19-03-23 安らぎのスペースから生きる

注意を、外といわれる世界に向けつづけていると ・・・不安や怖れ、葛藤にみまわれるのをさけることができません。

世界にはたくさんのものがあるように見え(ほんとうはたった一つのイメージだけなのですが)、日々「途方もない数の雑多で秩序のないものたち」VS 「ちっちゃくて無力な自分」というプレッシャーのなかで生きることになるからです。

それはフェアじゃない力関係なので、当然怖れを感じることになります。そして、必死で世界をコントロールしようと試みます(コントロールはとっても疲れることです・汗)。

一方、注意をまったく反対側に向けてみることで(外の世界から顔の表面へ、さらにそのうしろへ) ・・・ 何も存在しないかにみえる空間、空(くう)が広がっています。

私たちはあまりにも雑多なものに囚われることに慣れてしまっているため、この何ひとつ存在しない空間は居心地悪く感じてしまいます。とても退屈です。

外の世界の方が刺激に満ちていますが、刺激と安らぎ(平和)は両立しません。

そして、この忘れさられていたスペースこそがほんとうの「私」なのです。

それは私たちの意識の空間であり、存在そのものであり、全方向に途方もなく広がっています。また、向こう側といわれる世界が生まれる源であり、いわば根っこの部分です。世界を包みこんでいるのです。

根っこの部分を完全に無視していたがために、そこから現れでた世界はぐらぐらと混乱して感じられていました。

どうしても外の世界ばかりを気にしたがる注意を、この根っこの空間へともどしてあげる必要があるのです。根っこを気づかってこそ、そこを強く養い、そこから力をえて出発することができます。

それは、ここのスペースを忘れさることなく、ここにくつろぎ、ここから世界を見て、ここから選択し、ここから行動を起こす・・・ということです。ここからすべてを始めなければならないのです。

そんなことをしてもなんの違いもないように思いますが、

なぜだか安定感があります。安らぎがあります。静けさがあります。確信が生まれます。自然と正しい行動に導かれます。そして、いつのまにかみんなにとっていい結果となります。

この空間にとどまることは、いいかえるなら自分の高い意識とつながることと同じなのです。その存在からの答えを手にすることと同じです。

そして、この空間にとどまることは、退くこと、聞くこと、委ねること、明け渡すこと、といいかえることもできます。

ここに注意をおきながら同じように生きることで、怖れや葛藤が減少しはじめ、少しづつ世界に対する意味づけが優しくなり、その結果自分のなかに安らぎが生まれるようになります。

さらに、それが外側に広がり、安らぎの循環を生み出すように感じられます。

外の雑多な世界にばかり注意をむけてあたふたするのではなく、

向きをかけて、そこのスペースにくつろいで、その静かなスペースとともにそこからすべてのことを始める習慣をつけてみましょう。一日のうちに何度でも、このスペースにもどってとどまります。

この根っこの部分での安らぎこそが、平和な世界をみるためのもととなるもの。そして、私たちが何よりも求めている幸せを達成してくれる大切なスペースなのです。

 

 

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