フライ」にも見られるように、グロテスクなサナギのようなものがカサカサカリカリ音をたてて、スモークとともにネバネバと糸をひくわけのわからないものが生まれてくる ・・・ というパターン。

今はどうなのでしょう? もっと心理的、生理的なイヤさかげんに変わっているのかもしれません。

あんなに可愛いギズモちゃんから分裂して生まれてくる超凶暴で残酷で強欲なグレムリン。

これって私たちのなかに存在する二つの自己のようです(グレムリンは欲望にかられて闘争にあけくれるエゴの自分、ギズモは安らいで幸せでいるほんとうの自己)。

エゴエゴグレムリンは、エザをあげることでいったん欲望に火がついてしまったら大変なことになります。利己的で凶暴で、智恵は欲望を満たすためのキケンな凶器となり・・・。

どんどん増殖してゆくさまは、まさにエゴが欲望とともに大きくんなってゆく様子と同じです。

ほんとうの自分を失わないためにも、過度な欲望(夜中のエサ)にはご用心!

グレムリンは光にだけはどうすることもできないのですが、それはエゴが光(真理)にさらされるとひとたまりもなく消え去ってしまうよう。

グレムリンを自分のなかのエゴの象徴として見ていると、その凶暴さに笑ってしまいます。

「バックトウザフューチャー」やら、「インディジョーンズ」「フラッシュダンス」など、この時代のハリウッド作品って、今の作品にないようなワクワク感がありました(シンプルでわかりやすい?)。

「グレムリン」もとっても懐かしいでした(→予告を見る)(→かわいらしいギズモちゃんはこちら!)。

 

 

ようやくオンラインお集り会

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コロナ自粛も一年たって、ようやくオンラインお茶会や飲み会を始めるようになりました。(みなさん、と〜っくに始められていることでしょう!)

オンラインでのお仕事(オンラインセッション)はすぐに開始したものの、それでも慣れるまであれこれ大変。画面が突然固まったり、タブレットをひっくり返したり・・・ お友だち相手に予行練習をしておりました。

灯りをふやしすぎて「あなた誰?」というほど能面ちっくになってしまったり、逆に暗すぎて「ホラーですか?」というぐらいあやしい雰囲気になってしまったり・・・(汗)。

ようやくベストポジションが見つかりましたが、今でも画面と音声のズレにはなかなか慣れることができません。

そうは言っても、もののふた昔まえぐらいまでは、国際電話のような遠方の電話代はめちゃくちゃかかっていたので、まったくタダで顔を見ながら話せるのはかなり画期的な進歩ですよね。

さて、今夕はオンライン飲み会です!(なんせ、東京はふたたび蔓延状態ですからね〜)

きょうは、あらかじめ飲み会の設定を決めてあります。イタリアンパブ風♪  おつまみはピザとか、それっぽい洋風おつまみで。私はお茶け派なので、ブラッドオレンジジュースかな?(焼き鳥屋さんの設定だと、焼き鳥や和風小鉢など。)

オンラインだと、「それ、おいしそうだね!」と言われても、「ひとくちどうぞ!」ができないのが残念です。

先日のお茶会でも、「明日は何スウィーツにする?」なんてあらかじめおうかがいたててみたりして。

結局、私は最近ごひいきのコンビニスウィーツでショコラチーズケーキ(でさっぱりしてて美味しかったです♪)。

お友だちは、白玉とホイップクリームののったゴマプリンでした(めっちゃ美味しそうでした〜♡)。

お互いのお部屋がうつっていると、なんか同じ空間にいるようなリラックス感で、あれこれお話しているうちにあっというまに二時間半も経過!

オンラインの飲み会、お茶会は、「じゃあまたね〜!」と手をふって解散したら、ソク帰宅しているところが便利です。

酔っぱらった方は、そのままバッタリいってしまっても路上のゴロ寝にはなりませんからね〜。

こんどの飲み会のときにはまったく同じメニューでデリバリーをとって、同じテーブル感を演出してみようか?なんて話しています。

 

 

 

花&ダンゴ、ふたたび♪

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

所用で東北へお出かけ。

途上、ふたたびサクラを楽しむことができました。

花、とくればダンゴもね!

みちのくのおいしいお弁当をゲット♡

私は、春の食材たっぷりのタケノコご飯。カニめしと炭焼き牛たんもお味見させていただきました〜。(最近のお弁当は、ヒモひとつであっつあつ〜!)どれもおいしい  ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

コロナですっかりお出かけと縁がなくなっておりましたが、ささやかながら遠足気分です♪

 

 

 

21-04-11 占いとのつきあい方

 

Q: パートナーが占いにはまっています。いちいち占いに頼り、「あっちの方向はよくない」とか「今は時じゃないとか」、何を決めるのも、何をするのも占いの結果しだいで、以前よりも神経質になり、自由がなくなったように感じ息苦しくなってしまいます。

A: 占ってもらった方向、日時でしか行動を起こせない・・・。よくないことを言われると「そうなんだ」と丸ごと受け入れてしまう・・・。自分の感覚よりも占いの方がずっと重要・・・。

こうなると、占いを自分よりもずっと高いポジションに奉ってしまっています。自分よりもパワーのある源にしてしまっているのです。そうすると、自分はさらにヨワヨワになるのが当然で、思いのままに生きる自由や喜びがなくなってしまいます。

占い師の方が、かなり断定的なもの言いだったり、自分がひそかいに思っていることと同じことを言われると、さらにパワーを与えてしまういがちです。

占いにしても何にしても、この世に存在するものは、それはたんなる道具です。

道具は「自分」が使うものであって、それに支配されるものではありません。

だから、占いを使うときには、自分の道具であることを認識して「どのように」使うのかを決めなければなりません。なぜなら、道具は自分を傷つけるために使うこともできるし、自分の可能性を広げるために役立てることもできるからです。

占いに頼ってしまっているとき、「自分が感じるままに行動したらよくない結果になる」という自分への不信感や、「未来に光がないように思える」という現状へのガッカリ感がこころに潜んでいます。

「自分には自分を幸せにする力がない」と感じているのです。

だからといって占いが自分を幸せにできるかというと、そんなことはありません。自分にできないことは、誰にもできません。ここにいる自分を救えるのは、自分だけなのです。

だから、その主導権は決して誰かに渡してしまってはいけないのです。

道具であるはずの占いも、確信と自信のない自分にとっては危険な道具になりかねません。

占いという道具が自分を傷つけてしまう使い方は、それをそのまま受け入れてしまうこと。

「いつ、こんなことが起きますよ」と言われ、誰かや、ものごとという外側の世界にパワーを与えてしまうことです。

それは、占いこそが力をもっていて、それが自分の未来を予測し、自分はそうなるしかないのだ、と運命の奴隷になってしまいます。

一方、自分のための道具として役立てるためには、言われたことをいったん自分のこころに戻してみることです。そして、自分がどう反応しているのか、感じてみることです。

あまりよくないことが起こると言われたとき ・・・ いったい自分はどんな状況に抵抗し、また恐怖を感じているのかを知ることができます。そんな状況に呑み込まれてしまう自分をイメージしているのです。

でも、その状況に抵抗しているからこそ、この言葉を聞いたともいえます。

逆に、いいことを言われて喜んでいるとき ・・・ そのような現実を未来に望んでいる自分は、たった今、安心して満ち足りてはいない、今、幸せになることを自分にゆるしていないことがわかります。

どちらの場合も、そのがっかり感こそを癒さなければなりません。

占いによって伝えられる未来には、意味がありません。なぜなら、私たちがいられるのは、たった「今」のこの瞬間以外ないからです。

未来の何かは、今の自分のこころの状態を写しだしてくれています。

いったん自分が「欠乏感を感じている」ということを認めることができたなら、たった今、それを癒すことで、「今」この瞬間に満ち足りることもできるのだ、ということがわかります。

いちばんよい占い師さんは、「あなたにはこういう問題があるから、まずそのこころを癒しなさい」と問題をこころに戻してくれる方です。たった今の改善点を、こころという原因で改善できることを教えてくれる方です。

自分の目にするものは、占いであろうと何であろうと、自分のこころから出てきています。

占いでも、人から言われたことでも、うまく活用するには、「これを言われて落ちこんでいる自分って・・・? これを言われて喜んでいる自分って・・・? いったい何を感じているのだろう?」というように、自分の反応を冷静に見て、自分がどういう状態であるのかに気づくことです。

気づいたら、「ああ、そんなふうに私は感じていたのだなぁ」と、そのヨワヨワ感に抵抗したり、否定することなく、ただ受け入れて感じてあげましょう。認めて、受け入れることが大切なのです。

否定や抵抗がなくなれば、ものごとがスムーズに流れるようになり、いちばんよいときにいちばんよいようになることを信頼できるようになります。

また、抵抗感がなくなることでこころに新たなスペースができ、そこに自分を幸せに導いてくれるインスピレーションがふんだんにやってくるようになります。

あるいは、インスピレーションだと感じるまでもなく、ただすべてがうまく運んでいくように感じることかもしれません。

占いの機会があれば、冷静に自分の反応を観察してみることにしましょう♡

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

気づきの日記「占いとのつきあい方」

 

Q: パートナーが占いにはまっています。いちいち占いに頼り、「あっちの方向はよくない」とか「今は時じゃないとか」、何を決めるのも、何をするのも占いの結果しだいで、以前よりも神経質になり、自由がなくなったように感じ息苦しくなってしまいます。

A: 占ってもらった方向、日時でしか行動を起こせない・・・。よくないことを言われると「そうなんだ」と丸ごと受け入れてしまう・・・。自分の感覚よりも占いの方がずっと重要・・・。

こうなると、占いを自分よりもずっと高いポジションに奉ってしまっています。自分よりもパワーのある源にしてしまっているのです。そうすると、自分はさらにヨワヨワになるのが当然で、思いのままに生きる自由や喜びがなくなってしまいます。

占い師の方が、かなり断定的なもの言いだったり、自分がひそかいに思っていることと同じことを言われると、さらにパワーを与えてしまういがちです。

占いにしても何にしても、この世に存在するものは、それはたんなる道具です。

道具は「自分」が使うものであって、それに支配されるものではありません。

だから、占いを使うときには、自分の道具であることを認識して「どのように」使うのかを決めなければなりません。なぜなら、道具は自分を傷つけるために使うこともできるし、自分の可能性を広げるために役立てることもできるからです。

占いに頼ってしまっているとき、「自分が感じるままに行動したらよくない結果になる」という自分への不信感や、「未来に光がないように思える」という現状へのガッカリ感がこころに潜んでいます。

「自分には自分を幸せにする力がない」と感じているのです。

だからといって占いが自分を幸せにできるかというと、そんなことはありません。自分にできないことは、誰にもできません。ここにいる自分を救えるのは、自分だけなのです。

だから、その主導権は決して誰かに渡してしまってはいけないのです。

道具であるはずの占いも、確信と自信のない自分にとっては危険な道具になりかねません。

占いという道具が自分を傷つけてしまう使い方は、それをそのまま受け入れてしまうこと。

「いつ、こんなことが起きますよ」と言われ、誰かや、ものごとという外側の世界にパワーを与えてしまうことです。

それは、占いこそが力をもっていて、それが自分の未来を予測し、自分はそうなるしかないのだ、と運命の奴隷になってしまいます。

一方、自分のための道具として役立てるためには、言われたことをいったん自分のこころに戻してみることです。そして、自分がどう反応しているのか、感じてみることです。

あまりよくないことが起こると言われたとき ・・・ いったい自分はどんな状況に抵抗し、また恐怖を感じているのかを知ることができます。そんな状況に呑み込まれてしまう自分をイメージしているのです。

でも、その状況に抵抗しているからこそ、この言葉を聞いたともいえます。

逆に、いいことを言われて喜んでいるとき ・・・ そのような現実を未来に望んでいる自分は、たった今、安心して満ち足りてはいない、今、幸せになることを自分にゆるしていないことがわかります。

どちらの場合も、そのがっかり感こそを癒さなければなりません。

占いによって伝えられる未来には、意味がありません。なぜなら、私たちがいられるのは、たった「今」のこの瞬間以外ないからです。

未来の何かは、今の自分のこころの状態を写しだしてくれています。

いったん自分が「欠乏感を感じている」ということを認めることができたなら、たった今、それを癒すことで、「今」この瞬間に満ち足りることもできるのだ、ということがわかります。

いちばんよい占い師さんは、「あなたにはこういう問題があるから、まずそのこころを癒しなさい」と問題をこころに戻してくれる方です。たった今の改善点を、こころという原因で改善できることを教えてくれる方です。

自分の目にするものは、占いであろうと何であろうと、自分のこころから出てきています。

占いでも、人から言われたことでも、うまく活用するには、「これを言われて落ちこんでいる自分って・・・? これを言われて喜んでいる自分って・・・? いったい何を感じているのだろう?」というように、自分の反応を冷静に見て、自分がどういう状態であるのかに気づくことです。

気づいたら、「ああ、そんなふうに私は感じていたのだなぁ」と、そのヨワヨワ感に抵抗したり、否定することなく、ただ受け入れて感じてあげましょう。認めて、受け入れることが大切なのです。

否定や抵抗がなくなれば、ものごとがスムーズに流れるようになり、いちばんよいときにいちばんよいようになることを信頼できるようになります。

また、抵抗感がなくなることでこころに新たなスペースができ、そこに自分を幸せに導いてくれるインスピレーションがふんだんにやってくるようになります。

あるいは、インスピレーションだと感じるまでもなく、ただすべてがうまく運んでいくように感じることかもしれません。

占いの機会があれば、冷静に自分の反応を観察してみることにしましょう♡

 

 

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すがすがしい新緑

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このところの雨降りで、すっかり景色がかわっていました。

芽吹いたばかりの初々しい緑はすっかり色濃くなり、淡い桜のつぎに姿をあらわしたのはポッテリ可愛い八重桜。

四季はゆったりとうつりかわり、コロナのことなどどこ吹く風です。そこでアワアワしてるの人間だけですね・・・ (^^;;

 

 

 

どんなときに春を感じる?

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私が「春がきた!」と感じるときは・・・

「確定申告を提出し終わったとき・・・」

「ふと、沈丁花が風にのって香るとき・・・」

「仕事を終えて外に出ても、まだ明るいとき・・・」

「目黒川が桜見物の人でごったがえすとき・・・」

「年に一回の排水管清掃がやってくるとき・・・」

・・・ということで、きょうは春の訪れを告げる排水管清掃です!

そうそう、先日、お友だちからバレンタインのお返しのお返し(笑)としていただいたコスメも春を感じる色合いでした。

「K-POPのスターが使っていたことで、人気になったんだよ〜」ときらきらラメ入りアイシャドウをいただきました♡

チークのような色に見えますが、まぶたにのせると落ち着いたブラウンよりのコーラルピンク。ラメがとってもこまかくて、ツヤッと発色します。

大人女子にもじゅうぶん楽しめるラメ感です。

ここ数日、冬から一転、初夏感満載のお天気ですが、この春気分があがるコスメでお出かけしたくなっています♪(Kちゃん、いつもありがとう〜♡)

 

 

 

21-03-29 僕のワンダフル・ライフ

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

ベイリーという一匹の犬目線で語られる、ラッセ・ハルストレム監督の作品。

イーサン少年に愛されたベイリーは、イーサンが青年になり、おじさんになり、やがて老いて亡くなるまで、大型犬になったり、小型犬になったり、健気に何度も生まれかわってきます。さらに、イーサンが亡くなったあとも・・・。

続編の「僕のワンダフル・ジャーニー」を含めると、通算六回も! まさ間髪入れずに、じゃんじゃんという感じで転生してくるのです。

なぜなら、彼には大切な目的があるから。

見ていて、これは犬ごとではなく人の物語のように感じました。

自分がすべきことをちゃんと成しとけるまで、まるでバネで引き戻されるように、あっというまに戻ってきちゃう。

ベイリーのエライところは、何度生まれかわろうとも自分の目的にまったくブレがないところ。

ちゃんと覚えていて、嗅覚を武器にわき目もふらずにそこに突き進みます。(私たち人間ときたら 、あっちにふらふら、こっちにふらふら・・・汗)。

しかし、いくらベイリーが目的に忠実であっても、なんせ犬なので言葉が使えません。お目あての相手を見つけても、「ホラ!あのときのボクだよ!覚えてるだろっっ!?」て伝えられないのがたまにきず。

一方、言葉が使える私たちは、自分の不正直な言葉に自分で自分が騙されるしまつ。目的にも一貫性がなく、ちょっとばかり見た目がいいものにはすぐに飛びつき ・・・ そのため、何度やってきても成果があがらずじまいです(汗)。

やるべきことを覚えていても話せないのと、何も覚えていないけれど自由に話せるのと・・・どっちがいいのやら?!(苦笑)

犬はあらゆる情報を鼻でキャッチします。嗅覚をたよりに未来を予測し、素早く行動しているのです。(嗅覚は人間の10万倍ですと?!)。

「まずいことが起こりそう」とか「ハッピーなことが進行している」とか、人の感情も「甘い匂い」とか「いやな匂い」とか鼻で嗅ぎわけて、コトが起こるまえにすばやく危険を回避するのです。嗅覚はまさに、犬のインスピレーションともいえます。

この嗅ぎわける素早さとそれを完全に信頼するこころ、見習わなくちゃね。私たちには鼻ではなくこころで感じる直感があるにもかかわらず、自分のこころでさえも信頼しきれていませんもの。

ベイリーが何度も何度も生まれかわってくる目的はただひとつ。たとえ違う自分になったとしてもしっかりこころに刻まれていて、その目的のためなら野をこえ、山をこえ、街をかけぬけ、目的に向かって一直線。

この使命に捧げられたまったくブレないまっすぐなこころに大いに学ばされます。

愛犬家さんにはたまらないお話ですが、そうでなくても大切なことをたくさん思い出させてもらえる作品です。

(予告を見る→「僕のワンダフル・ライフ」「僕のワンダフル・ジャーニー」

PS ラッセ・ホルストレム監督作品のオススメは、「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」。こちらは犬になりたい少年のお話。あと、「ギルバート‥グレイプ」「サイダー・ハウスルール」も好きです。

他に、こちらも楽しめます。

*「ショコラ」めずらしくジョニー・デップが厚塗りなしでイケメンを演じています。もれなくチョコが食べたくなる作品。
*「マダム マロリーと魔法のスパイス」星つきフランス料理店の真向かいに開店した移民が営むインド料理店。このはりあい方がおかしい。これインドの映画だっけ?と思ってしまうようなノリのよさと色彩にあふれた楽しい作品です。

 

 

 

お茶の間シネマトーク「僕のワンダフル・ライフ」

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

ベイリーという一匹の犬目線で語られる、ラッセ・ハルストレム監督の作品。

イーサン少年に愛されたベイリーは、イーサンが青年になり、おじさんになり、やがて老いて亡くなるまで、大型犬になったり、小型犬になったり、健気に何度も生まれかわってきます。さらに、イーサンが亡くなったあとも・・・。

続編の「僕のワンダフル・ジャーニー」を含めると、通算六回も! まさ間髪入れずに、じゃんじゃんという感じで転生してくるのです。

なぜなら、彼には大切な目的があるから。

見ていて、これは犬ごとではなく人の物語のように感じました。

自分がすべきことをちゃんと成しとけるまで、まるでバネで引き戻されるように、あっというまに戻ってきちゃう。

ベイリーのエライところは、何度生まれかわろうとも自分の目的にまったくブレがないところ。

ちゃんと覚えていて、嗅覚を武器にわき目もふらずにそこに突き進みます。(私たち人間ときたら 、あっちにふらふら、こっちにふらふら・・・汗)。

しかし、いくらベイリーが目的に忠実であっても、なんせ犬なので言葉が使えません。お目あての相手を見つけても、「ホラ!あのときのボクだよ!覚えてるだろっっ!?」て伝えられないのがたまにきず。

一方、言葉が使える私たちは、自分の不正直な言葉に自分で自分が騙されるしまつ。目的にも一貫性がなく、ちょっとばかり見た目がいいものにはすぐに飛びつき ・・・ そのため、何度やってきても成果があがらずじまいです(汗)。

やるべきことを覚えていても話せないのと、何も覚えていないけれど自由に話せるのと・・・どっちがいいのやら?!(苦笑)

犬はあらゆる情報を鼻でキャッチします。嗅覚をたよりに未来を予測し、素早く行動しているのです。(嗅覚は人間の10万倍ですと?!)。

「まずいことが起こりそう」とか「ハッピーなことが進行している」とか、人の感情も「甘い匂い」とか「いやな匂い」とか鼻で嗅ぎわけて、コトが起こるまえにすばやく危険を回避するのです。嗅覚はまさに、犬のインスピレーションともいえます。

この嗅ぎわける素早さとそれを完全に信頼するこころ、見習わなくちゃね。私たちには鼻ではなくこころで感じる直感があるにもかかわらず、自分のこころでさえも信頼しきれていませんもの。

ベイリーが何度も何度も生まれかわってくる目的はただひとつ。たとえ違う自分になったとしてもしっかりこころに刻まれていて、その目的のためなら野をこえ、山をこえ、街をかけぬけ、目的に向かって一直線。

この使命に捧げられたまったくブレないまっすぐなこころに大いに学ばされます。

愛犬家さんにはたまらないお話ですが、そうでなくても大切なことをたくさん思い出させてもらえる作品です。

(予告を見る→「僕のワンダフル・ライフ」「僕のワンダフル・ジャーニー」

PS ラッセ・ホルストレム監督作品のオススメは、「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」。こちらは犬になりたい少年のお話。あと、「ギルバート‥グレイプ」「サイダー・ハウスルール」も好きです。

他に、こちらも楽しめます。

*「ショコラ」めずらしくジョニー・デップが厚塗りなしでイケメンを演じています。もれなくチョコが食べたくなる作品。
*「マダム マロリーと魔法のスパイス」星つきフランス料理店の真向かいに開店した移民が営むインド料理店。このはりあい方がおかしい。これインドの映画だっけ?と思ってしまうようなノリのよさと色彩にあふれた楽しい作品です。