19-03-18 心のために日々気をつけることって?

A: セラピーを受けて、自分の中心に戻れたように感じています。今後の生活のなかで、どのようなことに気をつけたらよいでしょうか?

Q: セラピーを受けられてお気づきになったと思うのですが、癒しとは何かをつけたすことではなく、あくまでもいらないものを「捨てるさる」作業でした。自分のこころにある間違った考えや感情を取りさることです。

なぜなら、完全さ・安らぎ・幸福感はすでに自分のなかにあるからです。

ただおおい隠しているものを取りはらいさえすれば、それは輝きを放ち、広がり、自分の知覚を照らしてくれます。

そういった意味で、日常において気をつけるべきことは、

1、どうでもいいものをつけ足そうと走りまわるのではなく、こころのなかの「捨てさるべきものを見逃さない」覚悟。

2、自分の外側にあるものはほっておいて、「あくまでも自分のこころとだけ向き合う」こと。

1 は、私たちは「足りない」という信念がベースにあるため、どうしても「つけ足す」ことにしか注意がむきません(あれを買って、これをやって、あそこに行って、あの人に会って ・・・全部つけ足すためです)。でも、先ほども書いたように、必要なことはただ「捨てさる」ことだけなのです。

2 については、外側は自分のこころのイメージです。外側にばかり気をとられて批判したり、どうにかしようとしていると、自分が作りだしたものの結果にふりまわされ、おおもとの原因は忘れさられます。

自分が幸せになろうとして、自分の外側にあるものを追い求めたり、どうにかしようとすることはなんの役にもたちません。むしろ、本来の自分からズレてしまうことなのです。

なぜなら、「追い求める」ことじたいがすでに「不足感」のあらわれなので、外に追い求めれば追い求めるほど、さらに自分のこころのなかの空虚感を自分にとってシリアスなものにしてしまいます。

それよりも、何かをなさなければならない、手にいれなければならない、どうにかしなければならない、という「変わるためには何かが必要である」という不足の思いを認め、そのさらにおおモトで信じていることに気づいて、受けとめ、感じて、それをとりのぞくために高い意識にさし出すことが必要となります。

そのために大切なことは、自分のこころをしっかりとモニタリングしていることです。自分のこころで何が起こっているのかをしっかりと把握することです。

なぜなら、自分のこころこそが、自分の目にするもの、感じるもの、体験すること、すべてを作りだしているからです。

そして、そのこころの誤作動がどのように起こり、その結果として自分自身を攻撃してしまっていることを見極めなければなりません。

なぜならば、自分の考えのほとんどは無意識にうめこまれています。まして、自分にとって堪えがたいと感じる思いは、自分がいっさい目にできないところに埋めこまれて、ほぼ自分にとって「ない」に等しいものとなっているからです。

その存在に気がつくことができるのは、こころの思いが形となって自分の外の世界に映しだされるとき、つまり「問題」という形をとったときだけなのです。

だからこそ、自分にとって不快なもの、喜ばしくないもの、嫌いなもの、無視したいものは、自分の見ることができないこころが外に映しだされたものであり、こうして知覚できてこそそれを処理するための唯一のチャンスでもあるのです。

しかし、そこで自分がそれを批判して、被害者になってしまってはもともこもありません。せっかくの解決の糸口が示されたのに、自分は背をむけてしまったのです。そして、「それは自分とは関係がない!」と言ってしまったことで、もうそれを自分から取りさる力を失ってしまいます。

このように、自分がほんとうに片づけなければならないものは自分のこころの奥深くに埋めこまれ、ほうむりされてしまったため、それが目のまえの不快感としてあらわれたときにしか、それを処理することができるチャンスはありません。

イヤなものを見つけてしまったときこそ、「ああ、自分が真に癒されて、自分の当然の権利である幸せをうけいれるためのチャンスがここにやってきている。ありがたく真っ正面から受けいれて、こころのなかのゴミを捨てよう!」と前向きに受けとめなければならないのです。

だから・・・

* 自分がイヤな気分になっているとき、いつものクセで自動的に被害者になり外側を責めることはやめて ・・・ なぜこう感じてるのだろう? このおおモトとなっている思いとは何なのかを探求してみます。

かならず、自分に対してやさしくない考えがそこにあります(私は無価値だ。悪いやつだ。孤独だ。好かれていない。)そして、その考えがあると自分に価値がないように感じたり、未来が不安になったり、まわりが敵のように感じてしまいます。

そんなふうに、自分の考えが自分自身を攻撃しない限り、私たちは穏やかさ、幸福感を感じることができるのです。自分の考えが自分を攻撃して、自分をみじめにしたり、不安にしたり、暗くしているのに気づいてみましょう。

** そして、自分が幸せになるためにふさわしくない考えは高い意識に手渡して、自分のこころから取りさってもらいましょう。

自分の考えに敏感になるためには、なるべく何か自分の外側の刺激で自分をごまかさないことも大切です。忙しくする、出歩く、ゲームをする、買い物をする、過食をする、だらだらおしゃべりをする、ネットをみつづける、人のことばかりに気をとられる、お酒をのむ、恋愛に没頭する、人やものごとを批判する、同じ考えを考えつづける・・・・ これらは全部、自分の感じていることから気をそらせるための手段であり、イヤな感じを煙にまいて温存させることができます。

*** 勇気をもって、なるべくごまかさず、自分の感じていることに直面して、探求し、高い意識に委ねる習慣をつけましょう。

私たちの本来の状態は安らぎそのものです。

そうでないものを断じて見逃さない、という意欲が本来の自分に戻るためのカギです。

でも、最初のうちは、ズレまくっていてほぼ安らいでいない自分にびっくりするかもしれません。しかし、それに気づくことこそが大切なのです。「ああ本来の自分でないものにずっぽりとはまりこんで、自ら悲惨になっていたのね」と愛をもって認めましょう。

自分がズレてることを逐いち認めることができる正直さこそが、一歩一歩正すための近道です。

そして、正すことができれば、何もつけ足すことなく「安らぎ・幸福感」は自然とやってくるものなのです。それは、自分の外側へと広がり、自分の見る世界を平和にしてくれます。

そのために、自分の不快感、イライラ、不安感を見逃さないようにいたしましょう。

 

 

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