23-08-12 正しく悩むことも大切なこと

 

その昔、悩んでいる人がいると、「なんとか手を貸さなくては!」という気持ちになったものです。

悩みから抜け出すための解決メソッドやものの見方をお教えしたり、あれこれアドバイスをしたりしたものです。

今思うと、この段階で自分が間違っていたことに気がつきます。なぜなら、すでにその人を「困りはてている弱い存在」として扱ってしまっているからです。

ほんとうの意味で「助ける」ということは、その人に「真の自己の力を思い出させてあげる」ということ、つまり正気にさせてあげることです。

決して弱い存在のままにしておいてはいけないのです。

たいていの場合、人は悩んでいるからとと言って、「自分を変えたい」と思っているとはかぎりません。

置かれている状況に対してただ不平不満を言いたいだけで、ほんとうの変化を起こすことができる「自分自身の内側」を変えたい思っている人はあまりいないのです。

それなのに、あれこれ一方的に教えようとすることは、口がまったく開いていないのにグイグイ食べものをねじこもうとするような強引な行為なのでした。

そんなメイワク行為をしてしまっていたのは、自分自身が相手のなかにある強さを信頼していなかったからであり、また自分自身が「悩んだり苦しんだりしている人」を見ているのがいやだったからかもしれません。

私たちは、人から簡単に与えられたものについて大した価値を見出しません。それよりも、自分がこころから望んで手にしたものは大切に持ちつづけるのです。

そういう意味では、正しく悩んで苦しんで、口から手が出るようになるまでそのままにしてあげる、ということも大切なのです。そのときにつかんだものは、自分にとって大切な宝物になります。

外から与えられたものはスルスルと手の平をすり抜けて消えてゆきますが、自分がこころから欲したものはしっかりと握って離さないのです。

だから、「ほんとうに今の状態をやめたい!」とこころが決心するまで、しっかりと「自ら変化を起こしたい!」と熱望するまで、その方に寄りそいながら静かに見守ってあげることなのです。

そしてそのときが来たら、差し出されているカラの両手に必要なものをせっせとのせてあげることができます。

かといって、それは「悩んで苦しんでいる人に何もしてないけない」ということではありません。

そのときにできることはもちろんするのですが、しかしその状況はその人にとって「かけがえのない気づきと癒しのチャンス」であるとこころえて、むやみに赤ちゃんの世話をするように何でも助けようとするのではなく、ただともにいて見守って、準備ができるまで待ってあげることも大切なのです。

私たちの人生のなかに現れるハードルのひとつひとつは、「うまくやりすごす」ものではなく、「正しく正面から超えなければならない癒しのチャンス」なのです。

正しく超えることで、それらは永遠に姿を消すことができるからです。

「正しく超える」とは、ただものごとの被害者となって不平不満を言いつづけるのではなく、このことについて「自分のこころを正したい」、「こころを正して、ものごとを正しく見られるようになりたい」、だから「自分の考えが変えられるように導いてほしい」、と自分の高い自己(ハイヤーセルフ)にお願いをすることです。

本来の自分の強さのみを信頼するのではなく、一度自分の考えややり方を手放して、ただ謙虚な気持ちで助けを求めます。

「自分を変えたい」「別のやり方をしたい」、「だからどうしたらいいのか知りたい」と自分の手の平をカラにして開いたとき、そこに今までとは違う解決策が与えられます。

そのためには、「自分こそが知っていて、思いどおりにする」という今までのルールを手放せるようになるために正しく悩んで、「どうしたらうまくいくのかわからない。だから知りたい」と、ものごとの主導権を手放します。そして、まったく新たな考えへと自分を開くとき、今までとは違った世界へと導いてくれるドアが開きます。そして、不毛な悪循環から救い出してくれるのです。

正しく悩むことで、白旗を掲げることができるようになり、自分のやり方をすみやかに手放し、新たな世界を体験するための見方へとこころを開くことができます。

「自ら受け取る気持ち」になったときにだけ、導き手は現れ、軌道は修正されます。

そのためには、本人の気づきがやってこないうちに中途半端に世話をやいてしまうことは、かえってその人の癒しの邪魔をしてしまうことになってしまいます。過保護なこどもと同じ状態です。

だからこそ、正しく問題と向き合えるように悩んでいるあいだも静かに寄りそい、手が開いた状態になったならば、そこからじゃんじゃんサポートをする、というように、その人の苦しみをいったん容認してさしあげることも大切なことなのです。

実際、本人が自分で問題の核心に気づくまでは、同じ要素を含んだ問題が繰り返されてくることになります。

それは、小学生のドリル学習と同じで、「さあ、自分ひとりでできるようになるまでやってみようね!」「もう、わかったぞ!というところまでやってみよう!」ということなのです。

本人自らの気づきこそが、癒しにとってはなによりも重要だからです。

いちばんラクに学べる道は、問題が起こったときに被害者にならないようにすることです。

「自分のこころが起こしている問題」という観点から、「これは何を学ばなければならないのでしょうか」と自分自身のハイヤーセルフに尋ねてみましょう。

答えは言葉ではわからないかもしれませんが、被害者にならずにその問題に対応しようとする行動に答えがすでに現れているかもしれません。無意識のうちに、いつもとは違うものの見方をして、違う行動に導かれているかもしれません。

ひとつひとつのことを「尋ねて」「学ぶ」姿勢をもつとき、自然と流れに乗り、繰り返していた問題というパターンから抜け出すことができるようになるでしょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

気づきの日記「正しく悩むことも大切なこと」

 

その昔、悩んでいる人がいると、「なんとか手を貸さなくては!」という気持ちになったものです。

悩みから抜け出すための解決メソッドやものの見方をお教えしたり、あれこれアドバイスをしたりしたものです。

今思うと、この段階で自分が間違っていたことに気がつきます。なぜなら、すでにその人を「困りはてている弱い存在」として扱ってしまっているからです。

ほんとうの意味で「助ける」ということは、その人に「真の自己の力を思い出させてあげる」ということ、つまり正気にさせてあげることです。

決して弱い存在のままにしておいてはいけないのです。

たいていの場合、人は悩んでいるからとと言って、「自分を変えたい」と思っているとはかぎりません。

置かれている状況に対してただ不平不満を言いたいだけで、ほんとうの変化を起こすことができる「自分自身の内側」を変えたい思っている人はあまりいないのです。

それなのに、あれこれ一方的に教えようとすることは、口がまったく開いていないのにグイグイ食べものをねじこもうとするような強引な行為なのでした。

そんなメイワク行為をしてしまっていたのは、自分自身が相手のなかにある強さを信頼していなかったからであり、また自分自身が「悩んだり苦しんだりしている人」を見ているのがいやだったからかもしれません。

私たちは、人から簡単に与えられたものについて大した価値を見出しません。それよりも、自分がこころから望んで手にしたものは大切に持ちつづけるのです。

そういう意味では、正しく悩んで苦しんで、口から手が出るようになるまでそのままにしてあげる、ということも大切なのです。そのときにつかんだものは、自分にとって大切な宝物になります。

外から与えられたものはスルスルと手の平をすり抜けて消えてゆきますが、自分がこころから欲したものはしっかりと握って離さないのです。

だから、「ほんとうに今の状態をやめたい!」とこころが決心するまで、しっかりと「自ら変化を起こしたい!」と熱望するまで、その方に寄りそいながら静かに見守ってあげることなのです。

そしてそのときが来たら、差し出されているカラの両手に必要なものをせっせとのせてあげることができます。

かといって、それは「悩んで苦しんでいる人に何もしてないけない」ということではありません。

そのときにできることはもちろんするのですが、しかしその状況はその人にとって「かけがえのない気づきと癒しのチャンス」であるとこころえて、むやみに赤ちゃんの世話をするように何でも助けようとするのではなく、ただともにいて見守って、準備ができるまで待ってあげることも大切なのです。

私たちの人生のなかに現れるハードルのひとつひとつは、「うまくやりすごす」ものではなく、「正しく正面から超えなければならない癒しのチャンス」なのです。

正しく超えることで、それらは永遠に姿を消すことができるからです。

「正しく超える」とは、ただものごとの被害者となって不平不満を言いつづけるのではなく、このことについて「自分のこころを正したい」、「こころを正して、ものごとを正しく見られるようになりたい」、だから「自分の考えが変えられるように導いてほしい」、と自分の高い自己(ハイヤーセルフ)にお願いをすることです。

本来の自分の強さのみを信頼するのではなく、一度自分の考えややり方を手放して、ただ謙虚な気持ちで助けを求めます。

「自分を変えたい」「別のやり方をしたい」、「だからどうしたらいいのか知りたい」と自分の手の平をカラにして開いたとき、そこに今までとは違う解決策が与えられます。

そのためには、「自分こそが知っていて、思いどおりにする」という今までのルールを手放せるようになるために正しく悩んで、「どうしたらうまくいくのかわからない。だから知りたい」と、ものごとの主導権を手放します。そして、まったく新たな考えへと自分を開くとき、今までとは違った世界へと導いてくれるドアが開きます。そして、不毛な悪循環から救い出してくれるのです。

正しく悩むことで、白旗を掲げることができるようになり、自分のやり方をすみやかに手放し、新たな世界を体験するための見方へとこころを開くことができます。

「自ら受け取る気持ち」になったときにだけ、導き手は現れ、軌道は修正されます。

そのためには、本人の気づきがやってこないうちに中途半端に世話をやいてしまうことは、かえってその人の癒しの邪魔をしてしまうことになってしまいます。過保護なこどもと同じ状態です。

だからこそ、正しく問題と向き合えるように悩んでいるあいだも静かに寄りそい、手が開いた状態になったならば、そこからじゃんじゃんサポートをする、というように、その人の苦しみをいったん容認してさしあげることも大切なことなのです。

実際、本人が自分で問題の核心に気づくまでは、同じ要素を含んだ問題が繰り返されてくることになります。

それは、小学生のドリル学習と同じで、「さあ、自分ひとりでできるようになるまでやってみようね!」「もう、わかったぞ!というところまでやってみよう!」ということなのです。

本人自らの気づきこそが、癒しにとってはなによりも重要だからです。

いちばんラクに学べる道は、問題が起こったときに被害者にならないようにすることです。

「自分のこころが起こしている問題」という観点から、「これは何を学ばなければならないのでしょうか」と自分自身のハイヤーセルフに尋ねてみましょう。

答えは言葉ではわからないかもしれませんが、被害者にならずにその問題に対応しようとする行動に答えがすでに現れているかもしれません。無意識のうちに、いつもとは違うものの見方をして、違う行動に導かれているかもしれません。

ひとつひとつのことを「尋ねて」「学ぶ」姿勢をもつとき、自然と流れに乗り、繰り返していた問題というパターンから抜け出すことができるようになるでしょう。

 

 

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今週の夕空 @18:15

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

8月に入って、空の表情がいろいろに変わっていますSmile

Mon.

Tue.

Thurs.

Fri.

 

 

 

るんサイトのリニューアル、準備中

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オフィス・るんのサイトも作成してから早二十数年。

その間、少しづつ新しいものに変えてきてはいるのですが、スマホでサイトをご覧になる方が増えた昨今、現サイトはスマホでは見づらくなってしまいました。

そこで、スタッフSちゃんに今どきのサイトを作りはじめていただき、すでに大方できあがっているのですが、

なんせ私が新しいフォーマットになじみがなく、また長年可愛がって育ててきた現サイトに愛着がありすぎて、なかなか作業がすすまず・・・

ず〜〜〜っと出来上がりの確認を怠って、放置することあっというまに一年あまり・・・(汗)。

しかし・・・このところ業者さんからも「まだ、新しいサイトになっていないんですか〜?」とプレッシャーをかけられ、ようやく真剣に取り組みはじめました。

新しいフォーマットは、どこに何をもっていっていいのやら、自分で自分のサイトの扱いがまったくわからず、これ!誰のサイトなの?!という感じです(苦笑)。

あと一年はかからず(そう願いますが・・・)近日完成の予定で〜す。

 

 

 

23-08-02 疲れたら、全部お任せ!心がラクになる “丸投げ” のコツ

 

疲れているように見える人に、私たちは「ゆっくり身体を休めてね!」と声をかけます。

 

しかし、本当に疲労困憊しているとき、まいっているのは身体ではなく「心」なのです。心こそが悲鳴をあげています。

 

心が疲れると、すべてがしんどくなる

 

心がまっすぐ元気であれば、多少身体が疲れていてもやり過ごすことができます。よく「精神力でのり切った!」と言うように、心が元気ならば、身体はついてきてくれるのです。

 

いちばん困るのは、心がペシャンコになったとき。

私たちから生命エネルギーを奪うのは、「自分で自分を信じられなくなったとき」です。

 

たとえば、

- 「変えたい現状があるのに、変えられない(無力な自分)」

- 「AかBか選ばなければならないのに、どう決めたらいいかわからない(無知な自分)」

- 「生きたい人生があるのに、生きられない(哀れな自分)」

 

こんなふうに、自分自身を厳しくジャッジし、「頼りにならない」と見限ってしまうことが、心をいちばん疲れさせるのです。

 

では、どうしたらこの悪循環を断ち切れるのでしょうか?

 

 

いちばん大切なのは、自分との関係

 

私たちは対人関係に気を配りますが、本当に大切なのは「自分との関係」です。

 

「~できない自分」と判断すると、それを信じることで、そのレッテルのままの自分を生きることになります。

かといって、否定的な考えを止めようとしても、思考は勝手に浮かんできます。

そこで大切なのは「フォローする習慣をつけること」。

 

たとえば、

- 「変えたい現状があるのに、変えられない」と思ったら → 「今はこれで大丈夫。変化が必要なときには自然と動けるはず」

- 「AかBか選べない」と思ったら → 「私ではなく、すべてを見通す存在が判断してくれる。だから、流れを見てみよう」

- 「生きたい人生があるのに、生きられない」と思ったら → 「今はまだ、プロセスの途中。だから、この流れに身を任せてみよう」

 

心が疲れると、私たちはつい自分を責めたり、ネガティブな思考に囚われがちです。そんなときに、こうして自分を「フォローする習慣」をつけることで、心の疲れがほぐれ楽になっていきます。

 

 

「丸投げ」という選択肢

 

私たちは「自分のことは自分でやるべき」と教えられてきました。そのため、「委ねる」「頼る」という考え方には馴染みがありません。

 

「自分でやるべき」と思い込んでいると、すべてを背負い込んでしまい、心身ともに身動きができなくなってしまうのです。

ひとりで抱え込む必要はないのです。信頼して任せること も、立派な選択肢のひとつ。

もし今まで「自分ひとり」で頑張ってきて、悪戦苦闘し疲れ切っているなら、「丸投げ」の姿勢をぜひ試してみましょう。

 

 

どこに丸投げする?

 

それは、力不足を感じて疲れ果てた「エゴ」ではなく、

 

この世界の外から、すべてを知り尽くしてサポートしてくれる真の自分(ハイヤーセルフ)にです。

 

「そんな存在、知らない!」と思うかもしれません。でも、実は私たちはずっとハイヤーセルフとつながっているのです。

 

ただ、その声を意識してこなかっただけ。

だから、今日から少しずつ耳を傾けてみましょう。

 

 

ハイヤーセルフとつながる方法

 

毎日、ハイヤーセルフに話しかけてみましょう。

- 「どうしたらいい?」

- 「この状況をどう見ればいい?」

- 「助けてほしい」

 

と尋ね、助力をお願いしてみるのです。

 

すると、「こんなふうに解決しちゃっていいの?」と驚くような答えを受け取ったりします。

 

その昔、まとまったお金が必要になったことがあり、手元にすぐに使える額がなく困惑していました。そのとき、「自分にできることはハイヤーセルフにお願いすることだけ」と感じ、心の中でお願いし、そのことは忘れていました。すると、ふと手にした引き出しの中の封筒に、ぴったり必要な額が入っていて、「まさにこれがハイヤーセルフの答えだ」と驚いたことがあります。

 

実際、ハイヤーセルフに問題解決をお願いしている方々はみな、「必ず解決してもらえるから大丈夫」「それも、誰にとっても一番よい方法で!」という強い確信をえるようになります。そして、ムダな怖れがなくなるのです。

 

 

心を楽にするために

 

心が疲弊すると、身体もバランスを崩し、目にする世界にも不具合が現れます。すると、さらに心が疲れ・・・という悪循環に陥ってしまいます。

 

そうならないために、

1. 自分の思考に気づいてみる

2. 自分を優しくフォローする習慣をつける

3. 自分でやらず、ハイヤーセルフに「丸投げ」する

 

この流れを意識してみましょう。

 

「自分ひとりでやらなくてもいい」と思うだけで、こころは責任の重さから解放されます。

そして、流れのなかで自然に起こる出来事が、きっとあなたを安心させてくれるでしょう。

 

まずは、気軽にハイヤーセルフに話しかけてみましょう。そして、無条件にあなたを愛し、助けになってくれる存在と親しい関係を築いてみましょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

気づきの日記「疲れたら、全部お任せ!心がラクになる “丸投げ” のコツ」

 

疲れているように見える人に、私たちは「ゆっくり身体を休めてね!」と声をかけます。

 

しかし、本当に疲労困憊しているとき、まいっているのは身体ではなく「心」なのです。心こそが悲鳴をあげています。

 

心が疲れると、すべてがしんどくなる

 

心がまっすぐ元気であれば、多少身体が疲れていてもやり過ごすことができます。よく「精神力でのり切った!」と言うように、心が元気ならば、身体はついてきてくれるのです。

 

いちばん困るのは、心がペシャンコになったとき。

私たちから生命エネルギーを奪うのは、「自分で自分を信じられなくなったとき」です。

 

たとえば、

- 「変えたい現状があるのに、変えられない(無力な自分)」

- 「AかBか選ばなければならないのに、どう決めたらいいかわからない(無知な自分)」

- 「生きたい人生があるのに、生きられない(哀れな自分)」

 

こんなふうに、自分自身を厳しくジャッジし、「頼りにならない」と見限ってしまうことが、心をいちばん疲れさせるのです。

 

では、どうしたらこの悪循環を断ち切れるのでしょうか?

 

 

いちばん大切なのは、自分との関係

 

私たちは対人関係に気を配りますが、本当に大切なのは「自分との関係」です。

 

「~できない自分」と判断すると、それを信じることで、そのレッテルのままの自分を生きることになります。

かといって、否定的な考えを止めようとしても、思考は勝手に浮かんできます。

そこで大切なのは「フォローする習慣をつけること」。

 

たとえば、

- 「変えたい現状があるのに、変えられない」と思ったら → 「今はこれで大丈夫。変化が必要なときには自然と動けるはず」

- 「AかBか選べない」と思ったら → 「私ではなく、すべてを見通す存在が判断してくれる。だから流れを見てみよう」

- 「生きたい人生があるのに、生きられない」と思ったら → 「過去の選択が本当に最善だったとは限らない。だから、この流れに身を任せてみよう」

 

心が疲れると、私たちはつい自分を責めたり、ネガティブな思考に囚われがちです。そんなときに、こうして自分を「フォローする習慣」をつけることで、心の疲れがほぐれ楽になっていきます。

 

 

「丸投げ」という選択肢

 

私たちは「自分のことは自分でやるべき」と教えられてきました。そのため、「委ねる」「頼る」という考え方には馴染みがありません。

 

「自分でやるべき」と思い込んでいると、すべてを背負い込んでしまい、心身ともに身動きができなくなってしまうのです。

ひとりで抱え込む必要はないのです。信頼して任せること も、立派な選択肢のひとつ。

もし今まで「自分ひとり」で頑張ってきて、悪戦苦闘し疲れ切っているなら、「丸投げ」の姿勢をぜひ試してみましょう。

 

 

どこに丸投げする?

 

それは、力不足を感じて疲れ果てた「エゴ」ではなく、

 

この世界の外から、すべてを知り尽くしてサポートしてくれる真の自分(ハイヤーセルフ)にです。

 

「そんな存在、知らない!」と思うかもしれません。でも、実は私たちはずっとハイヤーセルフとつながっているのです。

 

ただ、その声を意識してこなかっただけ。

だから、今日から少しずつ耳を傾けてみましょう。

 

 

ハイヤーセルフとつながる方法

 

毎日、ハイヤーセルフに話しかけてみましょう。

- 「どうしたらいい?」

- 「この状況をどう見ればいい?」

- 「助けてほしい」

 

と尋ね、助力をお願いしてみるのです。

 

すると、「こんなふうに解決しちゃっていいの?」と驚くような答えを受け取ったりします。

 

その昔、まとまったお金が必要になったことがあり、手元にすぐに使える額がなく困惑していました。そのとき、「自分にできることはハイヤーセルフにお願いすることだけ」と感じ、心の中でお願いし、そのことは忘れていました。すると、ふと手にした引き出しの中の封筒に、ぴったり必要な額が入っていて、「まさにこれがハイヤーセルフの答えだ」と驚いたことがあります。

 

実際、ハイヤーセルフに問題解決をお願いしている方々はみな、「必ず解決してもらえるから大丈夫」「それも、誰にとっても一番よい方法で!」という強い確信をえるようになります。そして、ムダな怖れがなくなるのです。

 

 

心を楽にするために

 

心が疲弊すると、身体もバランスを崩し、目にする世界にも不具合が現れます。すると、さらに心が疲れ・・・という悪循環に陥ってしまいます。

 

そうならないために、

1. 自分の思考に気づいてみる

2. 自分を優しくフォローする習慣をつける

3. 自分でやらず、ハイヤーセルフに「丸投げ」する

 

この流れを意識してみましょう。

 

「自分ひとりでやらなくてもいい」と思うだけで、こころは責任の重さから解放されます。

そして、流れのなかで自然に起こる出来事が、きっとあなたを安心させてくれるでしょう。

 

まずは、気軽にハイヤーセルフに話しかけてみましょう。そして、無条件にあなたを愛し、助けになってくれる存在と親しい関係を築いてみましょう。

 

 

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暑中お見舞い申し上げます ^ - ^

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今年は梅雨明けまえから十分に暑さを堪能してしまったので、「えっ?ようやく梅雨明け?これから夏本番なの?」と絶句するしまつです。

このところ忙しくてお外へ出かける時間がなかったのですが、ようやくお友だちとデートする余裕が♡

張り切りすぎて、朝の10:00から夕方18:00近くまでノンストップのお喋りタイム♪

お喋りしていると・・・日頃なんとな〜く考えていたことが、「あ!そういうことか?!」とたくさんの気づきがやってきて、そこからまた話題が広がってゆきます。だから、あれこれ止まらなくなってしまうのです。

たくさん喋っているので、燃料も必要(笑)。午前中のカフェからはじまって、三軒ハシゴいたしました(といっても、暑いので、すべて同じ建物のなかで調達)。

♪ ランチ〜

冷え冷えの丸ごとトマトサラダと、

巨大な獅子唐と揚げ茄子がのった和風ハンバーグ。メインのおろしハンバーグとベイクドポテトが脇役に見えます。

獅子唐って、たま〜にすんごく辛いのがあるのですが、こんなに大きくて辛かったら災難だよね〜と思っていたら、案の定、お友だちは一口食べたらお顔をしかめてギブアップでした(汗)。ああ、大当たりだわ☆☆☆

♪ カフェ〜

あんなに「お腹がいっぱい!」とのけぞっていたのに、別腹はいつでもスタンバイOK。眺めのいいカフェに移動して、スウィーツを♡

ボックス席があまりに心地よくって、そしてドリンクも飲み放題ときているので、ついついおうちリビング状態で長居してしまいました。

なにげないお喋りでも、ひとりで思いめぐらしているよりも気づきの相乗効果は大です。そして、このところのお仕事の疲れもきれいサッパリ☆ 充実の午後でした。

メロンのショートケーキ、おいしかったです ♪

 

 

 

23-07-18 自分の使命を知りたいあなたへ 〜大切な視点とは〜

 

私の使命って何ですか?

 

「私の使命って何だろう?」 

「この人生で、私がするべきことってある?」 

ふとした瞬間、そんな疑問が頭をよぎったことはありませんか?  

 

仕事に打ち込んでいるとき、ふと「本当にこれでいいのか」と迷ったり、  

人生の転機で「私がここにいる意味は?」と考えたり…。  

また、クライエントさんからのご質問でも、この問はよく登場します。

 

かつての私もそうでした。  

そして、あるときチャネラーに使命を尋ねたのです。  

 

期待と違った「使命」

 

そのチャネラーは言いました。  

「あなたの使命はカルマの清算です」

……カルマの清算?

正直、その言葉を聞いたとき、ガッカリ感が私を襲いました。
まるで借金を返すだけの人生のように感じたからです。

でも、今なら分かります。
「カルマの清算」とは、過去の償いではなく、苦しみのループを終わらせ、本当の自由を取り戻すことだったのです。

 

カルマのシーソーゲーム

 

私たちの人生は、まるでシーソーゲームのようなもの。
あるときは成功し、あるときは失敗する。
あるときは豊かで、あるときは貧しい。

それは偶然ではなく、すべて過去が影響を与えているのです。

過去に与えたものは、今、受け取る。
過去に奪ったものは、今、返さなければならない。

けれど、もしずっと「与える⇔受け取る」「奪う⇔返す」のループを繰り返していたら、
私たちは本当の意味で自由にはなれません。

このシーソーを降りることこそが、私たちの「使命」なのです。

 

 

どうすれば、カルマを終わりにできるのか?

 

では、どうすればカルマを終わらせることができるのでしょう?  

答えはシンプルです。  

 

「今、目の前の出来事を、自分が蒔いた種の結果として受け入れること」

 

誰にとっても日々すべきことは、まさにこの「カルマ劇場」の幕をひとつひとつ閉じていくことです。  

これ以上、同じような原因と結果を繰り返さないように、終止符を打つこと。  

 

そのためには、日々の体験のなかで現れるさまざまな問題――プチなものからメガ級のものまで――を
「これは私自身が生み出したものだ」と認識し、受け入れる姿勢を持つことが大切なのです。

受け入れるとは、「我慢する」ことではありません。
その出来事を通して、自分にどんな思い込みやパターンがあるのかを見つめることです。

たとえば、誰かに傷つけられたと感じたら、
「私はなぜ、こんなに傷ついたのだろう?」と自分に問いかけてみる。

「相手が悪い!」と責めたくなったときは、
「私の中に、何か手放すべき思い込みはないだろうか?」と考えてみる。

そうすることで、「私は被害者だ」という意識が和らぎ、
代わりに、穏やかで静かな心を取り戻すことができます。
 

 

 

平和な心が、平和な世界をつくる

 

そして、この内側で感じる平和な状態こそが、新たに目にする世界の原因となります。  

なぜなら、**平和な世界は、安らかな心からしか生まれない**からです。  

 

また、静かで平和な心があるからこそ、高い自己からの導きを受け取ることができるようになります。  

そして、その導きに従うことで、苦しみのない穏やかな道へと、自然に軌道が修正されていくのです。  

 

 

「使命」は、幸せのなかで見えてくる

 

静かな心を取り戻し、導きとつながることができれば、それ自体がもう十分な幸せとなります。  

そうなれば、自分がここで「何をしているか」は、もうそれほど重要ではないのです。  

 

むしろ、そうした心の状態だからこそ、本当に生きるべき「新たな使命」が明らかになってきます。  

そして、それを生きることは、きっと大きな喜びへとつながるでしょう。  

 

 

まとめ:カルマを超えて、自由になる

 

日々起こる出来事に対して、カルマ的な視点をもって見つめてみること。  

そして、その繰り返しを終わらせることができると気づくこと。  

 

「ああ、もう、やった・やられたの世界はたくさん!  

それよりも、これを受け入れることで、このパターンを終わりにしよう」  

 

そう心に決めたとき、カルマの外側の視点が開かれ、  

あなたは高い自己(ハイヤーセルフ)へとすべてを委ねることができます。  

すると、ぐるぐる繰り返していた因果の輪が、ついに終わりを迎えるのです。 

 

すると、特別な何かがなくても、ごく普通の日常のなかに、  

十分な幸せがあると感じられるでしょう。  

 

そして、その満たされた感覚が、新たな現実を「喜びのストーリー」として映し出していくのです。  

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

気づきの日記「自分の使命を知りたいあなたへ 〜大切な視点とは〜」

 

私の使命って何ですか?

 

「私の使命って何だろう?」 

「この人生で、私がするべきことってある?」 

ふとした瞬間、そんな疑問が頭をよぎったことはありませんか?  

 

仕事に打ち込んでいるとき、ふと「本当にこれでいいのか」と迷ったり、  

人生の転機で「私がここにいる意味は?」と考えたり…。  

また、クライエントさんからのご質問でも、この問はよく登場します。

 

かつての私もそうでした。  

そして、あるときチャネラーに使命を尋ねたのです。  

 

期待と違った「使命」

 

そのチャネラーは言いました。  

「あなたの使命はカルマの清算です」

……カルマの清算?

正直、その言葉を聞いたとき、ガッカリ感が私を襲いました。
まるで借金を返すだけの人生のように感じたからです。

でも、今なら分かります。
「カルマの清算」とは、過去の償いではなく、苦しみのループを終わらせ、本当の自由を取り戻すことだったのです。

 

カルマのシーソーゲーム

 

私たちの人生は、まるでシーソーゲームのようなもの。
あるときは成功し、あるときは失敗する。
あるときは豊かで、あるときは貧しい。

それは偶然ではなく、すべて過去が影響を与えているのです。

過去に与えたものは、今、受け取る。
過去に奪ったものは、今、返さなければならない。

けれど、もしずっと「与える⇔受け取る」「奪う⇔返す」のループを繰り返していたら、
私たちは本当の意味で自由にはなれません。

このシーソーを降りることこそが、私たちの「使命」なのです。

 

 

どうすれば、カルマを終わりにできるのか?

 

では、どうすればカルマを終わらせることができるのでしょう?  

答えはシンプルです。  

 

「今、目の前の出来事を、自分が蒔いた種の結果として受け入れること」

 

誰にとっても日々すべきことは、まさにこの「カルマ劇場」の幕をひとつひとつ閉じていくことです。  

これ以上、同じような原因と結果を繰り返さないように、終止符を打つこと。  

 

そのためには、日々の体験のなかで現れるさまざまな問題――プチなものからメガ級のものまで――を
「これは私自身が生み出したものだ」と認識し、受け入れる姿勢を持つことが大切なのです。

受け入れるとは、「我慢する」ことではありません。
その出来事を通して、自分にどんな思い込みやパターンがあるのかを見つめることです。

たとえば、誰かに傷つけられたと感じたら、
「私はなぜ、こんなに傷ついたのだろう?」と自分に問いかけてみる。

「相手が悪い!」と責めたくなったときは、
「私の中に、何か手放すべき思い込みはないだろうか?」と考えてみる。

そうすることで、「私は被害者だ」という意識が和らぎ、
代わりに、穏やかで静かな心を取り戻すことができます。
 

 

 

平和な心が、平和な世界をつくる

 

そして、この内側で感じる平和な状態こそが、新たに目にする世界の原因となります。  

なぜなら、**平和な世界は、安らかな心からしか生まれない**からです。  

 

また、静かで平和な心があるからこそ、高い自己からの導きを受け取ることができるようになります。  

そして、その導きに従うことで、苦しみのない穏やかな道へと、自然に軌道が修正されていくのです。  

 

 

「使命」は、幸せのなかで見えてくる

 

静かな心を取り戻し、導きとつながることができれば、それ自体がもう十分な幸せとなります。  

そうなれば、自分がここで「何をしているか」は、もうそれほど重要ではないのです。  

 

むしろ、そうした心の状態だからこそ、本当に生きるべき「新たな使命」が明らかになってきます。  

そして、それを生きることは、きっと大きな喜びへとつながるでしょう。  

 

 

まとめ:カルマを超えて、自由になる

 

日々起こる出来事に対して、カルマ的な視点をもって見つめてみること。  

そして、その繰り返しを終わらせることができると気づくこと。  

 

「ああ、もう、やった・やられたの世界はたくさん!  

それよりも、これを受け入れることで、このパターンを終わりにしよう」  

 

そう心に決めたとき、カルマの外側の視点が開かれ、  

あなたは高い自己(ハイヤーセルフ)へとすべてを委ねることができます。  

すると、ぐるぐる繰り返していた因果の輪が、ついに終わりを迎えるのです。 

 

すると、特別な何かがなくても、ごく普通の日常のなかに、  

十分な幸せがあると感じられるでしょう。  

 

そして、その満たされた感覚が、新たな現実を「喜びのストーリー」として映し出していくのです。  

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

ホラー楽しい思い出話

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

山梨のお友だちからお家で作っていらっしゃる桃が届きました。

大きくって、真っ赤っか。

「あのとき」以来、毎年夏になると送ってくださるのです。

「あのとき」・・・とは、私とお友だち共通の人生最恐のホラー体験。

それは、かれこれ7〜8年まえのこと。

急にものが見えづらくなり、眼科の手術を受けなければならないことになったのです。それは、眼球の中身をカラッポにしたうえで、網膜のうえにかかってしまった膜を除去する手術で、そりゃあもうホラーそのものでした。

なぜなら、局所麻酔なので眼球に差しこまれる器具が網膜に影絵のように大写しになるのです。スクリーンいっぱいにフォークのようなものが映し出されている状態で、膜をクルクル巻きとる作業をしているのが丸見えです。

緊張気味のインターンの先生に「もっと左の方だよ〜」とか「まだ、残っているよ〜(汗)」とこころのなかでつっこみを入れておりました。

その器具たちが動き回る様子が、なぜかスターウォーズの戦闘シーンのように見えたものです。

手術室にはなにやら楽しげな音楽がしじゅう流れてはいたのですが、このときほど明るさが凍るほど不気味に感じたことはありません。

これがなんと4時間もかかり、最終的に病院から解放されるまでに一週間以上もかかってしまいました。

その間、身体を平らにできないので半分起きているような状態で眠ったり、また一日中点眼をしなければならなかったのです。

そんな恐怖の手術体験と入院生活をともにしたのがルームメイトだったそのお友だちでした。彼女もまったく同じ手術で、術後はうつぶせでしか寝られなかったのでもっと大変なご様子。

お互いお風呂はおろか、一週間も顔を洗えないので「もうカピカピだわね〜」なんて笑いながら、そんな日々を励まし合って過ごしたのでした。

もうあれからずいぶん経つのに家族のような親しさが感じられます。

桃のお礼でお電話をしたら、いつものごとく「あれは大変な体験だったけれど、でも毎日が楽しかったわね〜!」なんて、ホラー楽しい思い出話に花が咲くのです。