14-05-23 大学生のお悩み相談 その1

先日、大学で授業をしたとき、Q&A タイムにとくに多かったご質問。

ひとつは、「人のことをどうしても見下して、バカにしてしまうんです」というもの。もうひとつは、「人がこわいんです」というご相談。

じつはどちらも、「自分の小ささ」「不十分さ」というところで根っこは同じものなのです。

●「人のことをどうしても見下してしまうんです」

「見下す」ということは、相手を自分よりも下においておきたい気持ちです。同じレベルであってはいけないし、ましてや自分よりも上だなんてもってのほか!

「見下して」自分よりも下におくことで、自分よりもデキの悪い人をしっかりとつくっておく必要があるのです。すると「自分よりも下」な格付けができて、自分は偉い人になれる。

それは「自分の価値」を自分自身で認めてあげることができず、つねに劣等感でくすぶっている証拠です。自分よりもデキが悪いと言い放っておけば、おのずと自分の価値があがるし、そんなひとことを言えちゃう自分も偉いのだわ・・・と錯覚します。なので、相手を批判したり、ダメだししたり、あるいはコントロールすることで、自分の傘下においておけば優越感が感じられて安心なわけです。

これって一見、自分のために役立っているように見えますが、じつはとんでもないことが起っています。なぜなら、「こころの中は一人称である」という大切なことを忘れているからです。つまり、「こころは人に対して考えたことは、自分に対して考えたこと」として受けとるということ。

そうなると、「人を見下す」というのは自分の価値をおとしめる行為で、自分をバカにして自分の首を締めていることになります。わたしたちは自分に対する価値を外側に投影して、それが人からの扱いという形をとって戻ってきます。となると、自分の価値を下げて、いいかげんに扱われる原因をつくっていることになるのです。

本当に自分に対して「ありのまま」の自分を認めてあげると、おのずと他人のことはどうでもよくなります。他の人がどのような生き方をしていようとも、「ああ、それがその人の生き方なんだな〜」「その人の自由なんだな〜」とそのままにしておくことができます。

気に障るのは、自分の中の劣等感も相手の中に見えちゃうと、何か言いたくなっちゃうのですね。

どんな生き方であろうと本人が納得しているのなら、その人にはその人を生きる権利があり、誰からも指図をされたり侵害されたりするものではありません。わたしたちは、あまりにも安易にそれぞれの人が持っている「境界線」というものを踏みこえて、「あ〜だ、こ〜だ」と言ってしまいがちですなのですね。

まずは自分に注意を向けて可愛がってあげることで、自分が心地よく安心できるようになります。すると、おのずと人へのちょっかいは減ってくるのです。

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もうひとつのお悩み相談、「人がこわいんです」はまた次回に!!

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト