22-10-29 問題は “引いて” 解決する

 

なにか解決したい問題に直面しているとき、私たちは必死でアタマを使おうとします。どうすべきか悩みながら、四六時中アタマはフル回転。

なぜなら、小さい頃から「もっとアタマを使いなさい!」としっかり考えることを躾けられてきたからです。だから、賢い解決はアタマで考えることから生まれると信じています。

しかし、「ああでもない、こうでもない・・」と心配しながらアタマを使いつづけると、身もココロもかなり消耗することに気つくと思います。ヘトヘトになり、悪くすると体調を崩してしまいます。

それは、アタマはクヨクヨ、あれこれ悩むための器官ではないからなのです。クヨクヨすることで、アタマは不自然な使われ方をし、かなりの負荷がかかり、ブレイクダウン寸前になります。

アタマは作業の手順を考えたり、するべきことの段取りを組んだるするために使うツールなのです(目的地に9時までに到着したいのなら、何時に起きて何時に家を出ればいいの? というように事務的なことを考えてくれます)。

アタマのなかで問題をあれこれ考えることで、問題は私物化され、私物化されることで自分の癒されていない感情(怖れや欲望や期待)をそこに投影する(くっつける)ことになり、問題に対する感情的な反応が強くなり、問題そのものよりもその感情に反応したり抵抗したりし、問題の焦点がずれてしまいます。

また癒されていない感情に反応することで、そこに過剰な注意が注がれ、問題が肥大化し、ずっと維持されるようになってしまうのです。

そうならないために、問題から離脱いたしましょう。

「離脱する??」・・・それは、ずぶずぶ問題に浸りきっていた自分が、問題から退いて、離れて、引いてフカンして観る、ということ。ひとりの個人としてそれを見ない、ということです。

*まずアタマのなかで繰り広げられているお喋りに気づいて、静まってみましょう(お喋りが繰り広げられていることに気づくだけで、静かになってきます)。

**そして引きのレンズのようにそこから退いて、起こっていること全体に気づくようにしてみます。

かかわっている人の反応や行動。自分自身の反応(怖れ、焦り、期待、願望、もくろみ、損得など)にも客観的に気づいてみます。

***この状況にかかわる人やそこで起きていることをすべてをふかんして見ることで、個人を離れて全体となります。自分という存在のなかにあるその問題をあるがままに味わい愛でてみましょう。

そうすることで、これらは自分という存在のなかにやがて静かに消え去ってゆくことができます。

このように自分という個人から離れて全体になることで、すでにそこに存在している叡智による浄化が可能になります。

何もせき止めるようなもの(感情や願望)が存在しないので、すべては自然な道筋で流れはじめ、完全な形をなし、すべての人にとっていちばんよい形で整えられることになります。

後ろに引いて、退いて、全体をふかんする目になって、静かにくつろいで見ていましょう。

これが受け入れることであり、明け渡すことであり、答えを受け入れることなのです。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング