気づきの日記「大切なのは・・・素直さ!」

 

こころの学びをしてゆくとき、自分を癒そうとするとき、問題を解決しようとするとき・・・ いちばん大切なことは何ですか? と聞かれることがあります。

ズバリそれは ・・・ 「素直さ」かなぁと思います。

素直なこころの方は、プライドに執着することがないので、こころにためこんだジャンクをじゃんじゃん解放してゆくことができます。

私たちは誰でも、こころのまわりに城壁を築きあげて自分を守ろうとしています。その城壁を取り除かない限り、ゴミ屋敷になってしまったお城(こころ)の掃除もにっちもさっちもいかないのです。

しかし、学びたい、癒したいといいつつも、この城壁をガッチリと守っている方が多いのです。いざ近づこうものなら、攻撃されかねません。

学びも癒しも解決も、既存のものを取り壊すことこそが目的なので、ここを守ってしまってはもともこもありません。

まるで取手のない引き出し、ドアノブのない家 ・・・ 攻め入られないためには役立ちますが、なかをお掃除したいときには困ったことになります。

もし抵抗などなく扉がオープンであれば、あっというまにいらないものを吐きだして、身軽になったらそこに宝ものを発見することができるかもしれません。

学びがすすまない方、癒すことができない方、問題を解決できない方の共通点は、自分の間違った正しさにしがみつき、それをかたくなに守ろうとしてしまうこと。

「自分の考えこそが正しい」ということが前提となるので、進むことよりも守ることにエネルギーを費やします。そうなると、不必要なものを手放すどころか既存のものを守ってしまいます。

自分こそが間違っていた、だから苦しいのだ、と気づけなくてはならないのです。

「自分が自分を苦しめていた。だから、間違いをリセットしたい!」と素直に認めてしまえる人は早いです。

どうせここにいる全員が、ものの見方や感じ方については決定的に間違っているのですから(全員ですよ〜!みんなで間違っているならコワくない!笑)、そこに執着して時間とエネルギーをムダにするより、すべてを開け放してしまったほうがよいのです。

間違っていました!とさえ言ってしまえば、ゴミ屋敷がきれいに片づけられて、光がみちあふれた安らかな空間を手に入れることができ、そこにこそ自分が望んでいた答えがすでにあることに気づくことができます。

私たちの高い自己であるハイヤーセルフは、私たちの「変わりたです!」というこころからのひとことを待っています。

そのひとことが発っせられるまで、なにひとつ無理強いせずに、たとえ泥沼の格闘でさえも味わい愛でてくれるのです。

「そんなのひどいじゃないですか、さっさとひっぱりあげてくれればいいのに!」って?

どんな状態であろうとも、私たちにとって自分の意志でないことはなにひとつないからです。その意志は、いつも大切に尊重されています。

私たちにとってあまりにも昔にくだした決断は、自分でも何を決めたか思い出せなくなっているのです。だから、泥沼の格闘であっても今それをしているならば、その昔それを愛していて、望んでいたらしいのです。

いったんこころに決めてしまったことは、もう一度自分で決め直すことによってしか流れを変えることができません。

だから、決め直すことこそがセラピーのお役目であり、決め直せばハイヤーセルフは全力でバックアップしてくれるのです。

セラピーのなかですることは、自分が無意識のうちに執着している苦しみのプログラミングに気づいて手放すこと。(この苦しみのプログラミングこそが、ゴミ屋敷にたまっているゴミです!)

片づけるためには、いさぎよく「間違っていたけれど、正す意欲はあります」と言えるならば、

ハイヤーセルフの大いなる力を自分のものとして、無意識のうちにためこんだこころのジャンクをくまなくお掃除してもらうことができます。

すると、そこに見たこともないような宝が輝いていることにびっくりするかもしれません。

ということで、自分の問題を解決したい、ラクになりたい、より幸せになりたい、というときには、とりあえず白旗をかかげましょう。「私は完全に間違っていました~!自分を正したいで〜す!」と。

ここからスタートすれば、スポンジが水を吸うがごとく天からやってくるサポートを自分のものにすることができます。

素直になれれば、川の流れをボートに乗ってスイスイと運ばれていくように少ない労力で進めるものです。

手こぎのオールという「自分の正しさ」は手放して、すべてを委ねて、ほんとうの自分にむかってハイヤーセルフのラクちんモーターでスイスイ進ませてもらいましょう!

