21-08-13 モノゴトを小さく切りとらない

 

こころがキューっとなにかに集中すると ・・・ それは大きくなります。

そこだけにスポットライトがあたって、大うつしになる感じ。

それは画面いっぱいにふくれあがり、いっぽう自分自身はしゅ〜〜ん・・・とシュリンクしてしまいます。

私たちの注意はまるで拡大鏡のよう。こころは、自分で拡大したものにまんまと囚われてしまうのです。

わかりやすいのが恋愛です。

相手にこころを奪われて相手にばかり気をとられているうちに、相手は自分のなかでパワーアップして巨大化し、ついにいっぱいになってしまいます。(注意という拡大鏡で拡大したら、こころのなかがその映像、思いでいっぱいになってしまった状態です。)

曇り空でさえも太陽の存在が消滅していないのと同じように、そのとき自分自身の存在は決して小さくなったり消えてしまったわけではないのですが、

おもいっきり注意を注いだ相手の存在によってこころはパンパン、まさに太陽不在のごとく自分不在のように感じられてしまいます。自分不在は、無力で居心地が悪いものです。

注意(またの名を執着と欲望という・・・汗)を注いだ相手は、こころのまんなかにデンと強力に居座っています。

「あなたのこと以外なにも考えられなくなってしまいました!苦しいからどいてくださ〜〜い!(汗)」・・・いえいえ、あなたがそれを真ん中に置いたのです。

これは恋愛だけでなく、問題や心配ごとでも同様です。

それに集中しすぎるために、それに自分のスペースを明け渡してしまい、自分自身が忘れさられてしまったがゆえにひどい無力感にさいなまれます。

そうなると、その不安感からなおさらその対象に固執することになってしまいます。(対象をどうにかしようと向かって行ってしまうのです。)

けれども、さらに自分を小さくしパワーを奪ってしまうという悪循環に陥ります。

一点に集中は、見ている対象に巻きこまれて自分を失ってしまうことになり、またひとつに集中することでその他を切り捨てるため、孤独感や孤立感にさいなまれることになってしまうのです。

一点に集中してものごとを見る、というのは自分を幸せにしてあげられる見方ではないのです。

切りとらないものの見方とは・・・たとえば、

寝転がってリラックスし、自分自身が意識のなか(後ろの方)に退くのを感じてみましょう。

そして、自分の見ている世界の「はしっこ」に気づいてみましょう。

はしっこをず〜っとたどってみると、楕円形に世界が入っているのに気がつきます。

そして、その楕円形の世界こそが自分の意識(こころ)に写し映像で、そこには自分だと思っていた人影も見ることができます。でも、そっちはただの映像で、この写し出している土台こそがホンモノです。

このように、目にするすべてのものは自分のこころのなかのもの、自分のこころに映りこんでいるもの。自分とはちょっとも離れていないのです。

今まではキュ〜っと集中してその一部分だけを切り取って、自分 VS それ というように、見知らぬもののように扱っていたものが、じつは「ぜんぶ私だったのね!」と気づくことで、ちょっと落ち着きます。

決してえたいの知れないものは現れていなかったのです。

今まではどこか外側からそれはやってきて、仰天させられたり、ホンロウさせられたり、困らせられたりしていると思っていたものも・・・じつは自分のこころのスクリーンにあらわれているもの。

安心と信頼をもって、全体を受けとめてあげましょう。

それを安心して見れば安心感が、信頼して見れば信頼感がもどってくるのです。なんせ、ひとつのこころだから。

そして、こころのなかで拒絶されることなく受けとめられたものは、そのまま消え去り流れてゆきます。

ひとつひとつを切りとる(価値判断する)ことなく、ただあるがままに行かせてあげましょう。

そうすると、問題も気にならなくなり、すべてが穏やかに過ぎさってゆくのを感じられるかもしれません。

 

 

 

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