16-03-20 セラピーって怖くないですか?

「セラピーを受けたいけれど抵抗があります。自分のなかにコワイものがあるようで」 ・・・こんなお問い合わせをよくいただきます。

醜い自分、怖がりな自分、やたら怒る自分、利己的な自分、けっこう残酷な自分、自信のない自分、特別になりたい自分、人を見下す自分 ・・・それらは自分がなりたい理想の自分とはかけ離れているので、そんな邪悪な自分の片鱗を感じるとわたしたちは必死でこころにフタをし封印しようとします。だからこころをのぞかれるのは困っちゃう。本当の自分なんて見せられないし、見たくない。・・・

この考え自体が、そもそも間違った考えから生じているのです。

わたしたちは誰もがもれなく、自分のなかにいるダメな自分を怖れています。だからでっちあげの自分像を完璧にするために、日々頑張ることに人生を費やします。それが幸せになるためのモチベーションであり、自分磨きであり、自己啓発とも呼ばれています。「足りないダメな自分」が前提になっていて、それを必死で繕うわけです。

なので、セラピーも「足りない自分につけ足すもの」あるいは、「ダメなところを修復すること」というように、何かを正したり、つけ足すものだと思われがちです。

しかし、セラピーは「足し算」をするものではないのです。じつは限りなく、せっせと「引き算」をしていくもの。「引き算」こそセラピーです。そう、こころのゴミだし。

誰のなかにも、完璧なその人らしさ、輝きがすでにあります。まったくキズのない宝石そのもの。ピカピカ!

しかし生まれてから様々な環境におかれ教育を受けるなかで、「人と同じにならなくちゃ」「あれもできなくちゃ、これもできなくちゃ」とあらゆる比較や価値判断にさらされた結果、自分は「人並みじゃないダメな人間だ」「完全に足りてない人」というレッテルを貼ってしまいます。

その間違ったレッテルを基準にしてその後も生きていくので、どんどん「わたしはダメ」という闇が深まります。「ダメさ」をメイクアップするためにすべての行動をとるようになります。

(余談ですが、「すんごく明るい人」というのも、じつは深いところでダメさを深く感じているがゆえに、それを繕うための偽りの明るさだったりします。その場合、無意識にそのように振る舞っているため、本人も気づいてない場合が多いのですが。)

自分の輝く宝石がその間違った思いですっぽりと被われてしまうと、自分がじっと見つめるのは間違ったレッテルだけとなります。

つまり、自分のキラキラの完璧な宝石のうえに邪悪な醜いプロジェクトマッピンクの映像を投影してしまった感じです。見えるのは、その恐ろしい自分の映像で、本当のことは隠されてしまいます。

だからこそセラピーの目的は、その間違ったプロジェクトマッピングをストップすること(自分の本当のアイデンティティ、完璧さを思い出すこと)。そして、本来の輝きがあわわれるようにホコリを払ってあげること(さまざまな間違ったものの見方を訂正すること)。

自分が怖れを感じていた自分の本性とは、じつは恐ろしいものではなく輝かしいものなのです。本当の自分のうえにかぶせていたプロジェクトマッピング(誤解されたアイデンティティ)こそが恐ろしいものだったわけです。

こんなふうに「こころ」のうえにゴミがたまったり違うイメージをかぶせてしまつことが、すべての問題の元凶。

だからこそ、「引き算」が大切。「引き算」こそがセラピーなのです。

「こころ」こそが、そして「こころ」のみが、このように問題をつくりだし、抱えることができます。。

そして、このホコリと間違ったイメージを取り去ると、なにもつけ足したり修理することなく、自分の宝石の輝きが外側に広がります。この自分の輝きが広がる視界こそが、愛や安らぎ、喜び、平和、満足、豊かさを映し出してくれます。これが安定した安らぎをもたらしてくれるのです。

この自分のこころの完璧さを知ることでしか、ほんとうの幸せ、安らぎはえられないのですね。

セラピーは怖いものに直面するのではなく、こころのジャンクをお掃除して、ほんとうの自分の完璧な輝きに出会う方法なのです。

クライエントのみなさまの感想は、「セラピーは楽しい♪」「もっと本当の自分をしりたい♡」・・・そうなのです! 本当の自分に出会うのは喜びです。ワクワクします。だからセラピーはエンターテイメントなのです ♬

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング