名画、いろいろ・・・

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

お友だちが、名画の数々を買いつけてくれました。

ゴッホやマネ、エルグレコ、ダヴィッド・・・

・・・って、それってソックスじゃ??

よ〜くごらんあれ! 

ゴッホの自画像やら、糸すぎ、星月夜・・・ ほかには、キリストやらナポレオンなど有名絵画がズラ〜リ。

なかでも、私のお気に入りはこちら!

ボッティチェッリのビーナスの誕生、マグリットの鳩さん、そしてムンクの叫び。

マグリットの鳩さんは、つま先がマグリットブルーになっていてカワイイのです。

さっそく、ムンクの叫びからはいてみたのですが ・・・ ありゃ?

叫びどころか、恥じらっている有閑マダムっぽい雰囲気。悲壮感がまるでありませんね〜(汗)。

これ以上、太らせないようにいたしましょう(苦笑)。

夏はつっかけサンダルにソックスが好きなので大活躍しそうです。Kちゃん、ステキな名画をありがとう♡

 

 

 

お花ギフト

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ギフトが届きました。

お店の名前だけで、依頼人の名前がありません。だ〜れ??・・・

でも、箱をあけてすぐにわかっちゃいました!

この色合い、このテイスト、このチョイス・・・考えるまでもなく、すぐにお顔が浮かんじゃいました。こりゃ Sちゃんでしょう。

そのあとで LINE が届き、答えあわせをすることができました(ビンゴ!)

ローズのいい香り。

じつは、これソープなんですって。

ブーケのかわりにボックス入りのお花のギフト、はやっていますが、これはとってもリアルで長持ちするので嬉しいです♡

どこに飾ろうかな〜?
ありがとうございます♡

 

 

 

久しぶりの生演奏会♪

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まだ梅雨いりまえなのに、この一週間はしとしと雨模様でした。爽やかな五月は年々短くなってゆくようです。

ふと気づけば、生け垣の紫陽花もすっかり色づいていました。

声楽家のお友だち、瀬尾美智子ちゃんのコンサートにお招きいただきました。

コロナ禍で精神的にも身体的にも環境的にも、さまざまなことで開催はとても大変な道のりだったと思います。

会場に入るまえには、手指の消毒だけでなく靴裏もきれいにし、 客席では私語は慎み、そしてステージと客席のあいだには大きなビニールシートがはりめぐらされ万全の構えです。

こんなときだからこそいっそうしみいる美しい調べに、客席のみなさま方は涙を浮かべていらっしゃいました。私も最初から最後まで、涙腺がゆるみっぱなし。

コンサートが終わって開場をあとにされる方々が、「よかったわね〜♡」「すばらしかったわね〜♪」と口々に歓喜の感想をのべあっているのを耳にして、「ほんと、こんなときに素敵な生演奏を聴くことができて幸せよね〜♪」とこころのなかで勝手に会話に加わっておりました。

選曲も、どこか今の私たちの閉塞感やら痛みに寄りそうものが多く(意図したわけではないそうな)、優しく背中を押されて「大丈夫だから!」と勇気づけられているのを誰もが感じとっていたようです。

(声楽家の瀬尾美智子ちゃんと伴奏の名取典子さん。いつもながら息がぴったり!)

美智子ちゃん、大きな愛とやさしさに抱かれるようなすばらしい時間をありがとう♡

 

 

 

21-05-11 ニセの自分を見張りましょう!

 

腹を立てたり、落ちこんだり、いちいちモノ申したり、なんでも思いどおりにしたい、できる! ・・・ と信じているのは、あなたではありません。

ニセモノの自分です。

ニセモノの自分とは、エゴのこと。その自分は、つねにざわめいています。ざわめいていることこそがニセモノの証拠なのです。

ホンモノの自分は静けさそのものだから。山深いところにある湖のように、シンと静まりかえって、微動だにせず、澄みきっている存在。

ニセモノ(エゴ)の自分は、いつも大騒ぎすることで注意をひこうとしています。

その注目の集め方は、「不都合、不公平がそこにある!」と叫んだり、「動揺」「怒り」「恐怖」などの強烈な感覚を使ってマヒさせること。

そのやり方は、いっぺんに注意をうばって、クギづけにすることができるから。

注意をうばわれる・・・ということは、じつは「我を忘れる」「自分の正体をなくす」ということと同じです。自分が誰だかわからなくなり、身じろぎもしない存在だったことをすっかり忘れてしまうのです。

そして、注意を奪った対象に脅威を感じ、怖れるようになります。

すると、ニセモノであるエゴは、混乱を糧に注意をひき、エネルギーをたくわえ、パワーアップしてゆきます。つまり、乗っとっちゃうわけです。

大騒ぎしているもの、うるさく意見や批判を述べるもの、怖がってちぢみあがっているもの ・・・ それらは、自分ではないことを覚えておきましょう。

それに対する対処法は、ただスルーすることだけです。相手をしないことです。

相手をしようとすれば、すぐさまからめとられます。スルーすれば、自分のまえを通りすぎるだけです。

静めようとする必要も、正そうとする必要も、助けようとする必要もありません。

ニセモノは、いちいちかまう必要はないのです。注意という栄養をもらえなければ静かに消え去る運命にあります。

ただ「ふう〜〜ん、そんなこと言っているのね」「そんなふうに感じているのね」と存在していることを認めたら、静かにながめていましょう。もうすぐに、消えてゆくのがわかるかもしれません。

しょせん、そんなはかないものだったのです。

ニセモノはいろいろなかたちであらわれます。

あるときは、軽蔑していたり、残酷だったり、身勝手だったり、冷酷だったり、こどもっぽかったり、怯えていたり、ずるかったり・・・。

それを自分だと思えば、恥ずかしく感じ、罪悪感を抱きます。

そんなふうに感じる必要も、裁く必要も、抵抗する必要も、正す必要も、取り除く必要も、悪く思う必要もありません。

自分ではないものとかかわるのはやめましょう。自分とは、静けさのなかで愛をたたえて、穏やかに微動だにしない存在です。

通りすぎるものの後ろに、静かに、だけど微動だにせず、ど〜〜〜んと構えている存在です。

自分のこころの状態に敏感になることによって、その静かな湖のようなこころを波だたせるものに逐いち気づけるようになりましょう。

気づけたとき、それは終わりにすることができます。

ただ認識し、静かに観ていることで、それは失速して姿を消す運命になるのです。

なので、「人」や「世界」についてつねにあれこれ言いたいニセモノについて、それが姿をあらわる自分のこころを静かに見守る習慣をつけましょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

気づきの日記「ニセの自分を見張りましょう!」

 

腹を立てたり、落ちこんだり、いちいちモノ申したり、なんでも思いどおりにしたい、できる! ・・・ と信じているのは、あなたではありません。

ニセモノの自分です。

ニセモノの自分とは、エゴのこと。その自分は、つねにざわめいています。ざわめいていることこそがニセモノの証拠なのです。

ホンモノの自分は静けさそのものだから。山深いところにある湖のように、シンと静まりかえって、微動だにせず、澄みきっている存在。

ニセモノ(エゴ)の自分は、いつも大騒ぎすることで注意をひこうとしています。

その注目の集め方は、「不都合、不公平がそこにある!」と叫んだり、「動揺」「怒り」「恐怖」などの強烈な感覚を使ってマヒさせること。

そのやり方は、いっぺんに注意をうばって、クギづけにすることができるから。

注意をうばわれる・・・ということは、じつは「我を忘れる」「自分の正体をなくす」ということと同じです。自分が誰だかわからなくなり、身じろぎもしない存在だったことをすっかり忘れてしまうのです。

そして、注意を奪った対象に脅威を感じ、怖れるようになります。

すると、ニセモノであるエゴは、混乱を糧に注意をひき、エネルギーをたくわえ、パワーアップしてゆきます。つまり、乗っとっちゃうわけです。

大騒ぎしているもの、うるさく意見や批判を述べるもの、怖がってちぢみあがっているもの ・・・ それらは、自分ではないことを覚えておきましょう。

それに対する対処法は、ただスルーすることだけです。相手をしないことです。

相手をしようとすれば、すぐさまからめとられます。スルーすれば、自分のまえを通りすぎるだけです。

静めようとする必要も、正そうとする必要も、助けようとする必要もありません。

ニセモノは、いちいちかまう必要はないのです。注意という栄養をもらえなければ静かに消え去る運命にあります。

ただ「ふう〜〜ん、そんなこと言っているのね」「そんなふうに感じているのね」と存在していることを認めたら、静かにながめていましょう。もうすぐに、消えてゆくのがわかるかもしれません。

しょせん、そんなはかないものだったのです。

ニセモノはいろいろなかたちであらわれます。

あるときは、軽蔑していたり、残酷だったり、身勝手だったり、冷酷だったり、こどもっぽかったり、怯えていたり、ずるかったり・・・。

それを自分だと思えば、恥ずかしく感じ、罪悪感を抱きます。

そんなふうに感じる必要も、裁く必要も、抵抗する必要も、正す必要も、取り除く必要も、悪く思う必要もありません。

自分ではないものとかかわるのはやめましょう。自分とは、静けさのなかで愛をたたえて、穏やかに微動だにしない存在です。

通りすぎるものの後ろに、静かに、だけど微動だにせず、ど〜〜〜んと構えている存在です。

自分のこころの状態に敏感になることによって、その静かな湖のようなこころを波だたせるものに逐いち気づけるようになりましょう。

気づけたとき、それは終わりにすることができます。

ただ認識し、静かに観ていることで、それは失速して姿を消す運命になるのです。

なので、「人」や「世界」についてつねにあれこれ言いたいニセモノについて、それが姿をあらわる自分のこころを静かに見守る習慣をつけましょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

 

21-05-02 パーソナル・ソング

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最近は、YouTube でひと昔まえの音源を気軽に検索して楽しめるようになりました。

お友だちと学生の頃に聴いていた曲をメールで送りあっては、「あ〜、これ懐かしいね〜!これ聴いていた頃、お互いこんなだったよね〜♪」なんて、ふだんは思い出すこともない話がつぎつぎに語られたりして。まるで当時に戻ったような気分になります。

昔お気に入りだった曲を耳にすると、そのときどんな状況で聴いていたのかとか、どんな生活をしていたのかとか、どんな気持ちだったのか、はたまたどんな服を着てどんな香りが好きだったのかまで、その当時をありありと思い出すことができます。

音楽が呼び水となって、こころの底にうもれていた記憶の箱のフタが開くよう・・・。

昨日観た作品「パーソナル・ソング(ALIVE INSIDE)」は、そんな昔の記憶をよびもどす力のある音楽を認知症の改善に役立てている方たちのドキュメンタリーです。

ホームで暮らす認知症が進行したお年寄りの方々は、家族や介護の方が話しかけてもほぼ無反応で感情を失ったように見えます。

瞳はうつろで、存在自体がすでに抜けがらのよう。ただ最低限のことに反応するだけです。

ところが! ・・・そのご老人たちに、それぞれが好きだった思いいれのある音楽をアイポッドで聴かせてみると、

あらあら、不思議!

ダラ〜ンとしていた操り人形に魂がふきこまれたよう!

瞳がパッと明るくなり、まるでいっきに電源スイッチが入りなおしたように生命がみなぎるのがよくわかります。

ずっと無反応だったある人は、ヘッドホンを耳にするやいなや目を大きく見開いて、過去の思い出話しをほとばしり出るがごとく語りはじめ、それがもう止まらないのです。まるで自分が誰であるのか思い出したかのよう。

ある人は、力なく歩行器にもたれかかっていたのに、音楽を耳にするやいなや顔は輝き、歩行器そっちのけで楽しそうにダンスのステップを踏みはじめます。

うつむいたきりだった人も、高らかな美声で歌いはじめたり、「(アイポッドに)何曲はいるの?2000曲いれて!」とすっかり前向き!

もぬけのからだったような方々がいきいきと生命と感情を取り戻し、まさに覚醒してしまうのです。

脳内で音楽を司る部分は、認知症になっても破壊されにくいそうです。

記憶の衰えや日常にうまく対応できないだけで認知症というレッテルを貼られ、あっというまにさまざまな薬を与えられ、刺激の少ない単調なホームのなかでただ起きて、食べて、寝るということをくりかえしているうちに、正常だった部分もどんどん失われてゆくようです。

認知症をはじめとして、身体や精神の不具合についての対処は、たんに表面にあらわれている結果(症状)に対して投薬するだけの治療だったりするので、目に見えないところにある原因の改善とはほど遠いようです。

でも、この音楽療法は、結果に対処することによって忘れさられてしまっていた原因の部分(こころ)を活性化することに役立っているようです。

たった一回でも、その方が好きだった音楽を聴くことで、まるで置き去りにされてホコリをかぶっていたロボットが急に電源につながれて息をふきかえすがごとく、まさにシャキーーーンという音がきこえてきそう。

その劇的な様子は、忘れさられて眠ってしまっていたこころが、あざやかに復活をとげるようで、それぞれのご老人から溢れ出す喜びの様子を目にして涙が出てしまいました。

やはり、どのような身体や精神の不具合でも、こころを置き去りにして治療も回復もないことがよくわかります。大切なのは、あたたかな愛の思い以外にはないようです。

そのためには、こころをもっとストレッチしてあげることが大切なのですね。
→予告を観る

 

 

 

お茶の間シネマトーク「パーソナル・ソング」

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最近は、YouTube でひと昔まえの音源を気軽に検索して楽しめるようになりました。

お友だちと学生の頃に聴いていた曲をメールで送りあっては、「あ〜、これ懐かしいね〜!これ聴いていた頃、お互いこんなだったよね〜♪」なんて、ふだんは思い出すこともない話がつぎつぎに語られたりして。まるで当時に戻ったような気分になります。

昔お気に入りだった曲を耳にすると、そのときどんな状況で聴いていたのかとか、どんな生活をしていたのかとか、どんな気持ちだったのか、はたまたどんな服を着てどんな香りが好きだったのかまで、その当時をありありと思い出すことができます。

音楽が呼び水となって、こころの底にうもれていた記憶の箱のフタが開くよう・・・。

昨日観た作品「パーソナル・ソング(ALIVE INSIDE)」は、そんな昔の記憶をよびもどす力のある音楽を認知症の改善に役立てている方たちのドキュメンタリーです。

ホームで暮らす認知症が進行したお年寄りの方々は、家族や介護の方が話しかけてもほぼ無反応で感情を失ったように見えます。

瞳はうつろで、存在自体がすでに抜けがらのよう。ただ最低限のことに反応するだけです。

ところが! ・・・そのご老人たちに、それぞれが好きだった思いいれのある音楽をアイポッドで聴かせてみると、

あらあら、不思議!

ダラ〜ンとしていた操り人形に魂がふきこまれたよう!

瞳がパッと明るくなり、まるでいっきに電源スイッチが入りなおしたように生命がみなぎるのがよくわかります。

ずっと無反応だったある人は、ヘッドホンを耳にするやいなや目を大きく見開いて、過去の思い出話しをほとばしり出るがごとく語りはじめ、それがもう止まらないのです。まるで自分が誰であるのか思い出したかのよう。

ある人は、力なく歩行器にもたれかかっていたのに、音楽を耳にするやいなや顔は輝き、歩行器そっちのけで楽しそうにダンスのステップを踏みはじめます。

うつむいたきりだった人も、高らかな美声で歌いはじめたり、「(アイポッドに)何曲はいるの?2000曲いれて!」とすっかり前向き!

もぬけのからだったような方々がいきいきと生命と感情を取り戻し、まさに覚醒してしまうのです。

脳内で音楽を司る部分は、認知症になっても破壊されにくいそうです。

記憶の衰えや日常にうまく対応できないだけで認知症というレッテルを貼られ、あっというまにさまざまな薬を与えられ、刺激の少ない単調なホームのなかでただ起きて、食べて、寝るということをくりかえしているうちに、正常だった部分もどんどん失われてゆくようです。

認知症をはじめとして、身体や精神の不具合についての対処は、たんに表面にあらわれている結果(症状)に対して投薬するだけの治療だったりするので、目に見えないところにある原因の改善とはほど遠いようです。

でも、この音楽療法は、結果に対処することによって忘れさられてしまっていた原因の部分(こころ)を活性化することに役立っているようです。

たった一回でも、その方が好きだった音楽を聴くことで、まるで置き去りにされてホコリをかぶっていたロボットが急に電源につながれて息をふきかえすがごとく、まさにシャキーーーンという音がきこえてきそう。

その劇的な様子は、忘れさられて眠ってしまっていたこころが、あざやかに復活をとげるようで、それぞれのご老人から溢れ出す喜びの様子を目にして涙が出てしまいました。

やはり、どのような身体や精神の不具合でも、こころを置き去りにして治療も回復もないことがよくわかります。大切なのは、あたたかな愛の思い以外にはないようです。

そのためには、こころをもっとストレッチしてあげることが大切なのですね。
→予告を観る

 

 

 

21-04-30 川べりのバカンス

 

川は、ただ鑑賞(観照)いたしましょう。

その流れを楽しみましょう。

多少、気に入らないものが流れてこようともそのままにしておいていいのです。

私たちがやりがちなのは、気に入らないものを目にすると、すぐさまタモを手にして片っぱしからすくいあげようとしてしまうこと。

すくいあげるにとどまらず、みずから川に突入してバシャバシャしてしまいます。

すると、予想外のおそろしいもの(ピラニア? ワニ?)に出くわして悲惨なめにあうことも・・・。

川に何がひそんでいようとも、そこでジャブジャブしてしまわなければ安全です。

退いてながめているだけだったら、それらとはなんの関わりもないのです。

どんなゴミが流れてこようとも、

それに文句を言ってちょっかいをだしたり、抵抗してわざわざ川から引きあげて自分のもとにもってくる必要はないのです。

ゴミは流されて、そのうち川のなかで姿を消してゆきます。

だから、ただ行かせてあげましょう。

私たちがするべきことは、ただ川べりでリラックスして、何が流れていようとも鑑賞(観照)してあげることだけ。

それが私たちがするべきこと。

川べりでバカンスを楽しむ人になりましょう。

*川は、私たちの人生そのもの。
そして、流れてゆくものは日々のさまざまな出来事です。*

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

気づきの日記「川べりのバカンス」

 

川は、ただ鑑賞(観照)いたしましょう。

その流れを楽しみましょう。

多少、気に入らないものが流れてこようともそのままにしておいていいのです。

私たちがやりがちなのは、気に入らないものを目にすると、すぐさまタモを手にして片っぱしからすくいあげようとしてしまうこと。

すくいあげるにとどまらず、みずから川に突入してバシャバシャしてしまいます。

すると、予想外のおそろしいもの(ピラニア? ワニ?)に出くわして悲惨なめにあうことも・・・。

川に何がひそんでいようとも、そこでジャブジャブしてしまわなければ安全です。

退いてながめているだけだったら、それらとはなんの関わりもないのです。

どんなゴミが流れてこようとも、

それに文句を言ってちょっかいをだしたり、抵抗してわざわざ川から引きあげて自分のもとにもってくる必要はないのです。

ゴミは流されて、そのうち川のなかで姿を消してゆきます。

だから、ただ行かせてあげましょう。

私たちがするべきことは、ただ川べりでリラックスして、何が流れていようとも鑑賞(観照)してあげることだけ。

それが私たちがするべきこと。

川べりでバカンスを楽しむ人になりましょう。

*川は、私たちの人生そのもの。
そして、流れてゆくものは日々のさまざまな出来事です。*

 

 

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ひさしぶりに深呼吸

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

だ〜れもいないのに、しっかりかっちりマスクをしている自分に気づき、苦笑してしまいました。

すでに、マスクと一体化してしまったようです。

そっとマスクをはずしてみると、新緑と風があまくて懐かしい、いいい匂い。

それと同時に、木々が風にそよぐ音があざやかに耳にとびこんできました。

(マスクでフタをしていると、他の感覚まで鈍ってしまうのかしらん?)

太陽クンも風にふかれてゴキゲンです♪