21-02-13 ことばを手放してみましょう

 

Q:人の反応やら、外側のことが気になり、あれこれ考えて疲れてしまいます。

A: あれこれ考えてしまうまえに、すでにその状況に対してあれこれ独自の意味づけをしているのだと思います。その意味づけに対して、あれこれ考える必要が生じてしまいます。

まず、とにかく、黙りましょう。

静まりましょう。

あらゆることに対して、意味、意見、価値判断、解釈、ストーリーを作ることをやめにしましょう。

ただ、こころを静かにし、言葉(考え)というものを使わないようにしましょう。

言葉(考え)を使わないということは、意味づけも、解釈も、価値判断もできなくなります。

私たちが混乱しているとき、その出来事や状況に混乱させられていると感じていますが、

じつは、自分の秩序のない考えに自分のこころがホンロウされているだけなのです。

状況を目にしたとき、すでに自分で「何が起きているのか」「どういうことなのか」「どうなるのか」「この意味は何なのか」を即座に決めつけてしまっています。

なおかつ、それらが真実であって、他の意味などないように感じているのです(自分の信じる考えとはそういうものです。それが真実となってしまいます)。

でも、ものごとにはじつは「意味」がありません。「ただ、そう」なのです。

ということは、私たちは「個人的な見解によって、ものごとの意味をでっちあげ、その意味によって自分をコワがらせ、動揺させ、自分で自分を忙しくしている」ということにまります。

自分を混乱させるのも、自分を怖がらせるのも、自分をパニックにするのも、自分を追いつめるのも、全部自分の考えだけなのです。他にはありません。

そして、その考えは全部まちがっています。

そうなると、ハタから見たら(天から見たら)、「なにをしているのですか? なにもないところに、自分の考えで問題をでっちあげて、その考えに跳びあがっておどろいて、それをどうにかしようとあたふたと時間を費やしているのですか?」と。

でもそれって、この世界で退屈せずに時間をやりすごし、またこの世界にギモンを抱かずに忙しくするためのよい方便なのかもしれません。

自分で自分を混乱させたいための解決策は ・・・ こころを静かにすること。

言葉をまったく使わないこと。

そして、すべてを干渉せずにほっておくこと。

「問題だ!」と騒がないかぎり、それは「問題」になりようがありません。

言葉を使わないときに、それは「問題」とはならずに、静かに目のまえを通りすぎるだけで、消え去ってゆきます。

川辺に立って、川の流れ(ものごとの流れ)を静かに眺めている心境になってみましょう。

肩のちからをぬいて、ゆったりとして、言葉というものを手放して、ただカラッポのこころですべてをそのままに愛でてみましょう。

そう、川べりでリラックスした休日を過ごしている人。

そのためには、自分の見ている画面から数歩うしろにさがって、画面の外に出てしまいましょう。ただ遠い過去の画像を眺めているような感覚です。

なにも考えずに、ただ目のまえのものごとを判断せずに、ただ行かせてあげて、自分はくつろいでいる・・・ そんな感覚でものごとをながめてみましょう。

さらに、言葉を使わずにこころをからっぽにしておくと、そこに自分でも予想もしなかったものを見つけるかもしれません。

それは、本当の自分の強さ、ゆるがない「平安の感覚」であり「光」です。

ほんとうの自分に出会うためにも、ただ、ただ静かに、「静けさ」に耳を澄ませてみましょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング