22-03-29 感情の波を怖がらないで ー その先に広がる自由

 

感情を手放すことは本来の自分に戻る旅

私たちの心は、本来の自己へと向かう旅の途中にあります。その旅路で私たちは、さまざまな経験を通して「自分ではないもの」を少しずつ手放しながら、ありのままの自分を取り戻していきます。

 

 

痛みは「ニセモノの自分」からのサイン

本来の自己を解放するためには、まず「自分ではないもの」に気づくことが大切です。特に、心の痛みや違和感は大切なサインと言えます。痛みは、「まだ手放せていないものがここにあるよ」と教えてくれる合図。怖れや怒り、罪悪感などの感情が浮上するとき、それはまさに解放のチャンスなのです。

しかし、私たちはつい「こんな感情を持ってはいけない」と思い込み、それを無視したり、抑え込もうとしてしまいます。けれど、感情を抑圧すればするほど、心の奥深くにたまり、やがてコントロールできない形で表面化してしまうのです。

 

 

映画やドラマを活用する

人生の中で体験できる出来事は限られていますが、映画やドラマを通じて、私たちはさまざまな感情を疑似体験することができます。登場人物に共感しながら、自分の中にある未解決の感情を浮上させることができるのです。

その未解決な感情は、いつのまにか自分の目にする世界をぼやけさせたり、モノトーンのような色褪せたものにしていたかもしれません。

感情を感じること自体を「良くないこと」と思っていると、せっかくの解放の機会を逃してしまいます。大切なのは、感情が湧き上がることを怖れず、ただそれを眺めて流してあげることです。

 

 

感情を手放すコツ

感情は本来、ただ「さらさらと流れていくもの」です。しかし、感情を怖れると、まるでスポンジのようにすべて吸収し、自分自身がその感情に支配されてしまいます。

では、感情をためこまずに流すにはどうすればいいのでしょうか?

1. 判断しない:感情に「良い・悪い」のラベルを貼らず、ただそこに現れているエネルギーとして感じ、受け入れる。

2. ストーリーを作らない:感情が湧いたとき、「これは過去のせい」「誰々のせい」とストーリーに逃げ込まず、そのままの状態で見つめる。

3. 呼吸を意識する:深呼吸しながら、感情が体の中を通り抜けていくのをイメージする。

4. 身体の感覚に注意を向ける:感情が湧いたとき、胸のあたりが締めつけられる感じがするなら、その感覚にやさしく寄り添いながらリラックスする。

このシンプルなステップを繰り返すことで、感情は自然と解放され、心は軽くなっていきます。

 

 

感情を解放すると世界が変わる

感情を押し戻さず、あるがままに感じて流すことができるようになると、自然と心の静けさ、安らぎが訪れます。そして、心が穏やかであればあるほど、目に映る世界も優しく安らかなものになっていくのです。

さらに、世界が鮮やかにいきいきと感じられるようになり、心の余裕が生まれることで今の自分にふさわしい新しい出会いやチャンスが増えていきます。思いがけない幸運が舞い込んだり、シンクロニシティが起こったり、直感が冴えることもあるでしょう。

あなたの中にあるネガティブな感情を、怖れずに感じ、手放してみましょう。きっと、今よりもっと自由で軽やかで、ワクワクするような世界が広がっていくはずです。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

気づきの日記「感情の波を怖がらないで ー その先に広がる自由」

 

感情を手放すことは本来の自分に戻る旅

私たちの心は、本来の自己へと向かう旅の途中にあります。その旅路で私たちは、さまざまな経験を通して「自分ではないもの」を少しずつ手放しながら、ありのままの自分を取り戻していきます。

 

 

痛みは「ニセモノの自分」からのサイン

本来の自己を解放するためには、まず「自分ではないもの」に気づくことが大切です。特に、心の痛みや違和感は大切なサインと言えます。痛みは、「まだ手放せていないものがここにあるよ」と教えてくれる合図。怖れや怒り、罪悪感などの感情が浮上するとき、それはまさに解放のチャンスなのです。

しかし、私たちはつい「こんな感情を持ってはいけない」と思い込み、それを無視したり、抑え込もうとしてしまいます。けれど、感情を抑圧すればするほど、心の奥深くにたまり、やがてコントロールできない形で表面化してしまうのです。

 

 

映画やドラマを活用する

人生の中で体験できる出来事は限られていますが、映画やドラマを通じて、私たちはさまざまな感情を疑似体験することができます。登場人物に共感しながら、自分の中にある未解決の感情を浮上させることができるのです。

その未解決な感情は、いつのまにか自分の目にする世界をぼやけさせたり、モノトーンのような色褪せたものにしていたかもしれません。

感情を感じること自体を「良くないこと」と思っていると、せっかくの解放の機会を逃してしまいます。大切なのは、感情が湧き上がることを怖れず、ただそれを眺めて流してあげることです。

 

 

感情を手放すコツ

感情は本来、ただ「さらさらと流れていくもの」です。しかし、感情を怖れると、まるでスポンジのようにすべて吸収し、自分自身がその感情に支配されてしまいます。

では、感情をためこまずに流すにはどうすればいいのでしょうか?

1. 判断しない:感情に「良い・悪い」のラベルを貼らず、ただそこに現れているエネルギーとして感じ、受け入れる。

2. ストーリーを作らない:感情が湧いたとき、「これは過去のせい」「誰々のせい」とストーリーに逃げ込まず、そのままの状態で見つめる。

3. 呼吸を意識する:深呼吸しながら、感情が体の中を通り抜けていくのをイメージする。

4. 身体の感覚に注意を向ける:感情が湧いたとき、胸のあたりが締めつけられる感じがするなら、その感覚にやさしく寄り添いながらリラックスする。

このシンプルなステップを繰り返すことで、感情は自然と解放され、心は軽くなっていきます。

 

 

感情を解放すると世界が変わる

感情を押し戻さず、あるがままに感じて流すことができるようになると、自然と心の静けさ、安らぎが訪れます。そして、心が穏やかであればあるほど、目に映る世界も優しく安らかなものになっていくのです。

さらに、世界が鮮やかにいきいきと感じられるようになり、心の余裕が生まれることで今の自分にふさわしい新しい出会いやチャンスが増えていきます。思いがけない幸運が舞い込んだり、シンクロニシティが起こったり、直感が冴えることもあるでしょう。

あなたの中にあるネガティブな感情を、怖れずに感じ、手放してみましょう。きっと、今よりもっと自由で軽やかで、ワクワクするような世界が広がっていくはずです。

 

 

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22-03-20 運命は決まっている?それとも、自由に選べる?

 

運命とは、決まっているのでしょうか? それとも、自由に選べるのでしょうか?

 

決まっている・・・と考えると、落ちつかない気持ちになるかもしれません。自分はどんな運命にさらされているかわからないし、その運命から逃れることもできない、と感じてしまうからです。

 

そして、運命が決まっているのなら、これまで自分の人生の最高指揮官として采配をふるってきた自分自身にとって、その権力を丸ごと奪われ、なすがままにされてしまうというような無力感も感じられます。

 

「自分の人生を好きなように生きている」と信じてきたのに、まるで両手両足をもぎ取られたように感じてしまうのです。

 

しかし、運命が決まっていることに対して、別の見方で見ることもできます。

 

もしも大いなる存在、それは宇宙でも、神でも、源でもかまいません、その大いなる存在にすっぽりと護られて、自分の幸せにプラスになることしか起こらないとしたら、どのようなことが起きていても最終的にはいちばん良い結果になるとしたらどうでしょう? 

 

そうであるなら、不確かな未来に怯え、道に迷わないように必死で人生をコントロールしようとするよりも、大いなる存在におまかせしてしまう方がずっと安全でラクで確実だといえます。

私たちがいくら固い決意をして人生をコントロールしようと試みても、結局起こることは勝手に起こってしまいます。

 

雨が降るときには、いくら「てるてる坊主」をたくさん並べても雨を止めることはできません。それと同じように、何かが起こるときには起こらざるをえないのです。

 

しかし、その起こることを自分への「攻撃」や「罰」と捉えるのか、それとも自分への「愛」や「恩寵」と捉えるのかで、その意味は大きく変わってしまいます。

 

もし「起こること全体が愛の法則に支えられている」ということがわかったとしたら、もっとリラックスして安らかに過ごすことができることでしょう。実際、私たちは大いなる愛の法則に完全に護られているのです。

 

どうしても抗うことができなかった出来事を長い目で見たとき、自分にとっても周りにとっても「あのことが起こってよかった」と思える善きこととして経験されたことは誰にでもあると思います。

 

起こることはしっかりと見届けさえすれば、すべては善きことであることがわかるかもしれません。

 

実際、私たちは「自分が見ようとしているもの」だけを目にしています。なぜなら、「自分」こそが見るためのフィルターだからです。

 

こころが怖れでいっぱいであれば、怖しいものばかりが目に飛びこんでくるであろうし、こころに愛や穏やかさがあれば、愛や穏やかさにあふれた世界を目にすることができます。

 

まさに、世界はこころのあわせ鏡といえます。そうであるなら、たとえ運命がどうであろうと、愛に満たされた穏やかなこころで出来事を見ることこそが、自分が護られているという愛の法則を確信することになり、それが幸せへのカギとなります。

 

「私は是非とも、愛の法則に支えられた世界を目にしたい」とこころに強く決めてみましょう。

「運命は決まっている」というとき、私たちはまったく変更不可能で逃げ道のないガチガチに固まった一本道を想像してしまうものです。

 

しかし、「決まっている」というのは、「たくさんの可能性がすでに存在していて決まっている」という意味であり、たったひとつの道だけが与えられている、というわけではありません。

 

起こっていることに対して不平不満を言いつづければ、私たちは不平不満の世界を目にすることが可能です。自分のこころを変えるまで、同じ状態を見つづけることでしょう。

 

しかし、こころがいったん自分の運命を受け入れ、愛や穏やかさを取り戻すことで、目にする世界は穏やかで愛のある世界へと進路を変えてゆくことができます。

 

運命は決まっているといえども、自分のこころの状態によっていつでも変更が可能なのです。自分のこころの状態は、まさに自分の目にする世界を変容させるパワーそのものだからです。自分のこころの状態にみあった世界へと、即座にチューニングされます。

 

そして、いつでもこころの状態を変えることによって、運命に変化をもたらすことができるのです。

また、運命をよきものにしたいとき、自分を守り導いてくれる存在であるハイヤーセルフにこころを開いてみましょう。ハイヤーセルフのちからを借りることも、運命の軌道を変化させる大きなちからとなります。

 

叡智そのものであるハイヤーセルフは、どんなときにも私たちの幸せのみを願ってくれています。しかし、そのちからを借りるには、自分からハイヤーセルフにつながる必要があります。

 

どんなときでも「助けてください」とハイヤーセルフに導きを求めることで、自分自身がハイヤーセルフのちからにつながることができます。

 

助けを求めさえすれば、ハイヤーセルフはすぐさまレスキューに飛んできてくれます。そのレスキューはまさにミラクルであり、「こんなことが起こるなんて!」と驚くような、私たちにとって予想できないような道を示してくれるのです。

 

なぜなら、ハイヤーセルフのレスキュー方法は運命という時間のなかから私たちを救出し、ハイヤーセルフ独自の時間のなかへとシフトさせてくれるからです。通常の時間からワープして、問題を回避させてくれるのです。

 

ハイヤーセルフの助けをえるためには、ハイヤーセルフとこころをひとつにする必要があります。

 

「ハイヤーセルフ、この問題を私とともに見て、ハイヤーセルフの見方ができるように助けてください」とお願いしてみましょう。ハイヤーセルフには問題という概念がないため、ハイヤーセルフとともにその状況を見ることによって自分自身も問題というものを認識しなくなることが可能なのです。

 

こころを開いて助けを求める気持ちさえあれば、私たちは時空を超越したハイヤーセルフの知覚とともにラクな道を進むことができるようになります。

ハイヤーセルフとともにものごとを見られるようになると、ものごとと闘うよりも安心して受け入れることができるようになります。

 

起こることをそのままに受け入れることは、運命というカルマを解消することであり、自分に災をもたらしていたカルマのストーリーを終わりにすることです。

 

ものごとを抵抗せずに無条件に「受け入れる」とうことは、そのものごとを支えていたエネルギー全体がゆるみ、カルマとして存在していた出来事を消滅に向かわせることができるのです。

 

どのようなことが起きていても、「もう金輪際、このような問題はくり返さない」とこころに決めて、ただリラックスして状況を「受け入れる」という姿勢をもつようにしてみましょう。そうすることによって、すべての出来事を「カルマを終わりにする」という目的のために使うことができるのです。

 

私たちはいつでも、自分にとってより幸せな世界に住むことは可能です。自分のこころのちからを使って、またハイヤーセルフの超越したちからにつながることによって、運命の道筋を幸せへと導いてゆきましょう。

 

「人生のなかで、いったい何が起こるかわからない」とこころを暗くするのではなく、自分のこころを愛と穏やかさで満たし、自分をつねに助け導いてくれるハイヤーセルフという存在にこころを開いて助けを求めてみましょう。

 

すると、愛という法則に支えられ安全に護られている運命という道を、ハイヤーセルフという頼もしい存在に導かれながら、安全に軽やかに旅をすることができることに気づくでしょう。

 

 

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気づきの日記「運命は決まっている?それとも、自由に選べる?」

 

運命とは、決まっているのでしょうか? それとも、自由に選べるのでしょうか?

 

決まっている・・・と考えると、落ちつかない気持ちになるかもしれません。自分はどんな運命にさらされているかわからないし、その運命から逃れることもできない、と感じてしまうからです。

 

そして、運命が決まっているのなら、これまで自分の人生の最高指揮官として采配をふるってきた自分自身にとって、その権力を丸ごと奪われ、なすがままにされてしまうというような無力感も感じられます。

 

「自分の人生を好きなように生きている」と信じてきたのに、まるで両手両足をもぎ取られたように感じてしまうのです。

 

しかし、運命が決まっていることに対して、別の見方で見ることもできます。

 

もしも大いなる存在、それは宇宙でも、神でも、源でもかまいません、その大いなる存在にすっぽりと護られて、自分の幸せにプラスになることしか起こらないとしたら、どのようなことが起きていても最終的にはいちばん良い結果になるとしたらどうでしょう? 

 

そうであるなら、不確かな未来に怯え、道に迷わないように必死で人生をコントロールしようとするよりも、大いなる存在におまかせしてしまう方がずっと安全でラクで確実だといえます。

私たちがいくら固い決意をして人生をコントロールしようと試みても、結局起こることは勝手に起こってしまいます。

 

雨が降るときには、いくら「てるてる坊主」をたくさん並べても雨を止めることはできません。それと同じように、何かが起こるときには起こらざるをえないのです。

 

しかし、その起こることを自分への「攻撃」や「罰」と捉えるのか、それとも自分への「愛」や「恩寵」と捉えるのかで、その意味は大きく変わってしまいます。

 

もし「起こること全体が愛の法則に支えられている」ということがわかったとしたら、もっとリラックスして安らかに過ごすことができることでしょう。実際、私たちは大いなる愛の法則に完全に護られているのです。

 

どうしても抗うことができなかった出来事を長い目で見たとき、自分にとっても周りにとっても「あのことが起こってよかった」と思える善きこととして経験されたことは誰にでもあると思います。

 

起こることはしっかりと見届けさえすれば、すべては善きことであることがわかるかもしれません。

 

実際、私たちは「自分が見ようとしているもの」だけを目にしています。なぜなら、「自分」こそが見るためのフィルターだからです。

 

こころが怖れでいっぱいであれば、怖しいものばかりが目に飛びこんでくるであろうし、こころに愛や穏やかさがあれば、愛や穏やかさにあふれた世界を目にすることができます。

 

まさに、世界はこころのあわせ鏡といえます。そうであるなら、たとえ運命がどうであろうと、愛に満たされた穏やかなこころで出来事を見ることこそが、自分が護られているという愛の法則を確信することになり、それが幸せへのカギとなります。

 

「私は是非とも、愛の法則に支えられた世界を目にしたい」とこころに強く決めてみましょう。

「運命は決まっている」というとき、私たちはまったく変更不可能で逃げ道のないガチガチに固まった一本道を想像してしまうものです。

 

しかし、「決まっている」というのは、「たくさんの可能性がすでに存在していて決まっている」という意味であり、たったひとつの道だけが与えられている、というわけではありません。

 

起こっていることに対して不平不満を言いつづければ、私たちは不平不満の世界を目にすることが可能です。自分のこころを変えるまで、同じ状態を見つづけることでしょう。

 

しかし、こころがいったん自分の運命を受け入れ、愛や穏やかさを取り戻すことで、目にする世界は穏やかで愛のある世界へと進路を変えてゆくことができます。

 

運命は決まっているといえども、自分のこころの状態によっていつでも変更が可能なのです。自分のこころの状態は、まさに自分の目にする世界を変容させるパワーそのものだからです。自分のこころの状態にみあった世界へと、即座にチューニングされます。

 

そして、いつでもこころの状態を変えることによって、運命に変化をもたらすことができるのです。

また、運命をよきものにしたいとき、自分を守り導いてくれる存在であるハイヤーセルフにこころを開いてみましょう。ハイヤーセルフのちからを借りることも、運命の軌道を変化させる大きなちからとなります。

 

叡智そのものであるハイヤーセルフは、どんなときにも私たちの幸せのみを願ってくれています。しかし、そのちからを借りるには、自分からハイヤーセルフにつながる必要があります。

 

どんなときでも「助けてください」とハイヤーセルフに導きを求めることで、自分自身がハイヤーセルフのちからにつながることができます。

 

助けを求めさえすれば、ハイヤーセルフはすぐさまレスキューに飛んできてくれます。そのレスキューはまさにミラクルであり、「こんなことが起こるなんて!」と驚くような、私たちにとって予想できないような道を示してくれるのです。

 

なぜなら、ハイヤーセルフのレスキュー方法は運命という時間のなかから私たちを救出し、ハイヤーセルフ独自の時間のなかへとシフトさせてくれるからです。通常の時間からワープして、問題を回避させてくれるのです。

 

ハイヤーセルフの助けをえるためには、ハイヤーセルフとこころをひとつにする必要があります。

 

「ハイヤーセルフ、この問題を私とともに見て、ハイヤーセルフの見方ができるように助けてください」とお願いしてみましょう。ハイヤーセルフには問題という概念がないため、ハイヤーセルフとともにその状況を見ることによって自分自身も問題というものを認識しなくなることが可能なのです。

 

こころを開いて助けを求める気持ちさえあれば、私たちは時空を超越したハイヤーセルフの知覚とともにラクな道を進むことができるようになります。

ハイヤーセルフとともにものごとを見られるようになると、ものごとと闘うよりも安心して受け入れることができるようになります。

 

起こることをそのままに受け入れることは、運命というカルマを解消することであり、自分に災をもたらしていたカルマのストーリーを終わりにすることです。

 

ものごとを抵抗せずに無条件に「受け入れる」とうことは、そのものごとを支えていたエネルギー全体がゆるみ、カルマとして存在していた出来事を消滅に向かわせることができるのです。

 

どのようなことが起きていても、「もう金輪際、このような問題はくり返さない」とこころに決めて、ただリラックスして状況を「受け入れる」という姿勢をもつようにしてみましょう。そうすることによって、すべての出来事を「カルマを終わりにする」という目的のために使うことができるのです。

 

私たちはいつでも、自分にとってより幸せな世界に住むことは可能です。自分のこころのちからを使って、またハイヤーセルフの超越したちからにつながることによって、運命の道筋を幸せへと導いてゆきましょう。

 

「人生のなかで、いったい何が起こるかわからない」とこころを暗くするのではなく、自分のこころを愛と穏やかさで満たし、自分をつねに助け導いてくれるハイヤーセルフという存在にこころを開いて助けを求めてみましょう。

 

すると、愛という法則に支えられ安全に護られている運命という道を、ハイヤーセルフという頼もしい存在に導かれながら、安全に軽やかに旅をすることができることに気づくでしょう。

 

 

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春コスメ♡

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

韓国コスメに詳しいお友だちが、ときどきさし入れをしてくださいます。

まるで、「どっかから見てた?!」というぐらい、今の私にどストライクなものばかりなのです。

そして、美容大国韓国コスメって、シャレているし、お肌にも優しくってとっても使いやすい。

今回は口紅とリップスクラブ、そしてスキンモイスチャライザー♪
(唇もお肌もパッサパサになっていたのが、もろバレでした?!汗)

なにか春用のコスメが欲しかったところなので、このラインナップもリップの色味もハマりまくりです♡

女子にとってコスメって、もちろん使うのも嬉しいけれど、ただながめているだけでワクワクするものです。

今年は急に春らしくなり、もう今にも桜が咲きそうですね。

春均分でさっそく使いま〜す♪ いつもありがとう♡

 

 

新しいカフェ♪

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

中目、代官山のカフェは、コロナ禍ですっかり顔ぶれが入れかわりました。

そんななか、お散歩をしていたら生モンブランの写真をかかげているカフェが! 食べた〜い♡

そのうち来てみようと思っていたところ、お友だちとお茶する機会があったのでお出かけしてみました。

すると、生モンブランのビジュアルが苺スウィーツに変わっているではありませんか!

いやな予感がしたら、案の定、メニューにもモンブランはなく ・・・ どうやら季節でスウィーツが入れかわる模様。二人ともアタマはすっかり「生モンブラン」でだったのですが・・・

しかたなしなし(泣)苺ショートをたのんでみたら、

これが予想外のヒット♡

スポンジがうっすらでフレッシュな香りのいい苺とほどよくコクのあるクリームを味わっているような感じで、今まで食べた苺ショートのなかでいちばんでした。

禍転じて福となす(!?)ふたりとも大満足なお茶タイムとなりました♪ @神乃珈琲 代官山さん

こちらのお店、パンケーキもとってもおいしそうでした♡ 次回は是非!

帰り道、満開の桜に出会いました。

桃の花のような鮮やかなピンク色。紅山桜でしょうか?しばし見とれてしまいました。

その先の角には、白い沈丁花がいい香りをただよわせていました。

わあ、春♡ 嬉しくなります ( ・◡・ )♫

 

 

 

お花♡

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

お花があるだけで、お部屋の空気が変わります。

お花は、
「私を見て、見て」ともいわないし、
「私ってきれい?」ともきかないけれど、

ほほえんで見つめてしまう存在。

それは、ただ与えるだけのものの引力ですね。

マンダリンオレンジ、サーモンピンク、カナリアイエロー・・・
私の好きな色のブーケをありがとうございます♡

 

 

 

きょうから弥生♪

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

暦がすっかりわからなくなっていたこのごろですが、

冬眠中に目覚ましがなったクマのように、いただいたお菓子を見てハッといたしました。

まだ先だと思っていたけど、お雛さま !?もう春だわ! と。

ミニお雛さまを出すにはちょっとおそいので、練りきりのお雛さまを愛でさせていただきます。(^-^)

かわいいです♡ ありがとうございます♡

冬のあいだは暖かなオレンジ色のアイシャドーを愛用していましたが、春のひざしにあわせて軽やかなミント色にでもしようかな〜・・・ と春気分がもりあがってきました♪

が ・・・ そのまえに、巣穴から出るためにはダイエットも必須かも〜?! (^^;;

 

 

22-02-27 目に見えることの向こうがわ

 

相手の表情、相手のとる動作や行動、相手の発する言葉 ・・・
これらから私たちは相手のことを理解できたと思っているし、状況も判断できると思っています。

なぜなら、こどものときから実験や観察という視覚に頼る情報集めを教えられてきたので、目にできるものこそは真実を教えているのだ、と信じてきたからです。

こどものケンカの常套句も、「だったら証拠を見せてみろ!」と目に見えるものを要求します。(覚えあります?!)いつも、見えるものが真実の証となってきたのです。

でも ・・・ そもそも、ひとりひとりの目に映っているものって、共通でもなければ普遍的なものでもありません。各々にとってまったく違うのです。

同じ道をしばらく一緒に歩いて、この道に何があったのかを尋ねてみてください。

ある人は散歩中の犬に気づくかもしれないし、またある人はお店にディスプレイされたお洋服が目にとまるかもしれません。お洋服に気をとられた人にとって、犬は存在していないも同然なのです。

そんなふうに、私たちは真実を見ている、というよりは、自分にとって好ましいもの、興味をひくもの、都合のいいものしか見ていません。

そうなると、人の表情にも、行動にも、自分のおなじみのものしか見えてこないわけです。

もし、自分にとってのおなじみが不愉快な感情であれば、きっと世の中は不愉快な人ばかりとなることでしょう。

自分の都合だけで「目にしているもの」の向こうがわに、ほんとうの意味が隠されています。

それが見つけられないと、ずっと欺かれたままとなります。

どんなふうに欺かれるかというと ・・・ 華やかな包装紙に包まれたおっきなモノは、華やかだから、大きいから、きっとステキなものに違いないと思って持ち帰ると ・・・ じつは中身はカラッポ、いえ、悪くすればゲジゲジやムカデや気持ち悪いものでいっぱいかもしれません。

外観と中身(そのものの意味)はまるで一致しないので、外観だけで判断するとこんな間違いをくりかえします(いいモノを選んだつもりが、なぜかいっつも最悪だ・・・という)。

でも、先入観という邪魔ものがいなくなり、外観にだまされなくなると、自分とそれがひとつになることができるため、それがおのずと中身を明かしてくれるようになるのです。

先入観さえなくなれば、外観という目に見えているものをとおりこすことができ、核心に達することができます。

そうすると、人のこころの深いところを理解できるようになり、何が起きているのかを知ることができます。

どなりちらしたり暴力をふるう人を、私たちは横暴で強い人だと感じてしまいがちですが、

目に見えていることを手放して、先入観をもたずにひとつになってみると、その人がいかに怯えて、こころに闇を抱えているのかを感じとれるかもしれません。コワいからこそ、先に攻撃していたと気づくかもしれません。

一見、冷静で静かな人も、ひとつになって感じてみると、こころの深いところに怒りや憎しみが横たわっていることに気づくかもしれません。

目に見えるものにすぐに反応するのではなく、先入観をもたずにひとつになって感じることをしていると、ほんとうのことが見えるようになってきます。

そして、さまざまなことを深く理解できるようになり、はじめて自分のこころも正しく理解できるようになります。

自分のこころ? そんなのとっくに理解している、って?!

いえいえ、じつはいちばんわかっていないのは自分自身のこころです。

私たちは自分自身を癒すために(癒しはここに存在している全員にとって必須です)、ひとつひとつ自分のなかに置きざりにされた悲しみや怒りや怖れや絶望に気づき、それを意識して受けとめたら、ハイヤーセフルに手渡して取り去ってもらう必要があるのです。

人のこころのなかにあるものに気づき受けとめはじめると、自分のこころが明かされるようになり癒しが加速します。

なぜなら、私たちはひとつのこころだから。癒しはつねに同時に進行してゆくのです。

すぐさま目にしたものにおなじみの判断を下すのではなく、こころをカラッポにして、目にしているカタチの向こうがわまで見られるようにいたしましょう。

 

 

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気づきの日記「目に見えることの向こうがわ」

 

相手の表情、相手のとる動作や行動、相手の発する言葉  ・・・
これらから私たちは相手のことを理解できたと思っているし、状況も判断できると思っています。

なぜなら、こどものときから実験や観察という視覚に頼る情報集めを教えられてきたので、目にできるものこそは真実を教えているのだ、と信じてきたからです。

こどものケンカの常套句も、「だったら証拠を見せてみろ!」と目に見えるものを要求します。(覚えあります?!)いつも、見えるものが真実の証となってきたのです。

でも ・・・ そもそも、ひとりひとりの目に映っているものって、共通でもなければ普遍的なものでもありません。各々にとってまったく違うのです。

同じ道をしばらく一緒に歩いて、この道に何があったのかを尋ねてみてください。

ある人は散歩中の犬に気づくかもしれないし、またある人はお店にディスプレイされたお洋服が目にとまるかもしれません。お洋服に気をとられた人にとって、犬は存在していないも同然なのです。

そんなふうに、私たちは真実を見ている、というよりは、自分にとって好ましいもの、興味をひくもの、都合のいいものしか見ていません。

そうなると、人の表情にも、行動にも、自分のおなじみのものしか見えてこないわけです。

もし、自分にとってのおなじみが不愉快な感情であれば、きっと世の中は不愉快な人ばかりとなることでしょう。

自分の都合だけで「目にしているもの」の向こうがわに、ほんとうの意味が隠されています。

それが見つけられないと、ずっと欺かれたままとなります。

どんなふうに欺かれるかというと ・・・ 華やかな包装紙に包まれたおっきなモノは、華やかだから、大きいから、きっとステキなものに違いないと思って持ち帰ると ・・・ じつは中身はカラッポ、いえ、悪くすればゲジゲジやムカデや気持ち悪いものでいっぱいかもしれません。

外観と中身(そのものの意味)はまるで一致しないので、外観だけで判断するとこんな間違いをくりかえします(いいモノを選んだつもりが、なぜかいっつも最悪だ・・・という)。

でも、先入観という邪魔ものがいなくなり、外観にだまされなくなると、自分とそれがひとつになることができるため、それがおのずと中身を明かしてくれるようになるのです。

先入観さえなくなれば、外観という目に見えているものをとおりこすことができ、核心に達することができます。

そうすると、人のこころの深いところを理解できるようになり、何が起きているのかを知ることができます。

どなりちらしたり暴力をふるう人を、私たちは横暴で強い人だと感じてしまいがちですが、

目に見えていることを手放して、先入観をもたずにひとつになってみると、その人がいかに怯えて、こころに闇を抱えているのかを感じとれるかもしれません。コワいからこそ、先に攻撃していたと気づくかもしれません。

一見、冷静で静かな人も、ひとつになって感じてみると、こころの深いところに怒りや憎しみが横たわっていることに気づくかもしれません。

目に見えるものにすぐに反応するのではなく、先入観をもたずにひとつになって感じることをしていると、ほんとうのことが見えるようになってきます。

そして、さまざまなことを深く理解できるようになり、はじめて自分のこころも正しく理解できるようになります。

自分のこころ? そんなのとっくに理解している、って?!

いえいえ、じつはいちばんわかっていないのは自分自身のこころです。

私たちは自分自身を癒すために(癒しはここに存在している全員にとって必須です)、ひとつひとつ自分のなかに置きざりにされた悲しみや怒りや怖れや絶望に気づき、それを意識して受けとめたら、ハイヤーセフルに手渡して取り去ってもらう必要があるのです。

人のこころのなかにあるものに気づき受けとめはじめると、自分のこころが明かされるようになり癒しが加速します。

なぜなら、私たちはひとつのこころだから。癒しはつねに同時に進行してゆくのです。

すぐさま目にしたものにおなじみの判断を下すのではなく、こころをカラッポにして、目にしているカタチの向こうがわまで見られるようにいたしましょう。

 

 

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