15-03-26 アトピーやじん麻疹、すべて心の問題

春先になったせいでしょうか? じん麻疹やアトピーのご相談がふえてきました。 ・・・といっても、ここは皮膚科のお医者さんではありません。こころのセラピーをするところ。

繰りかえされるじん麻疹や消えないアトピーというしつこい皮膚トラブルに対して、飲み薬や軟膏、○○療法などの外から何かすることでは解決にはならないということがだんだん理解されてきているようです。そうなのです。わたしたちが経験することで、「こころ」が原因になっていないものなど、なにひとつ存在しません。

皮膚トラブルをもつクライエントさんのカウンセリングをしていて、共通点に気がついてきました。

それは、みなさまとても「よい方」なのです。人あたりがよくて、頑張り屋さん。だからこそ、人と争いたくないので自分の「感情をのみこみ」がち。

「それはちがうでしょ」と理不尽さに腹がたっても、すごくイヤなことがあって落ち込んでも、すぐに気持ちを切りかえて「ハイ!もう大丈夫!全然わすれちゃったよ。立ち直りの早いわたし」とまったくこだわらずさっぱりした明るい人に見えます。(そう、タフに見える人ほどじつはデリケートだから、さっさといやなことはなかったことにしたいのです。でもぜんぜん大丈夫じゃないのです。ほんとうのところは。)

いっけんこだわらないように見える人は、お酒の力を飲んで気分を変えたり、友人にちょっとばかりグチってすっきりしたような気になったり、ゲームをしたり映画を見たり趣味に注意を向けて気をはらしたり。まあ、世にいわれている「気分転換でもしてきなさい!」なのですが、いずれにしても「解決した」というよりは「押し入れにつめこんで」見えなくしたから、ハイ、部屋はきれいになったよ〜!メデタシ、メデタシという感じです。 ・・・でも、遅かれ早かれ、押し入れの扉がふっとび、なかに隠しもっていたものが爆発的にあらわになるときがやってきます。

いままで何回もブログのなかで書いてきましたが、感情は飲みこんでも、無視しても、なかったことにしても、なくなりません。しっかりと受けとめて、味わって、経験してあげたときに、すべてきれいに跡かたもなくなくなり、未来にも影響を与えなくなります。感情は感じたが勝ち!なのです。

その押し入れの扉がついにふっとんですべてがぶちまけられるとき、だからといってそのむかし理不尽に扱われた相手につかみかかるわけではありません。もうちょっとひかえめな(腰がひけた?)表現方法。

・・・ それが皮膚トラブル。まさかおデコに「○○さん、わたしは怒っているんだぞ〜!」というテロップを流すわけにもいかないので、まるで怒って攻撃しているカメレオンやトカゲのように皮膚の色や状態を変えることを「武器」にして、攻撃をしかけているわけです。

もちろんご本人、これを意識的にやっているわけではありません。まあ、わたしたちの行動のほとんどすべては無意識です。だから、この皮膚をつかって抗議するという策も、もちろん無意識でやっています。しかし、残念ながらあまり功を奏していません。

ちゃんと理性的になっていたら、こんな相手には抗議とも受けとられず無視され、苦しむのはそれをやってる自分だけの方法なんて、とてもじゃないけれどやっていられません。でもここで大切なのは、「こんなにかわいそうなわたしを見てちょうだい!」「こんなひどいことになっています!」なのです。そして無言のうちに「あなたが気づいて反省するまで、わたしはこれをやめません」と。

しつこい蕁麻疹やアトピーでいちばんこころを痛められるのは、ご本人以上にその方のご両親です。そして、そのご本人が「忘れてくれるなよ!」と思ってメッセージを送っているのも、じつはご両親に対してのことが多いようです。

傷つけた相手に抗議するだけでなく、その傷ついた本人は「もう二度とこんなふうには傷つきたくない」とこころに決めています。皮膚トラブルは人との問題が起きて再び傷つかないように、まさに人との距離をとる方法なのです。痛いから触れてくれるな!、近よってきて見ないで!・・・ 深い意識は自分を守ろうと、危険なもの(つまり傷つけるだろう人たち)は近づけないようにしています。まるでヤマアラシのトゲトゲ状態。でも、ヤマアタシのジレンマといいますが、ヤマアラシは孤独なのです。自分のことはまんまと守れたけど、その代償に人とつながる、親密感を持つことを犠牲にしています。

傷つけられたことへの怒りを持ち続けるリスクは、冷静になってみるとぜんぜんわりにあわないことがわかります。知らないうちに、孤立感だけでなく、人生の自由も失ってしまったりしするのです。

そもそもの傷ついたむかしの記憶をたとってみると、だいたいそんなにたいしたことではありません。たいてい子供時代、それも幼児の頃の出来事です。そのぐらいのこどもは、ものごとの全体を見ることができないし、起っていることにたいして説明してくれる人がいないので、出来事が実際よりもシリアスにとらえられているし、また誤ったものの見方で解釈されているものです。

だからイメージのなかでもういちどその場面にもどって、現在の大人の自分がその困っている小さな自分を助けて、導いてあげて、それを正しく再体験させてあげることによって、そこからの人生の展開が大きくかわってきます。ようやく、トゲとしての皮膚トラブルをひっこめる決心をすることができるのです。

わたしたちが現在目のまえに抱えている問題(身体のことであろうと、他の人がかかわることであろうと)、それらはみんな「今」のことが原因というよりは、もっともっとむかしに培われた「幼い自分のものの見方」が、あらゆるバージョンで形をかえて人生の問題としてあらわれているだけなのです。ですから、目のまえにあることを一生懸命いじくっても、じつはほんとうの解決にはなりません。

じん麻疹やアトピーも、まずは「怒ってるんだぞ!!」と叫んでいる自分のなかの癒されていない小さなこどもに気ついてあげて、その子の声をちゃんとききとってあげることによって、その問題も解決できるし、またほんとうの自分自身に対する自信もともに手に入るものなのです。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー