気づきの日記「あるがまま、ってどういうこと?」

Q: よく、「あるがまま」にものごとを見る、という言葉を耳にしますが、いまひとつピンときません。なにが「あるがまま」なのでしょうか?

A: 「あるがまま」に見ましょう!と言うとき、私たちはそれがまったくできていませんよ〜、という意味でもあります。

じゃあ、「あるがままに見ていない」私たちの日常の目線とはどのようなものなのでしょうか?

たとえば、テーブルのうえのカップ。それは、ただのそれ、「あるがまま」なのですが、

「あるがまま」がカップというものになるのは、過去に学んだたくさんの情報によります。

お母さんがそれにミルクを入れて「きょうから哺乳瓶でなくてカップにしましょうね」と言ったとか、絵本のなかにそれが描かれていて「カップ」と横に書いてあり、それでなにかを飲んでいる絵があったかもしれません。

すると、カップって液体を入れるんだ、端にくちをつけて飲むんだ、こうやって使うんだ ・・・ とさまざまことを学んでそれを理解したと感じます。


でも、それの正体は、ただそれです。まっさらなそれ、です。カップはあとからつけられたものです。そして、カップ自身はカップとしての運命からのがれられなくなってしまいました。

そんなふうに、すべての解釈は学ばれたものです。それはモノだけでなく、人に対する接し方やら、目に見えない相手のこころを推察することまで含めて・・・。

でも、この過去に学ばれた情報を毎度々々あてはめることで、じつはまったく同じパターンから出られなくなっているのです(カップの運命と同じです)。自分の知っている狭い世界にしか住めなくなってしまいます。ぜんぶ自分の限られた解釈によって、それらを制限してしまったからです。

過去に学んだことをあてはめつづけるということは、たった今起きているまったく新しいはじめての出来事も、ぜんぶ過去の色合いにそめあげて、まったく同じ出来事だときめて、決着をつける、安心するということです。

過去に自分がいたずらをしたり、なにかうまくできないときに、母が口をきいてくれなくなったとします。そうすると、大人になって「人が自分に口をきいてくれない」のを目にすると、私がなにかいけないことをした、私が間違っていたに違いない、と同じ思考を使って、同じ反応をしてしまうことになります。

でも実際は、お母さんにしろ、その人にしろ、口をきかないのは、いやなことがあったのかもしれないし、体調が悪かったのかもしれないし、何か思い悩んでいたのかもしれません。

過去のパターンを使わなければ、「どうしたの?大丈夫?」と思いやりの声をかけることができたかもしれません。過去のパターンを使ってしまえば、責められていると感じて、その人を恐れることになるかもしれません。

そうすると、自分と相手という二人の問題のある人を作ってしまいます。過去のパターンを使わなければ、二人のハッピーな人がそこにいるかもしれません。

結局、自分を怖がらせるのも、イヤな気持ちにさせるのも、不安にさせるのも、ぜんぶ自分のものごとに対する「解釈」なのです。それは、過去に学んだ意味です。

自分の「解釈」=「想い」が自分自身に災いしているのであれば、自分の考えに慎重になる必要があります。

自分がざわざわする、イライラする、穏やかでないときには、その直前にものごとを間違って解釈して、それを「あるがまま」に見ることができなかった、ということです。

だから、「あるがままに見る」というのは、自分の解釈をいっさい加えずに見る、ものごとに対して判断しない、言葉を一切発しない、あれこれ加えずに見る、ということなのです。

「え? そうなると、それに対してどうしたらいいのかわからなくなりますよね?」

はい、それを教えてくれるのは自分ではなくって、ハイヤーセルフのお仕事です。

自分で意味をつけようとせず、「ハイヤーセルフ、これはなんでしょうか?」と尋ねると、正しい解釈がこころにポトンと落ちてきます。それは、おそらく今までのパターンを破る解釈です。

私たちは「ものごとに対して何も解釈できない人は、おバカだ」と信じているところがあって、せっせとジャッジすることをやりつづけます。それこそが賢いと信じています。

なぜなら、学校でいつも意見や感想を求められて、答えられないと恥ずかしい思いをしてきたからです。意見もなく、解釈ができないなんて、おバカだわ!と。

でも、今、自分のうまくいっていないパターンから脱するためには、なにごとに対しても「これが何なのかわからな〜い!」というおバカさんちっくになってみることが大切なのです。

そうすると、そのあいたスペースに叡智がこたえを与えてくれます。

そして自分の絶えまない解釈がなくなると、「あ〜〜、なんて穏やかなんだろう」という安らぎを感じることができます。

なにも特別なことをしなくっても、すぐに幸せな気分になることができます。そして、消費電力を決定的に減らすことができるので、エネルギーを解釈すること以外に使うことができます(わたしたちはショートしっぱなしだったのですね☆)。

なので、自分を幸せにしてくれない絶えまない「ものごとへの解釈」を手放して、新しい考えが入ってこられるようにすべてを「あるがまま」にいたしましょう。

そこにやってくる新たなる考えは、まったく今までとは違った人生のパターンへと招いていってくれます。え〜〜☆ これって、こういう意味だったの? とびっくりすることもあるかもしれません。

そしてきっと、「恐れるものは何もないのですよ」と教えられ、「あなたは守られているから、さあ胸をはって安心して行きましょう!」という、安らかな励ましにいつも支えられているのを感じられるようになることでしょう♡

 

 

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ウラ ケーキ屋さん

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

先日、学大にお住まいのNさんとお話ししていたときのこと。

「マッターホーンのバームクーヘンが好で、それを買いに学大に行くけど・・・ 最近は予約しないと買えなくなっちゃって・・・」と私。

「予約でもなかなか難しいみたいですよ。バームクーヘンの切り落とし、売ってるの知ってます?」とNさん。「切り落とし?!」

切り落としとは、まさに正規品のはしっこやら不揃い品のこと。それをこのお店の製菓材料店のほうで販売しているらしく、結構人気だそうな(そうですよね!バームクーヘン、お店じゃ手に入らないもの)。

列ができるほどで、11:00 の開店で売り切れちゃうとか。

行ってみたいけど、私にとって11:00 ってなかなかむずかしい時間帯。お休みの日に行ってみようかな〜?

・・・ということで、某休日、開店まえに行ってみました。

あら!もう8人も待ってる! 列はどんどん長くなります。みなさん常連さんみたいで、並び方を教えてくださいました。

おじいちゃん、おばあちゃんの三人組はそれぞれ違うのを買って、あとで分けるらしいのです。いいな〜、三人でお茶しているのね♪

そういえば、Nさんがバームクーヘンの他に、昔からあるチョコレートケーキが有名と言われていましたっけ。たしか、悪魔の子みたいな名前の・・・。

で、開店してお店に入り、私の番になって「バームクーヘンください」と言うはずだったのになぜか、「ダ、ダ、ダミ・・・(ダミアン??)」と口にしている私。

「あ、ダミエね!」とお店の方にさっさとチョコレートケーキを手渡され ・・・ バームクーヘンを買いにきたのに(汗)、どうやらきょうはこれを食べることになっているらしい(笑)。

ダミアン、いえ、ダミエは、330円。一つ分ぐらいのお値段です。ほんとは、バームクーヘン好きの友人にも一袋買いたかったけど、なんせ、おひとりさま一つに限られています。

ずっしりと重いです。八切れほど入っていました。

市松模様が崩壊ぎみですが、お味は正規品と同じです。さっぱりとしたバタークリームでとっても懐かしい。ちなみに、ホンモノさんはこちら。

今度こそ、バームクーヘンを買いに行かなくちゃ! (袋に入っていて、けっこうきれいなカットでした。)けれど・・・ロールケーキというのもあって、すごく美味しそうでした♡ 次回もどうなることか? (また、悪魔の子を連れてかえってくるかも!笑)

 

 

19-10-16 一日に何度もしりぞいて見る

Q: 問題にはまってこころが動揺しているとき、なにをしたらよいでしょうか?

A: ただ、じっと「しりぞく」ことがオススメです。

「しりぞく」って、なんだかシッポを丸めて退散しているみたいで敗北感いっぱいな感じ?(笑)

「しりぞく」とは、いったん流れをリセットするために大切なことなのです。

問題に直面したときに私たちがやりがちなのは、あれこれ動きまわること。その状況を変えるために、せっせと外側をコントロールしようとします。

なにかに働きかけたり、誰かに指図したり、不満を言ったり、何かを手に入れようとしたり、ある行動を起こしたり・・・。

じつは、この外側にむかってあれこれすることが、問題を解消せずにキープしておくためのエゴの戦略です。

なぜなら、外側をあれこれしても結局、思うようにいくことはないので挫折を感じ、それにより自分の非力さが強まり、より外側のなにかに依存するようになるからです。

なにかに頼れば頼るほど、自分は小さく非力になります。より怖れを感じるようになります。

エゴはすぐに、「ほらほら、自分でどうにかしないと、どんどんひどくなっちゃうよ!これを野放しにしておいていいのかい?」とけしかけてきます。「何か行動を起こしてこそ変えられるぞ!」と。

でも、これはまさしく「問題が存在していて、それは自分よりもパワーがある」ということを受けいれたことであり、「問題が問題として認められ、注意を注いで大切にしている」状態なので、問題を維持する力を与えてしまうのです。

問題はすでにハイヤーセルフによって解決されています!!ジャジャーン☆☆(・・・ ってことはなにもする必要がないってことです!)

でも、「問題を重要視」することで、「問題がある」ことをリアルにして、解決を受けとる態勢ではなくなってしまうのです。そして、問題との格闘にむかわされます。

私たちは何でもあると思えば「見ること」ができる力があります。自分があると思っているもののみを見ます。

だから問題が見えるときでさえも、いったん落ち着きます。そして、「これは私が間違っていたにちがいない」と認めて、「すでに解決がある!」という方にすぐこころを向けなければせっかくの解決をのがしてしまいます。

ハイヤーセルフがそこにおいておいてくれた解決を受けとるために、いったん動揺をおさめて静まる必要があります。それが「しりぞく」ということ、答えを受けとろうとする姿勢です。

そのためには、問題があることに気づいたら、「ガン見しつづけないで、すぐに解決があることに気づいて、問題はスルーして、正しい方向をむく」ということなのです。

「私が見ているのは、そこにはないもの、すでに取り消されているもの」と気づいて、反応しまくるのをやめます。そして、すぐにハイヤーセルフの方をむいて、

「ないはずのものを見ている私の知覚を訂正してください」とお願いします。

必要なのはこれだけです。あとは問題にエネルギーを注がないことで、それがただ消え去ってゆくにまかせます(抵抗さえしなければ、それは去り、贈りものがあらわれます)。

そして、ハイヤーセルフがそこに置いておいた解決を受けとります。

もし、なにか実際の行動が必要なときには、この段階でしっかりと教えられます。

見えているものはこころのイメージなので、こころを整える以上のことは必要としません。

怖れを信じていてこころに怖れがあれば、それがあらゆるバージョンの怖れのストーリーを紡ぎだします。こころが安らぎと愛に満たされていれば、それは安らかさと愛のストーリーを紡いでくれます。

自分でストーリー展開をつくりあげる必要はないのです。ただ「問題がある」と言いはる思いをどけてあげるだけでよいのです。

問題の解決 = 安らぎの状態なので、その状態にこころをチューニングすることが大切です。

こころはすぐに怖れにとらわれて、状況をいじくりまわすことに固執するからです。

でも、そこで感じている怖れとその問題は、ほんとうはまったくの別物です。怖れはそれに関するものではありません。

解決とは安らかなである状態なので、ただ静かにして、安心のなかにひたってみます。

そのときのイメージとしては、

*身体である自分が五歩ぐらい後ろにさがって、背景のなかに溶けこんで、自分が誰であるのかさえも忘れます。
**そして、そこにある光、安らぎ、穏やかさとひとつになって、広がりのなかでくつろぎます。

私たちはつねに、自分のなかにあるものを世界という鏡に映して見ています。身体からしりぞいて、安らかな広がりになって、その安らぎを世界に映し出しましょう。

「内側を整えて、外に映し出す」ことが、自分の世界に平和をもたらすいちばん早い方法なのです。

一日にたびたび、この安らかなスペースを訪れることで、その安らかさが外の世界にもたらされます。そして、そこに置かれていた贈りものに気づき、受けとることができるようにいなります。

その安らかさのうちに自分の身体さえも忘れさられて静かになったとき、世界も自分の安らかさのなかでやさしく静まります。

 

 

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気づきの日記「一日に何度もしりぞいて見る」

Q: 問題にはまってこころが動揺しているとき、なにをしたらよいでしょうか?

A: ただ、じっと「しりぞく」ことがオススメです。

「しりぞく」って、なんだかシッポを丸めて退散しているみたいで敗北感いっぱいな感じ?(笑)

「しりぞく」とは、いったん流れをリセットするために大切なことなのです。

問題に直面したときに私たちがやりがちなのは、あれこれ動きまわること。その状況を変えるために、せっせと外側をコントロールしようとします。

なにかに働きかけたり、誰かに指図したり、不満を言ったり、何かを手に入れようとしたり、ある行動を起こしたり・・・。

じつは、この外側にむかってあれこれすることが、問題を解消せずにキープしておくためのエゴの戦略です。

なぜなら、外側をあれこれしても結局、思うようにいくことはないので挫折を感じ、それにより自分の非力さが強まり、より外側のなにかに依存するようになるからです。

なにかに頼れば頼るほど、自分は小さく非力になります。より怖れを感じるようになります。

エゴはすぐに、「ほらほら、自分でどうにかしないと、どんどんひどくなっちゃうよ!これを野放しにしておいていいのかい?」とけしかけてきます。「何か行動を起こしてこそ変えられるぞ!」と。

でも、これはまさしく「問題が存在していて、それは自分よりもパワーがある」ということを受けいれたことであり、「問題が問題として認められ、注意を注いで大切にしている」状態なので、問題を維持する力を与えてしまうのです。

問題はすでにハイヤーセルフによって解決されています!!ジャジャーン☆☆(・・・ ってことはなにもする必要がないってことです!)

でも、「問題を重要視」することで、「問題がある」ことをリアルにして、解決を受けとる態勢ではなくなってしまうのです。そして、問題との格闘にむかわされます。

私たちは何でもあると思えば「見ること」ができる力があります。自分があると思っているもののみを見ます。

だから問題が見えるときでさえも、いったん落ち着きます。そして、「これは私が間違っていたにちがいない」と認めて、「すでに解決がある!」という方にすぐこころを向けなければせっかくの解決をのがしてしまいます。

ハイヤーセルフがそこにおいておいてくれた解決を受けとるために、いったん動揺をおさめて静まる必要があります。それが「しりぞく」ということ、答えを受けとろうとする姿勢です。

そのためには、問題があることに気づいたら、「ガン見しつづけないで、すぐに解決があることに気づいて、問題はスルーして、正しい方向をむく」ということなのです。

「私が見ているのは、そこにはないもの、すでに取り消されているもの」と気づいて、反応しまくるのをやめます。そして、すぐにハイヤーセルフの方をむいて、

「ないはずのものを見ている私の知覚を訂正してください」とお願いします。

必要なのはこれだけです。あとは問題にエネルギーを注がないことで、それがただ消え去ってゆくにまかせます(抵抗さえしなければ、それは去り、贈りものがあらわれます)。

そして、ハイヤーセルフがそこに置いておいた解決を受けとります。

もし、なにか実際の行動が必要なときには、この段階でしっかりと教えられます。

見えているものはこころのイメージなので、こころを整える以上のことは必要としません。

怖れを信じていてこころに怖れがあれば、それがあらゆるバージョンの怖れのストーリーを紡ぎだします。こころが安らぎと愛に満たされていれば、それは安らかさと愛のストーリーを紡いでくれます。

自分でストーリー展開をつくりあげる必要はないのです。ただ「問題がある」と言いはる思いをどけてあげるだけでよいのです。

問題の解決 = 安らぎの状態なので、その状態にこころをチューニングすることが大切です。

こころはすぐに怖れにとらわれて、状況をいじくりまわすことに固執するからです。

でも、そこで感じている怖れとその問題は、ほんとうはまったくの別物です。怖れはそれに関するものではありません。

解決とは安らかなである状態なので、ただ静かにして、安心のなかにひたってみます。

そのときのイメージとしては、

*身体である自分が五歩ぐらい後ろにさがって、背景のなかに溶けこんで、自分が誰であるのかさえも忘れます。
**そして、そこにある光、安らぎ、穏やかさとひとつになって、広がりのなかでくつろぎます。

私たちはつねに、自分のなかにあるものを世界という鏡に映して見ています。身体からしりぞいて、安らかな広がりになって、その安らぎを世界に映し出しましょう。

「内側を整えて、外に映し出す」ことが、自分の世界に平和をもたらすいちばん早い方法なのです。

一日にたびたび、この安らかなスペースを訪れることで、その安らかさが外の世界にもたらされます。そして、そこに置かれていた贈りものに気づき、受けとることができるようにいなります。

その安らかさのうちに自分の身体さえも忘れさられて静かになったとき、世界も自分の安らかさのなかでやさしく静まります。

 

 

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【秋のヒーリング 割引キャンペーン 10/10~15 】

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

ようやく秋らしくなってきましたね。こころと身体の夏のお疲れをヒーリングでリフレッシュしてみませんか?

期間中(10/10〜15 )、リコネクティブ ヒーリングが割引き料金でお受けになれます。

【割引料金】

リコネクティブ ヒーリング(1回) ・・・¥16,000 → ¥15,000
リコネクティブ ヒーリング(3回) ・・・¥46,000 → ¥43,000

 

【キャンペーン期間】 

10月10日(木)〜 15日(火)

*割引は、指定の期間内にヒーリングをお受けになる方に適応されます。
(複数回のセッションにつきましては、期間中にすべてをお受けになる必要はありません。)
*セッション枠がうまりしだい、終了となりますのでご了承ください。

 

【お申し込み方法】

リコネクションページのお申し込みフォームからお申し込みください。
(キャンペーン割引の表記はございませんが、割引は適応されます。)

リコネクティブ ヒーリング
お問い合わせ

 

New お茶どころ 音大カフェ

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

美容室でお世話になっているNさんは、学芸大学駅にお住まいですがここのあたりにも詳しいのです。

なので、髪を切っていただきながら、あれこれと情報収集。

そのひとつが、「るん」の目と鼻の先にある東京音大の中目黒・代官山キャンパス(今年、開校しました)のカフェ。

音大のなかに一般ピーポーも使えるカフェがあるらしいというのは聞いていたのですが、広々としていてなかなかヨイ雰囲気らしいのです。

それは、DEAN & DELUCA  だそうで(おお!学校に DEAN & DELUCA があるなんてステキ!)、だったらデリもおいしいし、パンもスウィーツもハズレがありません。

お仕事が終わって、さっそく偵察に出かけてきました(出かけるといっても、すぐソコですが・笑)。

わあ! 窓が大きくて、天井も高くて、光の具合も、テーブルの間隔もヨイ感じです。

緑がみわたせるコーナーで、コーヒーとクランベリーのパウンドケーキをいただいてみました。クランベリーとくるみ、レーズンがざくざく入っていて、酸味と甘味のバランスもとてもよい感じ。濃いめのコーヒーにぴったりです♡

ここだったら二〜三分でこられるので、セッションの合間にも息抜きができそうです♪ (入浸りびたりそうだわ・・・)

 

 

19-10-06 ポジティブシンキングよりも・・・

Q: ポジティブシンキングの本を読みました。日々、ポジティブシンキングに精をだすことがいちばん大切なことなのでしょうか? ちょっと疑問に思うこともあります。

A: もちろん、前むきなこころで、人や出来事のよい面を見ようとこころがけることは大切なことです。

しかし、ポジティブシンキングだけでは根本的な解決にはならないのですね。

疑問に思われているのは、きっとこのようなことかもしれません。

真のポジティブさは、努力や自分に言いきかせることで達成されるものではないからです。もし、言いきかせなければヨイ状態になれないとしたら、ほんとうはいったい何を信じちゃっているのでしょう? そのほうが問題ですよ。

また、真のポジティブさは、ポジティブ・ネガティブといったワクをこえた安心感・安らぎの感覚であり、ポジティブ・ネガティブという二つを行ったり来たりするところには存在しないものなのです。

たとえば、ゴミでいっぱいの部屋があったとします。

「わあ!汚いなぁ」と感じてしまったので、その気持ちに抵抗して「ここは気持ちがいいんだ!」「なんて快適なんだ!」と自分に言いきかせて気持ちを変えようとする。これがポジティブシンキングです。

でも、すでに「汚い」と感じちゃったわけですから、それをいくら他の気持ちに変えようとしても、こころはその不正直さに抵抗してしまいます。

ネガティブでなかったらポジティブにする必要もないので、ポジティブシンキングはすでに「感じてしまったこと」に動揺して、あわてて何かほかのものに塗り替えようとあせっている感じです。都合のわるいことはスルーして誤摩化しちゃう感じです。

これをしてしまうと、こころがホントとウソに分裂してしまうのです。そして、自分でも何がほんとうかわからなくなってしまいます。

「この部屋はゴミでいっぱいだわ。そして、私は不潔だと感じている。たしかに不潔で、これは私の望む状態ではない」、これが今の自分が実際に感じている気持ちであり、それは自分がほんとうに感じたいこととは違ってしまっているのだ、と素直に認めることが必要なのです。

たしかに、「自分のこころを変えれば目にする世界も変わる」のですが ・・・ この場合、すでに「汚い、不快、いやだ」と感じてしまっているので、この原因をどうにかしないかぎりポジティブシンキングはつけ焼き刃となり、遅かれ早かれ同じ状態に舞い戻ってしまいます。そして、それをくりかえします。

まず、「好きでない」と感じているのだから、それを認めて、「好きでない」原因こそを取りのぞかなければならないのです。つまり、「ゴミを捨てればよいのだわ!」ということです。

それを「ゴミなど存在しない!ここは気持ちがいいのだ!」とポジティブに言いいきかせてもゴミは消滅してくれません。まずは、正直に不具合を認識し正すことです。

そして、いったんゴミを捨ててしまったら、無理やりポジティブになって自分になにかを信じこませる必要はなく、ただきれいな部屋があらわれるわけです。そこでくつろげばいいだけです。

無理に存在しない状態を信じこませることはしません。

こころの場合もお部屋と同じことをすればよいだけです。

自分にポジティブな何かを信じこませて、あたかもそれが真実であるかのようにするのではなく、

* 今の状態がたしかに好きではない、幸せではないことを正直に認めます。
(あんがい、これができないことが多いのです。「幸せでないことはないです」「幸せですよ、まあまあ・・・」。しかし、完全に幸せか完全に不幸せか、この二つのチョイスしかありません。そして、幸せだったら、ポジティブシンキングはそもそもいらないのです。)

** 「ああ、ホントは幸せじゃなかったんだな〜」と認めることができたら、
じっと静かにして、そこにある落ち着かない気持ち、あるい怖れ、欲求不満、孤独などの感情が存在していたことに気づいてみます。それらのこころのゴミをずっと拒否して見ないように抵抗していたことに気づきます。直面していなかったのです。
(幸せだ!と言いはっているあいだは、正直にゴミを見つけることができないのです。)

*** その感じから逃げることなく、それをあるがままに受けとめて感じてみましょう。

**** しっかりと感じたら、そのすべてをハイヤーセルフに渡してしまいましょう。「これは、私が感じたいものではないし、私のもっていたいものでもありません」と。そして、「私のほんとうの気持ちを感じさせてください」とお願いします。(今までは、感じたくないものに抵抗することに忙しく、ほんとうの気持ちは感じたことがなかったかもしれません。)

これが、こころのお部屋のお掃除のプロセスです。完全にきれいになることを目指して、地道な、そしてこまめなお掃除が必要になります。

ポジティブシンキングで誤摩化すよりは、お掃除すべきポイントを正直に気づけるように「あるがままの気持ち」を隠さないようにしなくてはなりません。(私たちは思考でいっぱいにしたり、忙しい活動で誤摩化すことで、そこにある手放すべき感情に気づけなくなっています。)

こころというお部屋がきれいであれば、ただそれでよいのです。ポジティブシンキングというお飾りはいりません。

その空間には、よき風が吹きこみ、優しい光が差しこみ、その空間本来のもつ安らかさを感じることができるでしょう♡

さあさあ、お掃除♪ お掃除♪

PS お掃除の最初には、わけのわからない生き物、(その締め切ったお部屋に勝手に棲息していた)ゲジゲジやらナゾの生き物が飛だしてきてびっくりさせられるかもしれません。大丈夫です。ゲジゲジさんたちの方がびっくりして去っていっただけですから。お掃除をつづけましょう。

 

 

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気づきの日記「ポジティブシンキングよりも・・・」

Q: ポジティブシンキングの本を読みました。日々、ポジティブシンキングに精をだすことがいちばん大切なことなのでしょうか?  ちょっと疑問に思うこともあります。

A: もちろん、前むきなこころで、人や出来事のよい面を見ようとこころがけることは大切なことです。

しかし、ポジティブシンキングだけでは根本的な解決にはならないのですね。

疑問に思われているのは、きっとこのようなことかもしれません。

真のポジティブさは、努力や自分に言いきかせることで達成されるものではないからです。もし、言いきかせなければヨイ状態になれないとしたら、ほんとうはいったい何を信じちゃっているのでしょう? そのほうが問題ですよ。

また、真のポジティブさは、ポジティブ・ネガティブといったワクをこえた安心感・安らぎの感覚であり、ポジティブ・ネガティブという二つを行ったり来たりするところには存在しないものなのです。

たとえば、ゴミでいっぱいの部屋があったとします。

「わあ!汚いなぁ」と感じてしまったので、その気持ちに抵抗して「ここは気持ちがいいんだ!」「なんて快適なんだ!」と自分に言いきかせて気持ちを変えようとする。これがポジティブシンキングです。

でも、すでに「汚い」と感じちゃったわけですから、それをいくら他の気持ちに変えようとしても、こころはその不正直さに抵抗してしまいます。

ネガティブでなかったらポジティブにする必要もないので、ポジティブシンキングはすでに「感じてしまったこと」に動揺して、あわてて何かほかのものに塗り替えようとあせっている感じです。都合のわるいことはスルーして誤摩化しちゃう感じです。

これをしてしまうと、こころがホントとウソに分裂してしまうのです。そして、自分でも何がほんとうかわからなくなってしまいます。

「この部屋はゴミでいっぱいだわ。そして、私は不潔だと感じている。たしかに不潔で、これは私の望む状態ではない」、これが今の自分が実際に感じている気持ちであり、それは自分がほんとうに感じたいこととは違ってしまっているのだ、と素直に認めることが必要なのです。

たしかに、「自分のこころを変えれば目にする世界も変わる」のですが ・・・ この場合、すでに「汚い、不快、いやだ」と感じてしまっているので、この原因をどうにかしないかぎりポジティブシンキングはつけ焼き刃となり、遅かれ早かれ同じ状態に舞い戻ってしまいます。そして、それをくりかえします。

まず、「好きでない」と感じているのだから、それを認めて、「好きでない」原因こそを取りのぞかなければならないのです。つまり、「ゴミを捨てればよいのだわ!」ということです。

それを「ゴミなど存在しない!ここは気持ちがいいのだ!」とポジティブに言いいきかせてもゴミは消滅してくれません。まずは、正直に不具合を認識し正すことです。

そして、いったんゴミを捨ててしまったら、無理やりポジティブになって自分になにかを信じこませる必要はなく、ただきれいな部屋があらわれるわけです。そこでくつろげばいいだけです。

無理に存在しない状態を信じこませることはしません。

こころの場合もお部屋と同じことをすればよいだけです。

自分にポジティブな何かを信じこませて、あたかもそれが真実であるかのようにするのではなく、

* 今の状態がたしかに好きではない、幸せではないことを正直に認めます。
(あんがい、これができないことが多いのです。「幸せでないことはないです」「幸せですよ、まあまあ・・・」。しかし、完全に幸せか完全に不幸せか、この二つのチョイスしかありません。そして、幸せだったら、ポジティブシンキングはそもそもいらないのです。)

** 「ああ、ホントは幸せじゃなかったんだな〜」と認めることができたら、
じっと静かにして、そこにある落ち着かない気持ち、あるい怖れ、欲求不満、孤独などの感情が存在していたことに気づいてみます。それらのこころのゴミをずっと拒否して見ないように抵抗していたことに気づきます。直面していなかったのです。
(幸せだ!と言いはっているあいだは、正直にゴミを見つけることができないのです。)

*** その感じから逃げることなく、それをあるがままに受けとめて感じてみましょう。

**** しっかりと感じたら、そのすべてをハイヤーセルフに渡してしまいましょう。「これは、私が感じたいものではないし、私のもっていたいものでもありません」と。そして、「私のほんとうの気持ちを感じさせてください」とお願いします。(今までは、感じたくないものに抵抗することに忙しく、ほんとうの気持ちは感じたことがなかったかもしれません。)

これが、こころのお部屋のお掃除のプロセスです。完全にきれいになることを目指して、地道な、そしてこまめなお掃除が必要になります。

ポジティブシンキングで誤摩化すよりは、お掃除すべきポイントを正直に気づけるように「あるがままの気持ち」を隠さないようにしなくてはなりません。(私たちは思考でいっぱいにしたり、忙しい活動で誤摩化すことで、そこにある手放すべき感情に気づけなくなっています。)

こころというお部屋がきれいであれば、ただそれでよいのです。ポジティブシンキングというお飾りはいりません。

その空間には、よき風が吹きこみ、優しい光が差しこみ、その空間本来のもつ安らかさを感じることができるでしょう♡

さあさあ、お掃除♪ お掃除♪

PS お掃除の最初には、わけのわからない生き物、(その締め切ったお部屋に勝手に棲息していた)ゲジゲジやらナゾの生き物が飛だしてきてびっくりさせられるかもしれません。大丈夫です。ゲジゲジさんたちの方がびっくりして去っていっただけですから。お掃除をつづけましょう。

 

 

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ブライスちゃんちの秋は・・・

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

朝夕、かなり秋らしくなりましたが、きょうもまたまた日中は30℃ごえでしょうか?

日が暮れるのもどんどん早くなり、夕方のお散歩はあっというまに闇のなか。でも、猛暑の頃より、歩く距離が長くなりました。

しばらくお散歩コースからはずれていたブライスちゃんち(ブライス人形と小物を扱っている 代官山 Junie Moonさん)のまえをとおってみることに。

季節ごとに変わるディスプレイは、いつもとってもかわいくて、きっと落ち葉とかハロウィンのカボチャになっているのかな〜?と思っていたら・・・、

ブライスちゃんたち、お茶会をしていました。

小さなバラやおリボンで飾られた髪型、レースやパールをふんだんに使った手のかかったドレスは、いつもながらほんとうにステキで見とれてしまうのですが、

それとともに、テーブルのうえのスウィーツたちもとっても気になる ・・・。

スウィーツはと〜〜〜っても小さいのですが、ほんとうにリアルで実物以上においしそ〜にできています。素敵なカップやガラスのティーポット、シュガーポットも可愛らしい。テーブルクロスも、繊細なアンティックレースっぽい雰囲気でオシャレです。

およばれした〜い♡

なかにお邪魔している時間がなかったので、また後日、ブライスちゃんちの秋グッズをながめたいと思います♪

 

 

19-10-01 イヤな夢をみます・・・

Q: なんか最近、イヤな夢を見るようになったのですが・・・?(汗)

A: たびたびこんなご質問をうけます。とくに、セラピーが一段落してから、あるいはセラピーの期間中に。

イヤな夢といってもそれはけっこう強烈で、「人を殺してしまいました」みたいな。

そこで私は、「大丈夫ですよ〜!私も殺りましたから♪」とお答えすると仰天されます(笑)。

それはけっこうリアルな夢で、目覚めてからも夢と現実のハザマから抜けだせず、しばしボウゼンとしていましたっけ(汗)。それだけ鮮明だったのです。

バチカンのサン ピエトロ寺院に「開かずの扉」というのがあるのですが・・・

それは25年に一度しか開かない扉です。こどもの頃、その扉を開ける儀式をテレビで見ていたのを覚えています。

お子ちゃまにとっての25年はとてつもなく長く感じるので、「とってもすごい扉を開けているのだ」とそのなりゆきにをドキドキしながら見守っていました。

25年ももったいぶって、いったい何を隠しているのだろう? 扉もキラキラだけど、その向こうはよほどスゴいんだろうな〜? キリストが坐っていたりして?! ・・・と扉の向こうの光景に胸をふくらませて・・・。しかし・・・

そのそびえ立つ大きな扉は計算どおりに開かなくて、法王がハンマーなどでたたいたりして、かなり難航したあげくようやく少し開いた!と思ったら、上からドドっと土砂のようになにかがふり注いできたのです。

扉は漆喰で固めていたらしく、その破片かもしれないし、あるいは25年間のすすやホコリの塊かもしれません。予想外のドドっと襲いかかって舞い上がるものに私も固唾を飲みました。

これなのですよっ!! 私たちがこころを癒しはじめると出くわすのは。

私たちの「ほんとうの自分」「真のちから」「楽園」も、開かずの扉の向こうにしっかりと守られているのです。

それは25年どころではなく、どれだけ輪廻をくりかえして、「今度こそ開けてやるんだ!」と固く決意をしながらやってきても、それは叶えられぬままです。

なぜなら、目のまえのあれこれにかかずらっているうちに、扉を開けるんだった!という目的をすっぽり忘れてしまうから。

大掃除をしていて、何か懐かしいもの、珍しものに出くわして、それに気をとられいるうちにお掃除をすっかり忘れて遊びほうけちゃう感じ。

また、それだけ大切な「ホンモノ」、「楽園」を守る扉は、そうそうたやすく手が届くようにはできていないのです。しっかりと、がっちりと守られています。

でも、今回、ようやく! ついに! めでたく! こころの開かずの扉に手をかけて、ナント! くさびを打ちこんでしまったのです。それゆえに、扉はきしみはじめました。

そうしたら、封印のための漆喰やら、永年のちりにホコリに、さらにコウモリやらネズミやら、わけのわからないゲジゲジ虫も、あれもこれも ・・・いっせいに飛び出してきちゃったというわけです。

それがこの悪夢の正体。

「真の自分」「自分の楽園」を守ってきたこころの扉、いままで一度も開けたことのない扉がきしんで、開きそうになっている証拠なのです。

でも、人はここで思うのです。こんないやな気もちになるのは、きっと何かが間違っているにちがいない ・・・ と。

これこそがエゴの罠です。怖れや疑い、狂気の感覚を使って、ぜったいにこの扉に触れないようにたくらんでいるのです。ほんとうは、めちゃくちゃうまくいっていること、牙城が崩されそうだ、ということを必死で誤摩化したいのです。

なぜなら、ほんとうの自分を見つけてしまったら、幸せな自分になってしまったら、エゴは一巻の終わりです。消えてしまうしかないのです。だから絶対見つけてほしくないのです。

そのため、エゴはその「真の自分」「楽園」を、「恐怖」や「悪夢」でラッピングしちゃったのです。そうすれば、誰もそれに近づいてこられないからです。

でも、セラピーをはじめると、「恐怖」などの怖れの感情をそのまま受けとめて無防備に感じる練習をします。そして、とても上手になってしまいます。

ということは、この宝ものを包んでいる恐怖というラッピングに直面しはじめるわけです。それをどんどんほどきながら。

だから、夢のなかで怖れに出会うのは、抑圧して見ないようにしていた怖れにようやく直面できるようになったということであり、むしろ、正しいプロセスの道しるべとも言えます。

そのまま突き進みましょう。恐れを玉砕しましょう。バチカンの扉のように、その向こうにこそお宝があります。

ちょっとキツく感じるときには、ハイヤーセルフにお願いして、すこし歩みをゆっくりにしてもらうこともできます。「もう少しお手やわらかに」とお願いしてみてください。

けれども、いずれ、どこかの人生のなかで、かならず向きあうことになるシロモノです、その怖れは。今生でやるのか、それとも次に持ちこすのか。

でも、なぜコワいのかという理由がわかっていれば、そんな怖さも笑えたりするものです。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング