23-06-01 こころが荒れ模様のときには

 

今日は台風の影響で、朝から大雨&暴風のダブルパンチでした。

天候や四季が移り変わっていくように、私たちのこころも日々さまざまなお天気模様を体験します。

「もう、何があっても大丈夫!」と思えるほど、こころが安らいで穏やかに過ごせる日もあれば、問題が次々と勃発し、すべてを投げ出したくなる日もあります。

物事がうまくいかず大雨&暴風に見舞われているような感覚に陥ってしまうとき、私たちは必死でものごとを立て直そうと様々な手を尽くします。

しかし、焦ってジタバタすることで混乱が深まり、問題をさらに長引かせてしまうという結果になりかねません。 それは、スタート地点が間違っていたからです。

「それをどう見るのか」という解釈が、「物事がどうなるか」を決める大切な要素となります。

「自分にとって困ったことが起きている」と信じれば、「困難な状況」という判断から出発することになり、あせってあれこれ手を尽くしても、結局は「困難な状況」から抜け出せなかった、ということになりがちです。

逆に、「自分にとって善いことが起きている」と認識すれば、手に負えないように見えていた状況でも安心のなかでリラックスしながら対処することで混乱が鎮まり、最終的には「あの出来事が起こってよかった」と思える「善い結果」につながるのです。

「困ったことが起きている」と感じた場合、それに対して身構えることで抵抗する気持ち強まり、その対象により大きな存在感を与えてしまいます。そして結局、不快な状況を強力にしてしまい、対処するには自分は力不足であると感じてしまうのです。

一方、「善いことが起きている」と信じれば、リラックスして受け入れることができ、それによって問題を荒げることなく自然と収束に向かわせることができます。とくに頑張らなくても暗い雲は過ぎ去り、自然と穏やかな景色や善い結果が見えてくるのです。

だから、こころが悪天候に見舞われているときは、闘う、抵抗する、変えようとするのではなく、まずゆったりと落ち着いてから対処することが大切です。

台風やハリケーンに見舞われているときも、自らそれをどうにかしようと闘うことはありません。それと同じことです。

そのままにすることで抵抗する力を加えなければ、それは自ずと消滅してしまいます。逆に、どうにかしようとすることで、自分がそれをしっかりと握りしめてよりリアルにしてしまっていることに気づきましょう。

また、問題が連続して起こるようなときには、じつは問題から卒業するための浄化が起きているときです。「今度こそ問題を終わりにして、完全に手放して自由になりましょう」というときなのです。

私たちは誰でも、こころの中に廃棄しなければならないゴミをたくさん抱えこんでいます。しかし、普段はそのゴミの存在に気づくことすらありません。なぜなら、あまりにもこころの奥深いところ(無意識のなか)にそのゴミは押し込めらているからです。

深く押し込められて見えなくなっているため、そのようなゴミが存在していることにすら気づくことができなくなっています。しかし、そのゴミは私たちの知覚するものすべてに影響を及ぼし、それらを歪め、浄化の機会を逸してしまいます。

すべてが不快に見えるからこそ、それをそのままにしておくことができなくなってしまいます。あわててそれに立ち向かい、なんとか変えようとしてしまうのです。

問題が多発しているときこそ、こころのゴミがついに表面化し、気づくことができるレベルまで浮上してきたときなのです。だから、表面化してきた問題をそのままに手放して、それらが消え去ってゆくことができるようにしてあげましょう。

浄化作用が自然に起こり、たまっていたゴミをこころのなかから解き放ってくれます。

こころのゴミさえきれいになれば、放っておいても自分にとって善いことが起こるようになります。なぜなら、本来私たちのこころには自分が目にする世界を完璧にするための光が備わっているからです。

その本来こころに備わっている光が輝き出せるように、こころが悪天候にみまわれたとしてもあわてることなく、落ち込むことなく、穏やかなこころで受け入れてみましょう。

闘いを挑まなければ、悪天候はやがて過ぎ去ってゆきます。そして、浄化されたこころは光を放ち、穏やかな世界が照らし出されます。

すべては善きことのため 。起こっているプロセスを信頼して、すでに自分のなかにある光を解き放てるように、ゆったりとリラックスしてすべてをそのままに行かせてあげましょう。

 

 

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