自分が扉を開きさえすれば、あとはハイヤーセルフが強力なお掃除ロボットでじゃんじゃんお片づけをして正気にもどしてくれるのですから!あとはおまかせです。

素直さだいじです♡

 

 

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はたして??

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

ナゾのプリングルス、いったい何のお味だったでしょうか?

口に入れたとたんに感じたのが旨味! 和風のお出汁も感じるけど、もっと強い味わい。

たぶんお肉だわ! 和風ステーキ??

もう一枚食べてみると、ちょっと炭焼きのような香ばしさ・・・ってことは焼き鳥?!

味って、タイトルがないとけっこうあいまいでわからなかったりします。

ゼリーに入っている角切りフルーツがなんだかわからなかったり、ポタージュスープになっている野菜がナゾだったり・・・。

でもね・・・最初から「これです!」と言われてしまうと、それをこえてありのままを味わうことができなくなっているようです。「うんうん!知ってる味と同じね!」で満足しちゃう。

むりやりステレオタイプの味にあてはめて、そこからはみ出ているオリジナリティは切りすててしまっているのかもしれません(知っているものしか体験できなくなりますよね〜)。

私たちだって、「日本人、○歳、女(男)、職業○○」。はい、わかりました、おしまい!なんて言われたくないものね(汗)。

なので、この子は、不思議味のままにしておきましょ(笑)。

香ばしくって旨味があっておいしいでした♪

 

 

なごめるおやつ

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ここ数日、仕事と私用でバタバタと忙しい日々がつづいていたら、

お友だちがなごめるおやつを送ってくださいました。

見たことがないお菓子のラインナップ! チキンラーメンのぼんち揚げ? もっと不思議なのはプリングルズのミステリー味?!

プリングルズらしからぬ見るからにナゾなパッケージですが、「日本のために開発した謎フレーバー」と書いてあります。

ということは、お醤油はポピュラーすぎるし ・・・ だったら、ミソ? かつおぶし? 納豆? お好み焼き?

食べてのお楽しみですね〜。

ご報告は、また後日。Kちゃん、ありがと〜〜♡

 

 

20-11-21 自分を傷つけるのは自分だけ?!

 

私たちがモノごとを見るとき、

根底にある「思い」が間違っていると、そこから「間違ったものの見方(価値判断)」が生まれてしまいます。

その結果、「間違ったものの見方」からは「恐れ」が生じ、そうなると目にするものすべてが自分にとって敵のように感じてしまいます。そして、その敵から身を守るために、つねに戦うことになります。

間違った思いは、たえまない戦いへとつづきます。

たとえば、「ここは、コワイことが起こるキケンな所だ」という無意識の「思いこみ」があると、なにを見ても「何かが間違っている」という「価値判断」が生まれ、そうなると身を守るためにつねに臨戦態勢となり、戦いが日常となるのです。

戦おうとすれば罪悪感を感じることになり、その罪悪感を中和するために自分を痛めつけるということでバランスをとろうとします。そうなると、人生はイバラの道になります。・・・

すべては、最初の自分の「思い」、こころのなかにある考えによって生まれるので、自分を幸せにするのも不幸にするのも、自分のこころだ、ということになります。

残念ながら、私たちは自分の思いが間違っていることになかなか気づくことができません。

たとえば、誰かが自分を無視したり、攻撃的な態度をとってくるとき ・・・ おっと! もう、この時点で間違ってしまっていることに気づきますか? 無視や攻撃的というのも、自分が勝手にはっているレッテルにすぎません。事実ではありません ・・・ その間違ったレッテルの結果、自分は傷つけられたのだと信じてしまうのです。(ほんとうは、自分の価値判断が自分を傷つけたにすぎません。悪気はなくても、そういう態度しかとれない人だったかもしれないからです。)

なにを見ても「自分めがけて、それが起こっている」と感じてしまうのは、それだけコワレモノのような弱い自分を感じているのかもしれません。

そうでなかったら、「あれ?この人、態度がおかしいけれど、何かあったのかな? 大丈夫かな? 何か助けられることはあるかな?」と歩み寄って手をさしのべようとするからです。

でも、コワレモノという自分を信じてビクビクしていると、なにもかもが自分への攻撃だと感じてしまうのです。

自分を傷つけないものの見方をするために、一番よいのは「まったく価値判断をしない」ことです。

恐れや怒りを感じているなら、すでに自分が間違った判断をしてしまったがゆえに、それが自分をおびやかしているからなのです。

しかし、なにひとつ言葉を使わないで、カラッポのこころでものごとを見るとき、そこには自分独自の攻撃のストーリーが入りこむことがないので、そこからでっちあげの戦いのストーリーが展開してゆくこともありません。

価値判断せずそのままにしておくことによって、ものごとはあるがままに進行します。そして、すべての人にとっていちばんよい展開となるのです。

コワく感じるときには、自分の価値判断が完全に間違っていた、と知りましょう。

間違った価値判断をしていたことに気づいたら、「私は間違っていました」ということを正直に認めましょう(「間違っていた」と認めないかぎり、決して正しくはなれないのです)。そして、からっぽのこころで、ハイヤーセルフとともにそれを一緒に見てもらいましょう。

「すべてはよきことのため!それだけが起きていることの理由」であることを受け入れましょう。

私たちは期待したもののみを見ることができます。

恐れを期待して、まんまとそれを見て、それと戦うのではなく ・・・ 完全な愛を期待して、完全な愛こそを目にして、安らぎのなかで生きる練習をいたしましょう。

 

 

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気づきの日記「自分を傷つけるのは自分だけ?!」

 

私たちがモノごとを見るとき、

根底にある「思い」が間違っていると、そこから「間違ったものの見方(価値判断)」が生まれてしまいます。

その結果、「間違ったものの見方」からは「恐れ」が生じ、そうなると目にするものすべてが自分にとって敵のように感じてしまいます。そして、その敵から身を守るために、つねに戦うことになります。

間違った思いは、たえまない戦いへとつづきます。

たとえば、「ここは、コワイことが起こるキケンな所だ」という無意識の「思いこみ」があると、なにを見ても「何かが間違っている」という「価値判断」が生まれ、そうなると身を守るためにつねに臨戦態勢となり、戦いが日常となるのです。

戦おうとすれば罪悪感を感じることになり、その罪悪感を中和するために自分を痛めつけるということでバランスをとろうとします。そうなると、人生はイバラの道になります。・・・

すべては、最初の自分の「思い」、こころのなかにある考えによって生まれるので、自分を幸せにするのも不幸にするのも、自分のこころだ、ということになります。

残念ながら、私たちは自分の思いが間違っていることになかなか気づくことができません。

たとえば、誰かが自分を無視したり、攻撃的な態度をとってくるとき ・・・ おっと! もう、この時点で間違ってしまっていることに気づきますか? 無視や攻撃的というのも、自分が勝手にはっているレッテルにすぎません。事実ではありません ・・・ その間違ったレッテルの結果、自分は傷つけられたのだと信じてしまうのです。(ほんとうは、自分の価値判断が自分を傷つけたにすぎません。悪気はなくても、そういう態度しかとれない人だったかもしれないからです。)

なにを見ても「自分めがけて、それが起こっている」と感じてしまうのは、それだけコワレモノのような弱い自分を感じているのかもしれません。

そうでなかったら、「あれ?この人、態度がおかしいけれど、何かあったのかな? 大丈夫かな? 何か助けられることはあるかな?」と歩み寄って手をさしのべようとするからです。

でも、コワレモノという自分を信じてビクビクしていると、なにもかもが自分への攻撃だと感じてしまうのです。

自分を傷つけないものの見方をするために、一番よいのは「まったく価値判断をしない」ことです。

恐れや怒りを感じているなら、すでに自分が間違った判断をしてしまったがゆえに、それが自分をおびやかしているからなのです。

しかし、なにひとつ言葉を使わないで、カラッポのこころでものごとを見るとき、そこには自分独自の攻撃のストーリーが入りこむことがないので、そこからでっちあげの戦いのストーリーが展開してゆくこともありません。

価値判断せずそのままにしておくことによって、ものごとはあるがままに進行します。そして、すべての人にとっていちばんよい展開となるのです。

コワく感じるときには、自分の価値判断が完全に間違っていた、と知りましょう。

間違った価値判断をしていたことに気づいたら、「私は間違っていました」ということを正直に認めましょう(「間違っていた」と認めないかぎり、決して正しくはなれないのです)。そして、からっぽのこころで、ハイヤーセルフとともにそれを一緒に見てもらいましょう。

「すべてはよきことのため!それだけが起きていることの理由」であることを受け入れましょう。

私たちは期待したもののみを見ることができます。

恐れを期待して、まんまとそれを見て、それと戦うのではなく ・・・ 完全な愛を期待して、完全な愛こそを目にして、安らぎのなかで生きる練習をいたしましょう。

 

 

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20-11-14 ラブ・アクチュアリー

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

以前にもブログで紹介したお気に入り作品、リチャード・カーティス監督の「ラブ・アクチュアリー」。この季節になると観たくなります。

なぜなら、これはクリスマスの5週間まえからクリスマスイヴへとつづく物語なのです。

登場人物は次から次へと19人ほど出てくるのですが、コリン・ファースやら、エマ・トンプソン、ヒュー・グラント、リーアム・ニーソン、ローワン・アトキンソンなどイギリスの名優さんたちがぞろぞろ。そして、登場人物全員が主役なのです。

だから、はじめて観ると話があっちに飛びこっちに飛びとっちらかっているように感じるかもしれませんが、クリスマスイヴに向かってそれぞれがクライマックスを迎えます。

「世の中に嫌気がさしたら、ヒースロー空港の到着ゲートへ。ここでは、love is everywhere ・・・ 見回してみると実際のところ、この世には愛がみちあふれている」。 ”Love actually" is all around からとった「ラブ・アクチュアリー」なのです。

父と子、夫と妻、上司と部下、スターとマネージャー、首相とスタッフ、同僚同士、恋人、友人、クラスメート ・・・さまざまな愛の人間模様。

しかし、だれもがはずかしがりやで、ぶきっちょで、勇気をだして頑張ってみるもののすれちがい、それでも再び素直に一歩ふみだしてみる ・・・ そうすればどうであれきっと自分は幸せを感じられる。

そんなそれぞれの場面をなつかしいポップスがつなぎます。(→予告を見る)

映画のよいところは、自分の無意識のなかにうもれている気づくことのなかった感情に気づいて、癒してもらえること。主人公それぞれの姿に「わかる、わかる」と共感しつつ涙しながら、ともにまえに進んでいるのに気づくかもしれません。

寒さがましてくるこの季節、こころが温かくなりクリスマス気分も味わえる、オススメの一本です。

涙壷度:★★☆☆☆(観るたびに、より泣けるようになりました)

PS *ヒュー・グラントのこういう役、大好き。のりのりダンスが可愛いです♡
じつは、この作品には、「ラブ・アクチュアリー2」というチャリティ目的で制作された短編テレビドラマがあり、14年後のみんなの姿が描かれています。そのなかでも、ヒュー・グラントはダンスを疲労しているのですが、あらら階段から落下?!

*この監督さんの「アバウト タイム」もオススメです。

 

 

お茶の間シネマトーク「ラブ・アクチュアリー」

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以前にもブログで紹介したお気に入り作品、リチャード・カーティス監督の「ラブ・アクチュアリー」。この季節になると観たくなります。

なぜなら、これはクリスマスの5週間まえからクリスマスイヴへとつづく物語なのです。

登場人物は次から次へと19人ほど出てくるのですが、コリン・ファースやら、エマ・トンプソン、ヒュー・グラント、リーアム・ニーソン、ローワン・アトキンソンなどイギリスの名優さんたちがぞろぞろ。そして、登場人物全員が主役なのです。

だから、はじめて観ると話があっちに飛びこっちに飛びとっちらかっているように感じるかもしれませんが、クリスマスイヴに向かってそれぞれがクライマックスを迎えます。

「世の中に嫌気がさしたら、ヒースロー空港の到着ゲートへ。ここでは、love is everywhere ・・・ 見回してみると実際のところ、この世には愛がみちあふれている」。 ”Love actually" is all around からとった「ラブ・アクチュアリー」なのです。

父と子、夫と妻、上司と部下、スターとマネージャー、首相とスタッフ、同僚同士、恋人、友人、クラスメート ・・・さまざまな愛の人間模様。

しかし、だれもがはずかしがりやで、ぶきっちょで、勇気をだして頑張ってみるもののすれちがい、それでも再び素直に一歩ふみだしてみる ・・・ そうすればどうであれきっと自分は幸せを感じられる。

そんなそれぞれの場面をなつかしいポップスがつなぎます。(→予告を見る)

映画のよいところは、自分の無意識のなかにうもれている気づくことのなかった感情に気づいて、癒してもらえること。主人公それぞれの姿に「わかる、わかる」と共感しつつ涙しながら、ともにまえに進んでいるのに気づくかもしれません。

寒さがましてくるこの季節、こころが温かくなりクリスマス気分も味わえる、オススメの一本です。

涙壷度:★★☆☆☆(観るたびに、より泣けるようになりました)

PS *ヒュー・グラントのこういう役、大好き。のりのりダンスが可愛いです♡
じつは、この作品には、「ラブ・アクチュアリー2」というチャリティ目的で制作された短編テレビドラマがあり、14年後のみんなの姿が描かれています。そのなかでも、ヒュー・グラントはダンスを疲労しているのですが、あらら階段から落下?!

*この監督さんの「アバウト タイム」もオススメです。

 

 

20-11-12 正しいからだのいたわり方

 

A: 体調がすっきりしない日々がつづいています。いろいろためしても回復しません。

Q: からだの調子がわるいとき、わたしたちはからだの面倒を見ようと一生懸命からだにかまってしまいます。

あれを飲んで、これを食べて、ああして、こうして、とこころを砕きます。

でも、これが落とし穴だったりします。

からだの不調をよりリアルにするべくエネルギーを注いでしまっています。

私たちは「からだ」ではなく「意識(いのち)」なので、からだの面倒をせっせと見てもほんとうの自分をいたわっていることにはならないのです。

からだは自分という広大な意識にある針の穴のようなもの。

なぜ穴なのか?・・・ それは、そこにエネルギーを傾けても傾けても、ぜんぶダダもれ状態になるからです。つまり、穴、ザルなのです。

自分がカバンをもっているイメージをしてみましょう。カバンをもっている自分とは意識である自分であり、カバンはからだです。

カバンをいくらみがいても、自分が元気いっぱいにならないのと同じなのです。

可愛がる場所をまちがってしまっています。

それよりも、自分のいのちである意識の広がりに気づいてあげましょう。そこをもっと大切にしてあげましょう。

静かに目を閉じて、すでにそこにある自分の意識の広がりに気づいてみましょう。ただそのなかにくつろいでみましょう。は〜っと息を吐きながら安らいでみましょう。

まるで温泉に入ったように、そのスペースへと自分を解放してあげます。

「ああ、気持ちがいい♡」と感じたら、どんどん広がってみましょう。いままで肩に力が入っていたことに気づくかもしれません。

そして、ただその状態を楽しんでみましょう。

楽しんでいると、その広がりがリアルになって楽しさがましてきます。また、軽くなると同時に、光を感じるかもしれません。

これが、自分のいのちをいたわってあげる簡単な方法です。自分を正気にし、元気にしてあげることができます。

「おかえりなさい」と、迷いでていたこころを迎えてあげてください。

からだの調子が悪いときには、「調子が悪い」ということに抵抗しようとするのではなく(抵抗するということは、それが自分よりも力があると信じてしまっています)、

ただこの広がりに気づいてくつろぐ時間をとってみましょう。

その広がりを十分に味わったら、それからいつも自分がしている健康法や、そのときひらめいたことをしてみるとよいと思います。

正しい自分を正しい方法でいたわってあげることで、自分のからだ、自分の世界の調子がよくなってきます♡

 

 

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気づきの日記「正しいからだのいたわり方」

 

A: 体調がすっきりしない日々がつづいています。いろいろためしても回復しません。

Q: からだの調子がわるいとき、わたしたちはからだの面倒を見ようと一生懸命からだにかまってしまいます。

あれを飲んで、これを食べて、ああして、こうして、とこころを砕きます。

でも、これが落とし穴だったりします。

からだの不調をよりリアルにするべくエネルギーを注いでしまっています。

私たちは「からだ」ではなく「意識(いのち)」なので、からだの面倒をせっせと見てもほんとうの自分をいたわっていることにはならないのです。

からだは自分という広大な意識にある針の穴のようなもの。

なぜ穴なのか?・・・ それは、そこにエネルギーを傾けても傾けても、ぜんぶダダもれ状態になるからです。つまり、穴、ザルなのです。

自分がカバンをもっているイメージをしてみましょう。カバンをもっている自分とは意識である自分であり、カバンはからだです。

カバンをいくらみがいても、自分が元気いっぱいにならないのと同じなのです。

可愛がる場所をまちがってしまっています。

それよりも、自分のいのちである意識の広がりに気づいてあげましょう。そこをもっと大切にしてあげましょう。

静かに目を閉じて、すでにそこにある自分の意識の広がりに気づいてみましょう。ただそのなかにくつろいでみましょう。は〜っと息を吐きながら安らいでみましょう。

まるで温泉に入ったように、そのスペースへと自分を解放してあげます。

「ああ、気持ちがいい♡」と感じたら、どんどん広がってみましょう。いままで肩に力が入っていたことに気づくかもしれません。

そして、ただその状態を楽しんでみましょう。

楽しんでいると、その広がりがリアルになって楽しさがましてきます。また、軽くなると同時に、光を感じるかもしれません。

これが、自分のいのちをいたわってあげる簡単な方法です。自分を正気にし、元気にしてあげることができます。

「おかえりなさい」と、迷いでていたこころを迎えてあげてください。

からだの調子が悪いときには、「調子が悪い」ということに抵抗しようとするのではなく(抵抗するということは、それが自分よりも力があると信じてしまっています)、

ただこの広がりに気づいてくつろぐ時間をとってみましょう。

その広がりを十分に味わったら、それからいつも自分がしている健康法や、そのときひらめいたことをしてみるとよいと思います。

正しい自分を正しい方法でいたわってあげることで、自分のからだ、自分の世界の調子がよくなってきます♡

 

 

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20-11-09 この世でいちばんコワイのは・・・

 

この世でいちばんコワイのは、

オバケでもなければ、自然災害でもないし、自分の身に起こるかもしれないある状況でもありません。

自分を震えあがらせるとができるのは、じつは自分の考えだけです。

つまり、自分のものごとに対する「解釈」こそが、自分を怯えさせるし、自分を傷つけるし、自分を再起不能なほどにズタズタにすることもできるのです。

それ以外は、何もちからををもっていません。

まるで、自分の手にしている研ぎすまされた刀で自分を脅している、そんな感じです。

さらに、恐れを生みだしている自分の「解釈」が、まったく的ハズレだったら? ぜんぜん正しくなかったとしたら? ・・・ 恐れというものは成り立たなくなってしまいます。

ただ誤解から生まれた、ものの見方のエラーにすぎなかったということになります。それなのに、ちぢみあがって怖がっているなんて!(汗)

そのような間違ったものの見方によって怯えているにもかかわらず、私たちはその「考え」を変えようとはせず、もっぱら目のまえにあるものごとや人を変えることにやっきになってしまいます。

そうなると、間違ったものの見方は置き去りにされ、その結果の方にエネルギーを注ぐことになります。すると、その出来事がよりリアルになり、自分にはまったく勝ちめのない敵のように感じてしまうのです。

まず正すべきところは、間違っているところ、つまり自分の間違ったものの見方です。

一回静かに立ちどまって「なぜ、それがそんなにコワイのか」、そのことについての解釈について冷静にこころを探ってみましょう。

すると、もしかすると ・・・ 自分は小さいものでそれをどうすることもできないし、さらに何の助けも期待できない ・・・ というような無力感に出会うかもしれません。

起こることに対して、自分でどうすることもできず、さらに誰も助けてくれないなら、それはかなりコワイに違いありません。

でも、もしも・・・自分には全宇宙の力がそなわっていて、それに対してこころを開くことでそのすべてが自分のものにでき、さらに起きていることの先にはよきことのみが待っているとしたら ・・・?

「そんなムシのいいこと?! そんなことは自分には起きないのさ!」って?

そう言いはりたいこと、不幸で孤独な人生こそ自分にふさわしいと主張したいことこそが、間違っているのです。

「すべてのことは、自分ががいちいちかかわらなくっても全自動ですべてはうまくいっているんだ。だって、よきことだけが自分にやってくるはずだから」 ・・・ そんな新しい考え(真実)を採用してみてはどうでしょう?

迎え入れるこころをもてば、それはやってきます。そして、それは見せてくれます。

とてもそんな都合のいいこと信じられない・・・ というのなら、「今、自分ではその考えは信じることはできないけれど、でも信じられるようになりたい」と高い自己にお願いしてみましょう。

まず、手始めは他人の幸せを願ってあげるのと同じように、自分の幸せも願ってあげることです。

 

自分にもやさしくしてあげましょう。愛してあげましょう。(私たちみんな、人には思いやりをもつことができるのですが、自分に対してはサドさんレベルでかなり手厳しいようです。)

今は信じることができなくっても、招きいれる気持ちをもつことで、かならずそれはやってきます☆

ただ自分が向かいたい方向性(幸せ、安らぎ)を決めて、あとは高い自己に手をひいて連れて行ってもらいましょう。

 

 

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