14-06-18 プチな感情を見逃さない

プチなるものは、かんたんに見過ごされがちです。

たとえば、こころのなかのプチもやもや、プチざわざわ、プチいらいら・・・。

こんな感情もしょせんプチなので、さっさと楽しいことに集中したり、お酒やスウィーツで気をまぎらわせたり、スポーツで発散すれば・・・「ホラ、もうぜんぜんOK!わたしってポジティブ」となるのです。

気分転換はまったく悪くないのですが・・・問題なのは、プチなる不快感は依然としてまだそこにあるということ。無視してもけっしてなくならないのです。このプチなるものを軽く扱うと、あとでしっぺ返しがやってきます。

なぜかというと、プチなる不快感は全然プチなどではないからです。表面の意識と、隠れている意識の大きさを比べたら、がぜん隠れている意識のほうが巨大で、プチ不快感はガチにそこに根をはっていて、それがチクリと表面意識を刺激してきます。だからほんとうの姿はかなりパワフルで、人生の障害物となってたびたび姿をあらわします。

プチだという理由で無視してしまったがために、わたしたちはこのプチが発する問題に足をとられつづけるのです。

このプチなる不快感こそが、わたしたちが隠している本当の気持ちや、本当に信じていることを教えてくれるシグナル。そして、プチとして表面化する目的は、隠されつづけたその不快感を片づけてほしいといっているのです。

自分の中で放置され、見捨てられた感情が、ケアされることを要求しています。これはちゃんと見てもらえるまで、手をかえ品をかえシグナルを送りつづけるのです。

人生にあまり問題をつくらないようにしようと思ったら、このプチなるもやもややざわざわと丁寧に向きあうことが大切です。

かすかにいやな感じがしたときに、いったん立ち止まり、「あれ?なんでこんな気持ちになった?」「なにをいやがってる?」「どうあるべきだと思ってる?」 ・・・と、ずっと無視してきた自分の中の声と向きあってあげます。その弱さ、悲しみ、ふがいなさを無条件に受けとめて、ただそのまま感じてあげます。

すると、それはあんがい簡単に消え去ります。わたしたちの生きる目的は「感じること」なので、こうしてちゃんと向き合って感じてあげると、それは消滅して、自分の大きな部分とひとつになります。そして、弱さだったものがパワーや強さへと姿を変えます。

これを繰り返しやっていると、クセになるのです。なぜかというと、このプチなる不快感をしっかりと受けとめて感じたあとに、なんか笑っちゃうような軽やかさがやってくるとこと。(ひとりでクックックと笑っていて、かなり不気味な人になったりしていますが・・・)

そして、いったん片づけるともうそれは戻ってこなくなります(片づくまで同じパターンは戻ってくることがあります)。勝手にこころがもやもやしたり、ざわざわすることがなくなって、スッキリしてくる感じがあります。

こうして、潜在意識を占領して、圧力をかけていたエネルギーの付加をどんどん減らしていくことができます。このプチ不快感が隠れていたスペースがすっきりするほど、どうやら本来の働きであった平和な感じとか、喜びとか、愛情とか・・・喜ばしいものがやっと姿をあらわせるようになります。

わたしたちのこころは、いつも「ひとつである(Oneness)」の状態に恋いこがれています。だから、この抵抗されて切り離されているプチ不快感を自分の中に戻して、ひとつにしてあげなければならないのです。こころの中でこの「ひとつである」の感じが達成されればされるほど、外の世界も「ひとつ」になり、対立や不和、不調和な問題が消えていくのです。

外側の問題を物理的に解決することも大切ですが、こころの中にある不快感としっかりとむきあってあげることは意外なほどに人生をスムーズにするパワーがあります。

ざわっときたら、もやもやっとしたら、気分を変えるまえに、是非一度、その感情を受けとめて、ひとつになって、感じてみることをしてみてください。それが終わったら、いつもの気分転換へどうぞ♪

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト