2000年05月07日 死海でプカプカ

 「死海で浮遊してきた!」という友人がいた。なんで「死海」なの?といぶかしく思った。景色も美しそうでもないし、なんといっても遠そうだ。リゾート地はいくらでもあるのに。

 だが、なぜか気がついたら私も「死海」のほとりにいた。はからずも。(人の奇行を非難すると、たいてい自分も同じようなことをしている。)

 私は、いまだかつて浮き具なしで水に浮いたことがない。いわゆる金槌。何度か特訓は重ねたが、項を奏さない。過去生で溺死でもしたのか?「力を抜いて水に身を任せなさい」というところがうさんくさく感じる。ホントに沈んじゃったらいったいどーしてくれるの?

 でも、死海は塩分35%。普通の海の10倍である。誰だってあたりまえに浮くし、浮きながら雑誌だって読めるらしい。と、いうことで水着に着替え、雑誌とカメラを手に[私だってちゃ~んと水に浮く] 証拠写真を撮りにいさんでホテルのプライベートビーチにおりた。しかし、屋内プールは人であふれているのに、ビーチにはひとっこ一人見あたらない。ましてや浮いている人などいない。中近東といっても2月の夕方4時すぎはいささか水が冷たいらしい。しかし、フト見るとナント、おじーちゃんが浮いている。それも同胞。恐るべし日本男児!大和魂!

 おじーちゃんだって浮いているんだから、はるばるイスラエルくんだりまでやって来て私も浮かないわけにはいかないでしょ~!というへんな使命感が湧いてきた。

 膝までつかっただけで、けっこう冷たい。ほとんど叫びっぱなしの状態で自分の軟弱さを改めておもい知った。「浮く」ということは、全身つからなければならない。まるで、禊ぎ(みそぎ)の修行の様相。(禊ぎは、こんなにはしたなく叫びはしないが。)なんだか「浮く」ことよりも「水にはいる」ことのほうが一大事になってしまった。

 友人に、始めはちょっと支えてもらって浮遊に成功!計画どおり、雑誌など手渡してもらい、ハイ、ポーズ。はじめから「浮く」と思っていればこわくないもので、いつまでもプカプカ浮いている。私は今まで、かたくなに浮かないことを証明しようとしていたようだ。ほっとけば、人間ラクに浮くらしい。「浮く」快感をおぼえた私は、その後も屋内死海温水プールでいつまでもプカプカ楽しんだ。

 とはいっても、まだまだふつうの水では浮く気になれない私です。また今度、死海でね。