23-05-01 答えはどこからやってくる?

 

誰にでも、「私は、あのとき守られていたに違いない」と感じたり、「突如、ひらめきによって解決策を与えられた」というような経験があると思います。

それは私たちが高い存在によって、つねに守られ、導かれているからです。

その存在は私たちの幸せのために全力を尽くし、どのような問題に対しても必ずや助けを与えてくれるのです。だから、私たちはその存在に悩みを打ち明け、頼るだけで、あとはリラックスして解決へと導いてもらうことができます。

その高い存在とは、じつは誰にとっても馴染みがあるはずです。もしかすると、ハイヤーセルフやエンジェル、あるいは神さまと呼んでいたかもしれません。あるいは、精霊や高次の存在、または自分だけの特定の呼び名があったのかもしれません。呼び方は違っても、助けはみな同じところからやってきます。

大切なことは、この確かな答えをもっている存在につねに「尋ねる」ということなのです。

そして、「尋ねたら」、リラックスして、こころを静かに答えを「待ちましょう」。

よく質問されるのは、「尋ねたのに、なにも答えがきません」ということです。

その場合の多くは、自分なりの答えの受けとり方のイメージがあって、それだけを待っている、ということがあります。

たとえば、「はっきりと耳で聞き取れるはずだ」とか、「稲妻に打たれたような気づきがやってくるはずだ」とか、「夢のなかで教えられるはずだ」などというように。

もちろん、このどれもが起こりうるものですが、もっと手軽に答えを受けとる方法があります。

じつは、その答えはすでに自分のこころのなかに与えられています。

すでにこころのなかにあるもの、自分であるものを知るには、「鏡」を使います。

「自分のこころの中身を映し出す鏡?」 ・・・ はい、こころの中身をつねに映しだしている鏡とは、外側にいる「人々」なのです。

この外側の人々は好むと好まざるにかかわらず、つねに自分のこころの内側をつぶさに映しだしてくれています。彼らは、私のこころにある内容を包み隠さずすべてを映し出す「鏡」そのものなのです。

たとえばわかりやすい例として、自分にとってもっとも苦手な人は、まさに自分が嫌っている自分自身と同じことをしている人なのです。つまり、自分が感じとる他人というものは、いつも自分自身そのものです。

だからこそ、一人一人にとって世界や人々はまったく違うものに見え、自分にとっての幸せや苦痛の原因となりえるのです。

このように、自分の癒されていないところを人々は簡単に見せてくれますが、また同時に自分のなかにある神々しいもの、たとえば高い存在からの真実の答えも見せてくれるのです。

この「人々を見て、自分の内側に気づく」ということが、こころの鏡を使う、ということなのです。

そこで、人々から自分の助けとなる信頼できる答えを受けとりたいときに気をつけなければならないこととは、「私は信頼できることを受け取りたいのだから、まず先に信頼を人々に差しだす」ということなのです。

「受けとること」と「与えること」は同じなので、それは同じものでなければなりません。

「私は真実なる答えを受けとりたい」と願うのであれば、まず人々に真実を差しだしましょう。

それは、人々を自分のこころのゴミやチリにまみれた偽りのものとして見るのではなく、あるがままのまっさらな無垢な存在としての真実を見ることです。それはまさに、信頼することです。

そうすると、「真実な人」から信頼できる「真実な答え」が導きだされ、それがあなたを救う、ということになります。

つねに、その人に対する見方、つまりその人を間違った人として見るのか、正しい人として見るのか、は私たちしだいであり、私たちの体験さえも左右します。

もし、間違った人として見てしまえば、自分自身が隠しもっていた醜いものや恐しいものがその人に映しだされることになります。

正しい人として見れば、自分で気づくことさえなかった高次の存在からの真実の答えがその人を通してもたらされます。それは、自分自身に役立つだけでなく、そこから多くの人々へと広がってゆきます。

だから、自分を助け導く万能の鏡として、私たちはまわりの人々を澄んだ無垢な存在として見ることが大切になってきます。

高次の存在からの答えを受けとるのにいちばん簡単な方法は、このようにまわりの人々とそこから生まれる言葉への信頼です。

先に信頼を与えることで、すでにあちこちから与えられていた自分への助けに気づくことができるようになります。

もちろん、自分自身で高次の存在からの言葉をリアルに聞きとれる人もいます。しかし、自分の内側で聞こうとすると、たちまち否定的な言葉で打ち消されてしまいがちなのです。

誰にでもできる「助けをえる方法」は、まわりの人々を信頼し尊重し、そして耳を傾けることなのです。

ここまでの人生の道のりを振りかえってみると、きっと「あの人があそこで助けてくれた」とか、「あの人のひとことで背中を押された」とか、「あの人に感化されてやる気になった」とか、きっと「あの人」や「この人」が大きな転機をもたらしてくれたという記憶に気づくと思います。

それがまさに、自分の内なる叡智が外に現れ、守り導いてくれた証なのです。

だから、困ったときには、まずは人と「つながること」、そして自分のまわりにいてくれる人、たまたま出会った人を導き手として「信頼して」こころを開いてみましょう。

私たちはこころがひとつにつながった存在なので、自分ひとりの小さなこころのひとかけらとしてものごとを解決しようとするよりも、つながりあった一つのこころのなかでもたらされる答えこそがより大きな力をもちます。

ひとりぼっちの小さな考えではなく、高い存在が与えてくれている大きな答えを受けとるために、つながり、そして信頼しこころを開いて受け取ってみましょう。

 

 

 

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