22-01-17 幸せのオセロゲーム

 

私たちは自分の目にする世界に対して、やさしく受け入れようとするよりも、むしろ戦闘態勢で向きあっています。

決して不利にならないよう、少しも損害を被らないよう、なるたけ優位でいられるよう、警戒を怠りません。

ということは、「ここ」はちょっとでも気をぬいたら簡単にやられてしまうような弱肉強食のアブナい世界だ、と信じているからです。

そんな世界と対峙していれば、誰でもリングの上のファイターのごとく、そこには安らかなこころがありません。

そんな自分に襲いかかってくるような世界を目にしているのであれば、「世界とは、自分の考えそのものを見ているだけだ」ということはなかなか受け入れられないことでしょう。

世界とは外にあるもので、自分とは対立する存在となっているのです。

しかし、世界は外にあるものではなく自分のこころのなかに存在しています。

世界は、自分の考えそのものなのです。そこには、どんな間隔も距離もなく、こころの在りかたが変わりさえすれば世界も変わってしまう、という即効性もあります。

だから本当のところ、自分のこころが変わるまでは自分の世界は決して変わることがありません。

自分のこころが安らかにならなければ、世界も安らかに知覚されないのです。

この連動しているメカニズムに気づくことがで大切です。

なぜ問題や間違いを目にするのでしょう?

それは、私たちが自分のこころのなかに存在している苦しみや痛みに耐えきれず、それらを外側というくくりのなかに不法投棄しつづけているからです。

不法投棄するのは、それらと金輪ざい縁を切りたいと思っているからです。だからそこに投げ捨てたが最後ふりむくこともせず、「そんなもの知りません!私とはなんの関係ありません」と言いはるしかないのです。

知らないと言いつつも、外にゴミ(問題)がゴロゴロしている、ということは、自分のこころが投棄をつづけている、ということに他なりません。

しかし・・・もしも外にゴミが見当たらなくなることがあるとすれば、それは自分のこころが投棄をやめた、つまり不法投棄するものがなくなった、きれいになったという証でもあるのです。

自分の幸せを左右するこころの状態を整えるために、外側に目にするすべてを「クロ(罪がある)」の状態から「シロ(無罪)」として見るようにしてみましょう。

シロを見よう!と決めます。

決めたら見ることができる、というももこころのすばらしい力です。

みんなシロだ!罪などない!間違いなどない!と自分の外側に対して言ってあげることができるのなら、自分の内側もシロなのでしょう(投棄しなくてもよくなっているのです)。

そして、自分がシロであることを知ることができます。

だから、すべてにおいてシロをみようと人生ゲームをすすめます。

まるでオセロゲームのように、外側をパタパタ白に変えつづけることで、ついに勝利をおさめることができます。それが自分の安らぎと幸せへの近道です。

「与えたものは受けとるもの」。白を与えると決めて、白を受け取りましょう。

シロ(罪とは無縁)というのは、自分自身がなんのリスクからも、なんの危険からも、なんの罰からも、なんの苦しみからも無縁であるということを意味しているのです。

自分自身にシロを獲得するためには、オセロの石をパッタパタ返してゆくように、世界にシロを与えてあげましょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング