"遊びが足りなくなると、みるみるエネルギーの低下を実感しますね〜。(最近遊んでないのです・・・トホホ)朝ぜんぜん起きられないし。そういえば、先日ディズニーシーで開園から閉園までにアトラクションを10個めぐったときはいささか意識が朦朧としましたが、翌日はおそるべきエネルギーにあふれておりました。その昔、バリ島に一ヶ月ちかく滞在していたときも、朝陽とともに魚釣りや山登り、マリンスポーツにラフティング、やりたい放題で帰国すると一皮むけたようにスコ〜ンとパワフルになっていたものです。やっぱりエネルギーの出し惜しみはいけません。出せば出すほど増幅するものだと感じますね。だから、忙しいときほど思いっきり遊びましょう!!(ええぃ!来週はあそんでやるぅぅ!!)"
心の中も整理整頓
"このところ忙しくって、なおかつ手際も悪くて頭がゴチャゴチャ・・・。すると、突如わけのわからないふあ〜んな感じが襲ってくるのです。じゃあ、なにを不安がっているのか、と考えてみてもコレといった決め玉も見当たらず。たんにメールに返事をしていない!とか、あの件について手配しなくちゃ!とか、あの話の真意は伝わったかな〜!とか、あれ買ってこなくちゃ!とか・・、結構ささいなことばかり。これがミックスされると正体不明のモヤモヤになるようです。で、片っ端から書き出して対応を考えながら向き合うと、あら不思議!敵はどこだ?いや〜な感じはたちどころに消え失せていました。な〜んだ!ぜんぜんたいしたことないじゃない!という感じです。結局、自分の中でうまくカタがついていないとか、ひとくくりにできないで宙ぶらりんになっていると、いや〜な感じを醸し出しちゃうようです。"
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わたしの物差しは波形かな? あなたのは?
"悲願のトフィーナッツ・ラテは、ほかのスタバで無事ゲットすることができました。旨かったです!しかし、あのオニイさんにしてみたら悪気はなくて、率直に自分のいちばんいい!と思うものを勧めたまでなのでしょう。ホントにわたしたちは、「自分の物差しこそ、世で普遍だ」と思っているので、その物差し以外では物事を測れなくなっているのですよね〜。私のある行動に対して「なんでそんなに心配するの?」「そこまでシリアスにならなくっても?」という反応を友人がみせる場合がありますが、人には「コレがこうなると次は必ずこうなって、アラたいへん!」という自分独自の物差しにあてはめて考えざるを得なくなってるのでしょう。物差しなしでものごとがみられるようになったとき、実は自分自身を解放してあげることになるのでしょうね。"
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"つい、世直し根性が出てしまいました"
"きょうは黒板にオススメと書いてあるトフィーナッツ・ラテにしようかな〜?Sバックスコーヒーでのひとこま。「あっ、それはきょうは売り切れちゃいました」と男の店員さん。ガッカリ!「へ〜、そんなにおいしいんだ〜」と私。「いやっ、それほど旨くないっす」(なっ、なに?そうじゃないでしょ)気をとりなおして「じゃあ、ヘーゼルナッツ・ラテ!」と私。「・・・甘いっすよ!」(はぁ?)「本日のコーヒーはどうです?」(きっきっきみは、人の好みを無視するわけ?)「ヘーゼルナッツは甘いから、本日のコーヒーをすすめたいんですね」と、ついついセラピストアイデンティティが出て彼の発言をそのまま繰り返してみた。「すっ、すみません。自分、甘いのダメなもんで、ついその・・・」リピートの効果あり!彼は洞察に至ったようです。"
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"レイキ、あらためヴードゥー教"
"昨日、遠隔治療を施した友人から電話が入った。「ヴードゥー教の教祖様!きょうは、ずいぶん気分がよくなったよ。きょうもやってくれる?」えっ?そ、そんな怪しいエネルギー送ったかしら??「モチロン」と答えつつ、まだまだつらそうな様子なので特別大サービスで「フランスのルルドの泉から持ち帰った不思議な癒しのお水もあげようか?7年前ぐらいに行ったんだけど」と、私。一瞬嬉しそうだったけれど、いっきに引いている気配。ああ、7年前っていうのがお気に召さなかった?腐ったお水を想像しちゃったのね。ルルドのお水は悪くならないんだよ〜、とぼやきつつ念のため差し上げる前には味見をしてみることに。「ホ〜ラ!ぜんぜん腐ってない!大丈夫」でも、味見をしなくちゃ心配ってことは、実は疑ってたのはわたしだったのね。"
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「情けは人のためならず」育ててもらってます
"暖っかいはずの米西海岸は雪だそうで、凍ったハイウェイで事故ってしまった友人。で、ひさびさにレイキの遠隔治療を施してみました。やっぱり、これってホント気持ちイイ。誰が?送ってる私がです。エネルギーを出してるはずなのに、送ってる本人が一番の恩恵をいただいちゃっているのです。「人さまのために何かをするとき、それは自分のためにしているのですよ」とものの本にはよくありますが、「ああ、こういうことね!」とお腹におちた感じです。エネルギーの世界ではわかりやすい。こう考えると、いい事であろうと悪い事であろうと外側の人や物とのかかわりあいって、結局は自分が成長させてもらったり、気づかせてもらうために存在しているのだな〜とつくづく思います。何かと戦ったとしても自分が気づき成長するまで続くし、何かをしてあげてるようでもその行為によって育てられているのですね〜。合掌!"
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"貧乏ゆすり、ハンカチをいじくりまわす、しきりに頭を掻くあなた、ご注意!"
"あいまいな行動,これって人間が葛藤にさらされているとき、つまり何かをしたいのにできない、という抑圧状態で起こるものです。(彼女をデートに誘いたいのに声をかけられない、で貧乏ゆすってしまう・・・とか)このわけのわかんない行動によって、過剰なエネルギーが放出されて体がやられてしまうのを防いでるわけです。ホント人間ってよくできてるな〜と感心する反面、貧乏ゆすりするネコとかはあまり見ないので(え、いる?)、やっぱり人間って自分の正直な気持ちをかなり隠している動物だな〜と感じます。ここで重要なのは、本人がちゃんと気づいていないことです。知らずにこの行動だけが出てくるのですね。自分の気持ちぐらい知ってるょ!と思いつつ、自分にとってダメージが予想されそうな考えにはうま〜く気づかないようにして自分を守っているようです。"
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近頃はやりのエコシステム
"ほんとに私の脳ミソはエコシステムが発達しているな〜、と感心します。つまり、かなり省エネなわけです。ビデオ屋さんに行けばすでに観たものを何度もレンタルしてくるし、スーパーでは毎度おんなじものを買ってきて在庫過剰になるのです。これのどこが省エネなのか?かえってお金がかかるのでは・・・?つまり、どうでもいいことを覚えておくためにムダ(?)なエネルギーを使っていないということです(笑)。イザ!というときのために、記憶の容量もエネルギーもちゃんととってあるのですね。しかし、そのイザ!って、いったいいつなのでしょう?まぁ、理屈をこねくりまわすより「私はかなりのおっちょこちょいである!」と潔く認めることのほうがよっぽどエネルギーのセーブにつながるのかもしれませんが。"
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"いったい、どこに何しに行ったん?"
"視界がかすんで、ついには気が遠くなる。ここまで遊び倒したのは、遊園地3軒はしごして以来のこと。(あ、ふつうそんな遊び方はしませんか?)年末、ディズニSEAに行ってまいりました。2003年の遊び納めにはもってこい。しかし、肝心の場面では一心不乱にジェラートにパクつき、せっかくのパレードもミッキーも花火もそっちのけ。しまいには「ミッキーの声は気が脳天に上がりすぎている!」とイチャモンをつける始末。それでも、「やっぱ、ディズニーランドはいいねぇ!」とつぶやく私に友人は呆れ顔。ディズニーでは何が一番印象的だったか?う〜〜ん・・・やっぱり、お昼に食べたジェノベーゼのピザとライスコロッケでしょう!"
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新年明けましておめでとうございます
"今年も、「これが私だ!」と胸をはって言える一年にいたしましょう。まずは、自分をいっぱい可愛がってあげることから。たくさんの笑顔が花開く一年でありますように。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。"
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