20-08-14 いつだって人間関係は癒しのため

 

先日観た「ワン・モア・タイム」というコメディ映画は、ロバート・ダウニーJr. 扮する青年が女友達の家を初めて訪れたとき、奇妙な記憶にみまわれはじめます。

「あれ?この家はなじみがあるぞ!」「彼女のお母さんに目が釘づけ!」、さらにさまざま場面が目のまえにちらつきはじめ・・・ 本人も動揺しまくり。

じつは、その青年は前世で若くして亡くなっており、女友達のお母さんがそのときの奥さんだったのです(つまり、女友達は自分の娘で、その家は自分の住んでいた家)。

その人生であまりに奥さんとラヴラヴだったためにこころ残りが大きく、高速で生まれかわってきて、そしてその記憶が甦ってしまった、というわけです。

これを観ていて、あまりにも前世の記憶がはっきりしすぎているのも人生ややこしくなるな〜と感じたのでした。

なんせ、女友達とそのお母さんの両方とぬきさしならぬ関係なのですから、どっちをどうしたらいいものか?! それに、こんなふうに見知らぬ青年が突如あらわれて「ぼくだよ!会いたかった!」と迫られても、「サギですかっ!?」としか思えません。

ほどよく忘れてから再びやってくるのが正解なのだと感じます(リンポチェになる子どもだって、まるごと前世を覚えているわけではなく愛用品選びからはじまりますものね)。

「ほとよく忘れて」というのは、関係性やストーリーのあれこれは忘れてしまっても、「感情」だけはしっかり忘れていないということです。

たとえば、初対面なのになにかザワザワ不快に感じるとか、逆にまったく知らないはずなのに全部知っているような親しみを感じるとか ・・・ よくあることです。

たしかに私たちは、うまくいかない人に出会うと「前世でなにかあったんじゃないの?」とか、ひと目で夢中になってしまった人には「私のこころが覚えているのよ」なんて、ごくふつ〜に言ったりします。

アタマが忘れていても、感情がすべてを教えてくれる、というわけです。

それは、無意識のなかにあるなんらかの記憶がざわめいて感情の信号のみを送ってくるから。その下にはたしかに、なんらかのストーリーがあるようです。

そして、その感情の記憶が、今回の癒しのレッスンの道しるべになってくれるのです。

もし全部のストーリーを覚えていたら、「きみが前世であんなことをしたから!」「いいえ!あなたこそ!」なんて、ストーリーにこだわるあまり過去の蒸しかえしになってしまいますものね。

ニュートラルではない「感情」の波だち(嫌悪、怒り、執着、しがみつき・・・)は、自分には乗りこえるべきハードルがあることを教えてくれます。その感情を癒して、ただ愛になれるようにと。

理由はわからないけれど「嫌悪感」を感じる場合 → 攻撃したい、拒絶したい
なぜだかこころを奪われて「執着」を感じる場合 → 依存したい、しがみつきたい

そこには、自分に対する「弱さ」や「足りなさ」という誤解が潜んでいるようです。

いずれにしても、「人間関係」というものはいつもレッスンです。

それは、過去の「やった」「やられた」のくりかえしや、「弱い」「足りない」の誤解を乗りこえて、相手の存在をとおして真の自分を思い出すためのもの。

過去の多くの人生のなかでは、嫌悪する人、執着する人に対して、注意を注ぎすぎるあまりに自分のことががお留守になり、自分自身を見失ってきたかもしれません。

けれど、こんどこそ、その人たちをとおして自分を思い出すために出会います。

どうしたら思い出せる??

人という存在は誰であっても自分を映しだす鏡の役割をしてくれるものです。私たちのこころは外を見て、自分という存在の価値を決めているからです。

自分の完全さを知りたい、自分の愛を知りたい、自分の安らぎを知りたい、自分の真の姿を知りたいと思ったら、

彼らという鏡のなかに、そのすべてを見たい、見ようと決めて、見ること。

鏡であるその人のなかに見えてしまったのだったら、それは自分のなかにかならずあるのだ!とこころは受け入れるからです。映っているのだから、まぎれもなく私は真の自分を見た!と。

そうして、そのように見てもらえた人たちも、「え?私のことが完全に見えたの?愛に見えたの?・・・」「だとしたら、それが私なのね!」とそれを受けとることができるようになるのです。

そして、まったく同じ性質をもつもの同士(あわせ鏡)として上下やランクがなくなり、違いがなければ「嫌悪」や「執着」という見方も癒されてゆきます。

全部が同じになったら、全部がひとつに見えてしまうのでしょう。

出会ったのであったら、こんどこそ手をとりあって真の私たちの完全さに目覚められますように! 愛すべきあわせ鏡に愛をおくりましょう♡

 

 

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