23-06-10 苦しみはどこからやってくる?

 

私たちは、人生の中に「苦しみ」という何かが存在していて、ある日それに遭遇することによって苦しみがはじまる・・・というようなイメージを持っているかもしれません。

つまり、苦しみとは「外側の世界からやって来るものであり、自分に対してふりかかってくるもの」という感じなのです。

そして一度苦しみに出会ってしまったら、逃れることができず、自分自身では制御不可能であり、自分は可哀想な被害者となってしまうのです。

しかし「苦しみ」というのは、そのような外部からやってくる「出来事」ではありません。

それはあくまでも、自分自身のものの見方であり、認識であり、解釈によって生じるものなのです。つまり、自分が目の前にあるものをどのようなものとして認識するか、ということです。

こどもが暗闇や影や何でもないものを怖がるとき、それはそのものが怖いというよりも、こころのなかで自分がでっち上げた解釈が怖いのです。それは実際には存在しないお化けであったり、モンスターであったり、妖怪であったりします。

そのとき、こどもは目の前のものを直接見ておらず、自分のこころのなかで作り上げたイメージを信じているため、そのイメージに対して叫び声を上げています。

自分勝手な解釈さえなければ、それはただの暗闇であり、影であり、物に過ぎないのです。怖い要素はどこにもありません。

じつは、大人が恐怖や苦しみを感じているときも、これとまったく同じことが起こっています。

自分がものごとをでっち上げるスピードが異常に速いため、自分自身がその間違った解釈の罠にかかり、ほんとうは安全であるはずのものが恐ろしく感じたり苦しく感じたりしてしまいます。。

瞬時に間違ったことを完全に受け入れてしまっているために、まったく疑いを持つ余地がなくなってしまっています。

しかし、お子ちゃまレベルでしか物事を見ていないという事実も、プライドが邪魔をして気づけないかもしれません。

苦しみを感じているのであれば、まずは自分の物事に対する見方が根本的に間違っているのかもしれない、でもそのおかしさにさえ気づくことができない自分がいる、ということを率直に認めてしまいましょう。

たとえば、「私は今起きていることを○○だと解釈しているが、 それはほんとうにほんとうのことだろうか?必ずそうなるのだろうか?事実なのだろうか?」と一歩はなれて冷静にながめてみましょう。

これが苦しみを解決する第一歩となります。

「自分は目にするすべてに対してありえないでっち上げをしてしまい、何ひとつ本来の姿で見ることができない人だ」と白旗を掲げてしまった方が良いのです(大丈夫です!みんながみんなそうですから♪)。

知覚や解釈が歪んでいることを認めて、さっさと訂正の助けを求めることこそが楽になる近道です。

さて、誰に助けを求めましょう?

それは、存在しないものばかりをでっち上げて大騒ぎをしているおなじみの自分自身ではなく、自分の正気の部分です。

自分のこころの正気の部分を「高い自己」あるいは「ハイヤーセルフ」と呼びます。この部分は、いつも私たちにインスピレーションやひらめきを与えてくれている叡智に満ちたこころです。

この正気の部分は、私たちにとって完全に忘れ去られてしまっているので、意識的に呼び起こし、つながることによって助けや導きを得ることができます。

私たちの見方は、自分自身では完璧だと信じていても、じつは壁のシミをお化けだと大騒ぎするお子ちゃまレベルなのです。

「そんなはずはない!」と思っても、そもそもあるがままの世界や物事を見て、平和でいられず、大騒ぎをし、恐れたりしてしまう時点で、解釈が正常ではなくなっているということです。

そうであるならば、素直にそれを認めて、自分自身の正気の部分であるハイヤーセルフに「いったいどのように見たらよいか」を尋ねてみましょう。怖れを知らない正気のこころに、怖れを知らない正しいものごとの見方を教えてもらいましょう。

ハイヤーセルフは私たちを常に尊重してくれるため、尋ねもしないのに「そうじゃありませんよ」「間違っていますよ」と勝手に口を挟んでくることはありません。

いつでも、自分自身から「正しく見たいです。助けてください。ものの見方を分ち合ってください」とお願いすることが必要です。

どんなときにでも、どのような人にでも、完全な幸せしか見ることができないハイヤーセルフの視点こそ、幸せになりたい私たちがマスターしなければならないものの見方です。つまり、ハイヤーセルフの視点こそが正しいものの見方なのです。

それはあるがままの見方であり、認識であり、解釈でありながら、私たちの怖れに満ちたものの見方を超越した完全に平和な認識です。

どんなときでも、「私と一緒にこれを見てください」「私は困ったことがあるとしか認識できていません。本当は何が起きているのか教えてください」というように、常に苦しみや恐れをでっち上げることに慣れているお子ちゃまレベルの認識力を修正してもらいましょう。

こどもも、「それは怖いものではなく、ただの壁のシミだよ」とか「闇の中には、何も怖いものは存在していないよ」と教えてもらうことで、徐々に安心して正しく見ることができるようになります。

一つづつ高い自己と共に見ることを進めて、自分の見方の歪みを優しく修正してもらいましょう。

自分のこころこそが苦しみや恐れを世の中や出来事に押しつけていることに気づけば、肩の力が抜けてくるでしょう。

なぜなら、それらは外側から突然自分に襲いかかってくるものではなく、自分のものの見方を修正すれば異なるものが見えてくることがわかるからです。

自分のこころが災いの元であるならば、それを訂正するのは自分自身の責任であり、自分の幸せのためにも自ら行うべきことです。

「自分の見方や解釈は正しいのだ!」という思いは一度手放して、こどものような気持ちでひとつひとつをハイヤーセルフに「どういうことなのか」教え導いてもらいましょう。

常に尋ねる姿勢を持つことで、ハイヤーセルフと自分の境目が徐々に薄れ、ハイヤーセルフの見方や考え方が自分のものになってきます。それは、真の自己と一体化し、正気を取り戻すことです。

すると、過去の自分にとっては苦しみや恐れであったはずのものが、今の自分にとってはまったく脅かされることなく安らかにスルーすることができるようになっていることに気づくかもしれません。

そのようにして、苦しみではなく、安らぎや愛や幸せだけを見ることができるハイヤーセルフのものの見方をひとつずつ教えてもらいましょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング