16-02-02 「凶」のおみくじ、さあどうする?

アメリカから遊びにきた家族を案内して、浅草寺を訪れたというA氏。

夕方、彼からなにやらあせった口調のメールが送られたきた。メモのようなコピーも添付されていて、そこには「凶」の文字がデカデカと。どうやらおみくじをひいたらしく、その結果に動揺されているご様子。「凶」は、たしかにハッピーにはしてくれませんが・・・。

「それ、ただの紙片だから」となだめても納得せず・・・。しまいには「日本の神社は人をおどしておいて、お祓いやお守りでお金儲けをする気か!」とご立腹。(はいはい、お気持ちはわかりますが、世界中どの宗教も似たりよったりです。「恐怖」を使っている点ではね。)

・・・というぐあいに、私たちは外からやってくるものに怯えて、攻撃されているように感じて被害者になります。それがごくふつうの反応の仕方のように思えますが ・・・じつはうまくハメられているのです。だれに?

・・・ 自分自身に。

このせいで不安だ、このために苦痛だ、あの人のせいで頭にくる・・・不安や苦痛や怒りの理由はさまざまですが、じつはどんな出来事がおきていようと、「その出来事はあとづけだ」ということなのです。

ほんとうは、自分の「感情」こそ先にありき! なのです。

何がおきていようが、自分の感情こそが、出来事の真犯人。そして、出来事はもともとあった感情にあわせて、ココロがうまくでっちあげています。

だから、このおみくじ騒動にしても、不安な感情が自分のなかに先にあって、その不安をかかえているのが不快なので、ココロはどうにかそれを処理しようとします。自分の中にあると気持ちがよくないものを、外のせいにすればすっきりするというわけです。そこで、ココロは「自分の感情(不安、苦痛、怒り)にあった出来事をうまくマッチングさせる」わけです。なにかをでっちあげて、この不安のつじつまをあわせようとします。(すると、たんなる紙片がキョーフになります。)

不安に理由(あとづけのできごと)をくっつけると、なんだかその感情をもっていても納得できるのです。(こういうおみくじが出たら、ひどい気持ちになってあたりまえ!と。)

ココロは、その不安の原因になりそうな「出来事」を上手にあとづけして、このおみくじのせいで自分はとっても不安だ。このせいなのだ。いや、もともと悪いのは神社だ。あこぎだ、金儲けしてる、気分が悪い!・・・と。(どんどん自分という本当の原因からは遠ざかっていき、外のものを責めます。)

結局、抑圧していた自分のイヤな感情がずっとそこにあったことを無視して、「このいやな感じはこのせいでした。私はなにも悪くありません」とホコ先を変えられるのです。外に悪者を見て、そこを責めることでイヤな感じが決着すると信じたいのです。

そして、あまりにも素早くでっちあげるから、自分でやっていることながらまったく気がつきません。

結局、自分の見ている世界は、自分の感じていること、信じていることにそったあとづけ、でっちあげ。自分のもてあましたイヤな感情が先にありきで、その感情のつじつまをあわせるために責めるべき人、ものをこしらえています。(ココロはイリュージョンをするマジシャンみたいです。)

自分が無価値だと思えば、無能で的はずれの人が目のまえにいてその人に腹をたてるし(ほんとは、自分に腹がたっている)、自分が無力だと思えば、自分が病気になってそこをなげくこともあります(モノとか人のかわりに、自分の身体もそのでっちあげの対象になるのです。)

おみくじのA氏には、自分がもともともっていた不安感のシンボルがそのおみくじであることを説明して、その不安を教えてくれていたのだから感謝すべきなのだよ〜説明しました。

だから、避けようとするのではなくちゃんと感じて、手放して(感情はちゃんと感じると終わりになります)、ひとつ潜在意識の中の付加が減ったことをお祝いするべきなのです。ココロのごみを片づけると、イヤな人、ものごとに出会うことがだんだん少なくなります。平和な世界になるのです。そして、おみくじは燃やすなどして、ココロのお掃除の完了の証にするとよいですよね。

よくないおみくじは癒すべきポイントを教えてくれていると思って感謝して受け取ることで、自分の幸せのための足がかりとしての道具になるのですね。そして、どんなことであれ感情が波立つときにはいつでも、自分の感情のお掃除をうながされているようです。

 

 

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