20-05-27 つい相手の態度に反応してしまいます

 

昨日、別々の方から耳にした同じようなひとこと。それは・・・
「パートナーの様子が変で、私のせいかしら?私が煩わしいのかしら? と一瞬考えてしまいました」
「自分に対する家族の態度がひどく、自分には価値がないのではないか? と孤独な気持ちになってしまいました」

どちらも相手の態度によって、自分はダメなんだ!と感じてしまったということなのです。たしかに、むかし私も相手の態度に反応していた自分がいたのを思い出しました。

相手が冷たかったり、予想外の反応をしたりすると、わたしたちはついつい自分が攻撃されていると感じてしまいます。すると ・・・結局は、自分を守るために同じような攻撃的な態度をとることに。

「自分が攻撃されている」というのは、正しいのでしょうか?

ものごとの見え方というのは、自分の立場による自分の価値観そのものです。そして、「自分の考え」についての反応をとることになります。

ということは、「煩わしく思われている」「価値がないからひどく扱われている」というのは、「自分自身」の考えであって、自分が自分に対してそう思っているということなのです。決して「相手」の考えではないのです。自分こそがそう判断したのですから。

そして、私たちは「自分」の考えに巻きこまれ、その考えのとおりに「煩わしい存在として」「価値のない存在として」反応してしまいます。まさに、自分の考えをあらためて承認したことになります。

これって、自分で自分を傷つけてる・・・?!(汗・私もむかし思いっきりやっていましたよ〜!)

人が機嫌が悪かったり、攻撃的だったり、いつもと違うのは、「私のせい」というよりは、その人が自分自身のなかで混乱をきたしているにすぎません。その人も同様に「自分」の考えにとらわれていて、こころが誤作動を起こし、そのモヤモヤが表現されて、そのような態度になっていたのです。

でも、私たちはそれを「自分への攻撃」として受けとります。

すみやかに「被害者」の立場をとろうとするのです。「被害者」! それこそが、じつは問題なのです。

「被害者」になろうとしなければ、「あら?いつもと様子が違うわね。なにかイヤなことがあったのかしら?」と感じるかもしれないし、「なにかが思うようにいかなくて、自分を責める気持ちをどこにもっていっていいのかわからないのね!」と理解の気持ちをもてるかもしれません。

しかし、自分で自分のことを「どうせ私なんて!」と感じているときは、自分のことしか考えられなくなっています。どのようなネガティブな態度も自分に向けられた攻撃であり、自分の無価値さを示されているのだと感じてしまうのです。

それは、自分だけを見て、自分のことでアタマがいっぱいになってしまっている状態です。(こうなると、目に映るものなんでも、「私への嫌がらせね!」「私を攻撃しているのね!」と間違った解釈をするようになってしまいます。)

つまるところ、人間関係は「自分がどのような存在であるか」ということをあちこちに見ているにすぎません。人間関係は、「自分の考え」との関係なのです。

相手の態度に対する反応が「被害者」のパターン(どうせ私なんて!というイジケモード)に入ってしまいそうになるときは、ハイヤーセルフにお願いして、正気である愛に戻してもらいましょう。

「今、この状況を正しく見ることができないでいます」「私の真のアイデンティティは愛です。どうか、その愛のなかで正しく見られるようにしてください」と本来の自分に戻してもらいましょう。

私たちはなぜか、「傷ついているのは自分だけである」という思いこみがあって、まわりの人も自分と同様にさまざまな痛みがあることを忘れがちです。

とくに相手が男性だったり、あるいはいつも明るく強い人だったりするとき、「この人は傷つかないにきまってる。傷つくのは私だけだ!」と信じているところがあります。

でも、性別に関係なく、見えている性格にかかわりなく、みんなこころの中に痛みを抱えています。

誰もがまったく「自分と同じ」で、相手だって被害者になるし、自分には価値がないと感じることもあるし、孤独にさいなまれるし、混乱をきたしてまわりにまき散らすこともあるのです。「私」だけでなく、みんな同じなのですね。

だから、相手の態度がおかしいときには、自分の「被害者意識」はいったん脇において、「きっと私と同じに感じているに違いない」と理解しようとする気持ちをもってみましょう。

あとはハイヤーセルフにお願いして、愛を道しるべに導いてもらいましょう。

自分自身を癒して幸せになりたいと思っているとき、じつは相手の気持ちが理解できるようになることがとても大切です。

相手の気持ちがわかるようになると、自分が隠して気づかないようにしていた弱さを受け入れることできるようになり、はじめてその痛みを手放すことができるからです。

相手の痛みへの理解とは、じつは自分のこころのなかで隠されてしまっていた痛みを癒すことにつながるのですね。

 

 

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