22-12-26 ほんとうの癒し・・・とは

 

「アロマで癒されましょう」「ストレッチやヨガで癒しを」、あるいは「癒しの空間」「癒しのひととき」・・・というように、巷には「癒し」というワードがあふれています。

しかし、それらは「癒し」というレッテルにすぎません。レッテルが「癒し」ならば、なんとなく癒されているような気にもなるものですが、ほんとうのところは癒しではなくリラックスのためのものです。

ほんとうに「癒される」ということは、病んでいた原因を取り去り完全に回復させることです。リラックスとは、原因はそのままで和らげることなのです。

なので、巷でいわれている癒しは、ほんとうのところ癒されることなくさらに走りつづけるためのニンジンを差しだされているにすぎません。今までと同じように、ちょっと気持ちがよくて、ちょっとステキなニンジンに気をとられながらさらに走りつづけ、欲望の底なし沼に足をとられて少しづつ呑みこまれてしまいます。

「癒しだと思っていたけれど、じつは癒しではなかった!」と気づくのは、底なし沼に呑みこまれて、息ができなくなるあと数センチのところです。

そうなるまで、それがほんとうの癒しだったのか、はたまたエゴの差し出すニンジンにおびきよせられてワナにはまっていただけなのか、考えてみることもありません。

真の癒し、つまり病や苦しみの原因を癒すことは、もはや追いかけるためのニンジンをあきらめることです。それは、自分の外側に見える一見コウゴウしく見えるなにかに救いを求めないことです。

今までは、外側にあるなにかパワフルでステキなものをとっかえひっかえ試してみれば、きっと自分を幸せにしてくれる、私は救われる、と信じていたかもしれません。そして、さまざまな刺激的なものに中毒になっていたかもしれません。

外側のなにかは、じつは底なし沼に沈んでゆく自分のむなしさからちょっとだけ気をそらしてくれただけかもしれません。それは一時的な気晴らし、痛み止めの役割しかはたしてくれなかったのです。

しかし、外にニンジンを求めることをやめさえすれば、そのときはじめて「なんで、私はこんなドロ沼に無力なままはまっていたのだろう?ここはわたしの住むところではない」と沼に沈みゆく自分の現状を直視することができたはずです。

「こんな私はおかしい!」とドロ沼にはまっている異常な状態に気づいて、気づけたからこそ脱出をはかろうとしたはずです。

だから、自分を真に救ってくれはしない外側の刺激で自分を満たそうとすることよりも、まずはただ静まって、今の自分の状態と向きあい、直視してみましょう。そして、「私ときたら、どっぷり沼のなかだったわ!」と気づいてしまいましょう(そのように、生きづらさに正直に気づくことが、救いのために必要な一歩なのです!)。

気づいたらハイヤーセルフ(高い自己)に助けを求めて、「ここは私のいたいところではありません」とそこからひっぱり出してもらいましょう。

なぜなら、もやは私たちは自分ではそこから出られないところまできてしまっているのです。アゴ下までまるまる呑みこまれているときには、強力な助っ人であるハイヤーセルフがレスキューに駆けつけてくれます。

こころを開いて助けさえ求ることができれば、いつだってあなたにぴったりの聖なる救助隊の存在に気づくことができるはずです。

まずは、日々どんなニンジンで自分自身を麻痺させているのかに気づいてみることです。そして、怖れずにそのドロ沼という現状に向きあってみましょう。

すると、助けだしてくれるハイヤーセルフとともにもっと別の道を行くことができることに気づきます。

ニンジンのかわりにハイヤーセルフとともに進む道は、一回試したらやめられなくなるほど安心でラクチンな道のりかもしれません。 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング