21-01-30 かいまみた死後の世界 その1

 

本棚の断捨離の最中、思わず何十年もまえの古い本を手にとりページをめくってしまいました。

それは、高校生の頃に読んだ「かいまみた死後の世界」。

医師であるレイモンド・ムーディ博士が、300人ほどの死から生還した体験のある人たちにインタビューし、多くの人に共通するモデルケースを紹介した臨死体験研究の本です。

出版当時、米国ではかなりのベストセラーになり、日本ではずいぶんあとになって飯田史彦さんの本のなかで紹介されていたように思います。

1970年代は、まだエリザベス・キューブラーロス博士も臨死体験の研究を発表しておらず、「死」について語ることも今ほどオープンでなかった時代です。死に直面したら何が起こるのかは、「チベット死者の書」とか宗教書のなかでしか知ることができませんでした。

私が読んだのは17歳ぐらいのとき。キリスト教にふれていたこともあり、死後も命はつづくであろうと信じていたのですが、臨死体験をした人たちの共通した体験にリアルさを感じたものです。

ムーディ博士が死後の体験の典型的なモデルとして紹介しているのが、順番は前後しつつもだいたいこんな感じの出来事です。

・医師が自分の臨終を伝えているのが聞こえる(死んだはずなのに、自分もしっかりと聞いているのです!)

・そして、耳障りな音とともに、暗いトンネルの中に吸いこまれる(産道を通って生まれてきたように、去るときも細いところを通過します)

・すると、天井のあたりから自分の身体を見下ろしている自分に気づき、「ああ、死んだのだ」と気づく(医者や家族の様子をつぶさに静観しています)

・光の生命やすでに亡くなった存在たちがやってきて、完全な愛と安らぎに包みこまれ、よい気分になる(みんなこの時点で安らぎを感じて、もう帰りたくなくなっています)

・光の生命に全生涯のフラッシュバックを見せられる(自分の生涯のさまざまな出来事を走馬灯のようにレビューします)

・その後、体験したこともないようなすばらしい光がさしている分岐点のようなところまでやってくる(みな、生き返ったので、この分岐点は誰も越えていません)

最初は、身体を離れてしまったことにパニックになったり、身体に戻りたいとあわてたり、これからどうしようと動揺するのですが、だんだん体験したことのない深い愛と平安と軽やかさや自由に包まれて最高の気分になってきます。もう身体に戻るのはごめんだ!戻れと言われてもイヤだ! という気分になるのです。(しかし、自死の場合は、そのときの混乱がそのままリアルにつづいているようです。その後はわかりません。)

おもしろなと思ったのが、身体はなく意識だけとなっているにもかかわらず、煙のようなモヤモヤした形があるそうで、それは球体で下の方がすぼまっていて、小さな手もあるそうな・・・ まるでアニメのオバケ! (アニメのオバケがまねっこしたのですね!・笑)

このモヤモヤの身体と意識だけとなっていますが、依然、今までと変わりなく見たり、動いたり、聞こえたりするので、最初は「死んでいる」ことになかなか気づかず、まわりの人に話しかけたり、触れようとしたりします。

でも、自分の声は聞こえていないし、物や人は自分をすり抜けてしまうので、ようやく「死んじゃったのね」と気づくよう。(まるで、映画の「ゴースト」や「シックスセンス」の登場人物のようです。)

人やモノへの執着が強いと、ずっとまわりの人に話しかけたり、自分の家のなかをうろうろしたり、すんなりと次の段階へ進めないようです。(心霊写真って、こういう人たち?)

高校生のときに読んで、「えっ、どうしよう!?」と衝撃を受けたのは、死の直後に見せられる自分の全生涯のフラッシュバックについて。

こどものときから、亡くなるまでのあらゆる瞬間を見せられるのですが、自分の気持ちとそこにかかわっていた相手の気持ちの両方を感じとる、といいます。(こころのレベルでは私たちはひとつなので、ひとつのものとして感じてしまうのでしょうね。)

その当時、「いい人にならないとエライことになるわ!」とアセったものですが、今、ふたたび読みかえしてみると、少し違った印象をうけます。

フラッシュバックを完璧にすることなど、誰ひとりできないのです。完全な人間などいないからです。失敗はつきもの!

だから、いい人になろうとして犠牲をしてガマンしてフラストレーションをかかえて生きるよりも、(もちろんできる限りのやさしさと慈愛をもってすべてに対応することは必須ですが)、じゅうぶんに優しくできない自分、やっぱり失敗してしまう自分、どうしても憎んでしまう自分、結局は攻撃してしまう自分、まったく愛でない自分こそを愛して赦してあげることが重要なのです。

どんなときにも、自分自身を赦し愛することこそがレッスンです。そして、自分が赦せているなら、私たちは人をも簡単に赦せるようになるからです。

 

(その2につづく)

 

 

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