furukawaさんのブログ

今週の夕空 @18:15

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

8月に入って、空の表情がいろいろに変わっていますSmile

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るんサイトのリニューアル、準備中

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オフィス・るんのサイトも作成してから早二十数年。

その間、少しづつ新しいものに変えてきてはいるのですが、スマホでサイトをご覧になる方が増えた昨今、現サイトはスマホでは見づらくなってしまいました。

そこで、スタッフSちゃんに今どきのサイトを作りはじめていただき、すでに大方できあがっているのですが、

なんせ私が新しいフォーマットになじみがなく、また長年可愛がって育ててきた現サイトに愛着がありすぎて、なかなか作業がすすまず・・・

ず〜〜〜っと出来上がりの確認を怠って、放置することあっというまに一年あまり・・・(汗)。

しかし・・・このところ業者さんからも「まだ、新しいサイトになっていないんですか〜?」とプレッシャーをかけられ、ようやく真剣に取り組みはじめました。

新しいフォーマットは、どこに何をもっていっていいのやら、自分で自分のサイトの扱いがまったくわからず、これ!誰のサイトなの?!という感じです(苦笑)。

あと一年はかからず(そう願いますが・・・)近日完成の予定で〜す。

 

 

 

気づきの日記「グッタリするまえに、丸投げを!」

 

疲れているように見える人に、私たちは「ゆっくり身体を休めてね!」と声をかけます。

しかし、ほんとうに疲労困憊してしまっているとき、まいってしまっているのは私たちの身体ではなく「こころ」なのです。こころこそが疲弊して悲鳴をあげているのです。

なぜなら、何を疑うこともなくこころが真っ直ぐでスコンと元気だと、多少身体に負担がかかっていてもなんとかやり過ごすことができるからです。よく、「身体は疲れていたけれど、精神力でのり切った!」と表現するように。

こころが元気ならば、身体はそれについてきてくれるのです。

いちばん困るのは、こころがペシャンコになったときなのです。

私たちから生命エネルギーを奪っているのは、身体の活動自体ではなく、こころが「自分で自分を信じることができなくなったとき」なのです。

たとえば、「変えたい現状があるのに、とうてい変えることができない(無力な自分)」「AかBか選ばなければならないのに、どう決めたらいいかわからない(無知な自分)」「生きたい人生があるのに、生きられない(哀れな自分)」・・・

というように、自分で自分に対して手厳しい判断をし、自分のことをふがいない、まったく頼りにならない奴・・・と見限ってしまっているのです。

そのことによって、いちばん信頼して欲しい自分自身に見捨てられてしまったこころは頼るあてもなく、前向きに生きる力を失ってしまうのです。

こんなことにならないために、どうしたらよいのでしょうか?

私たちはこの世界で生きてゆくために、対人関係についてはこころ配りをしています。しかし、いちばんこころを配らなければならない関係は、じつは自分との関係なのです。

自分自身とうまくつきあうことができないと、人生全般とうまくつきあうことができなくなります。

先に書いたように「〜できない自分」という自己に対する判断を認めてしまうと、「自分は何もできない人」「頼りにならない人」というレッテルを自分自身に貼りつけることになり、それを受け入れれば、そんな自分をそのまま生きるようになります。

かと言って、そのような考えを止めようにも自己否定的なことばは自動的に出てくるので、コントロールすることができません。

そこで、たとえ自己否定的な考えを自分自身に言ってしまったとしても、そのあとにそれを自分自身でフォローする習慣をつけてみましょう。

「変えたい現状があるのに、とうてい変えることができない(無力な自分)」という考えが浮かんできた場合には、「変えることができないのなら、当面はこれで大丈夫。真の変化が訪れるときには、自然と行動を起こせるはずだから」と、優しく今の現状にOKを出します。

「AかBか選ばなければならないのに、どう決めたらいいかわからない(無知な自分)」という考えに対しては、「AかBか選ぶのは、私ではない。自分のなかにすべてを見通している存在がいて、すべてを正しく判断してくれるから、その存在に委ねて、あとは自分がどうするのか見ていてみよう」と、自分のなかの大きな存在の力に委ねてしまいます。

「生きたい人生があるのに、生きられない(哀れな自分)」という考えに対しては、「今までの人生でも、自分の思いどおりを貫くことが幸せに直結していたとは限らない。むしろ、失敗したことも多いかもしれない。だったら、この人生全体の流れが自分をどこに連れて行ってくれるのかただ見ていてみよう」と、自分自身が人生の責任をとろうとするのではなく、もっと大きな流れに身を委ねて連れて行ってもらいます。

私たちは小さいころから「人に頼らないで自分で決めなさい」とか、「自分のことは自分でちゃんとやりなさい」と言われつづけ、他の力を借りることは良しとされませんでした。

だから、自分の人生に対して100%自分でどうにかすることがあたりまえ、「他に丸投げする」なんてもってのほか!と感じてしまうため、「信頼して、頼って、委ねて、身をまかせる」という考え方には馴染みがないのです。

しかし、今まで「自分ひとり」で頑張ってきて、それでも悪戦苦闘がつづいて、そのうえどうしてよいのかわからず、疲れ切っているのなら、このさい「丸投げ」の姿勢を身につけてみましょう。

誰に丸投げをするのか?・・・それは、力不足を感じて疲れはてているニセモノの自分(エゴ)ではなく、この世界の外かわからすべてを熟知したうえでサポートをする真の自分(ハイヤーセルフ)にです。

そんな存在、知りません!・・・って?

大丈夫です! きょうまで知らなくっても、きょうから新たに関係を結びましょう。

毎日、ハイヤーセルフに声をかけてつながり、尋ねて、助力をお願いすれば・・・きっと、あらら〜、こんなふうに解決しちゃっていいの?とびっくりするぐらい、自分には考えつかなかった解決策が与えられるということにびっくりするかもしれません。

こころが疲弊すると、身体もバランスを崩し、さらに自分の目にする世界にも不具合があらわれはじめ、それを見てまたこころがさらに疲弊する・・・という悪循環に陥ってしまいます。

そうならないためにも、自分のこころが自分を疲れさせないように、どんなことを言っているのかまずは気づいてみましょう。

そして、疲れを感じるような発言を見つけたら、ハイヤーセルフへの「丸投げ」の考え方に変えることで、こころの負荷を減らしてあげましょう。

そして、どんな結果になるのか見ていましょう。

「自分ひとりでやらなくんてもいい」と感じるだけでも、こころはだいぶツラい責任感から逃れることができます。

そして、流れのなかで自然に起こる成りゆきも、もっと自分自身を安心させてくれるかもしれません。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

暑中お見舞い申し上げます ^ - ^

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今年は梅雨明けまえから十分に暑さを堪能してしまったので、「えっ?ようやく梅雨明け?これから夏本番なの?」と絶句するしまつです。

このところ忙しくてお外へ出かける時間がなかったのですが、ようやくお友だちとデートする余裕が♡

張り切りすぎて、朝の10:00から夕方18:00近くまでノンストップのお喋りタイム♪

お喋りしていると・・・日頃なんとな〜く考えていたことが、「あ!そういうことか?!」とたくさんの気づきがやってきて、そこからまた話題が広がってゆきます。だから、あれこれ止まらなくなってしまうのです。

たくさん喋っているので、燃料も必要(笑)。午前中のカフェからはじまって、三軒ハシゴいたしました(といっても、暑いので、すべて同じ建物のなかで調達)。

♪ ランチ〜

冷え冷えの丸ごとトマトサラダと、

巨大な獅子唐と揚げ茄子がのった和風ハンバーグ。メインのおろしハンバーグとベイクドポテトが脇役に見えます。

獅子唐って、たま〜にすんごく辛いのがあるのですが、こんなに大きくて辛かったら災難だよね〜と思っていたら、案の定、お友だちは一口食べたらお顔をしかめてギブアップでした(汗)。ああ、大当たりだわ☆☆☆

♪ カフェ〜

あんなに「お腹がいっぱい!」とのけぞっていたのに、別腹はいつでもスタンバイOK。眺めのいいカフェに移動して、スウィーツを♡

ボックス席があまりに心地よくって、そしてドリンクも飲み放題ときているので、ついついおうちリビング状態で長居してしまいました。

なにげないお喋りでも、ひとりで思いめぐらしているよりも気づきの相乗効果は大です。そして、このところのお仕事の疲れもきれいサッパリ☆ 充実の午後でした。

メロンのショートケーキ、おいしかったです ♪

 

 

 

気づきの日記「私の使命ってなんですか?」

 

誰でも一度はこんな疑問をもったことがあるかもしれません。

「今回の人生で、私は何をするために生まれてきたのだろう?」「私の使命を知りたい」・・・

私も若かりし頃、そんなことに興味をもったことがありました。

そこで、その当時たびたび来日していた外国人チャネラーさんのセッションを予約し、リーディングなるものをしてもらったのです。

そこでまず言われたことは、「あなたの一つまえの前世は、インドのマハラジャでした。あなたの乗っていた輿がまだここに見えています」と。

『え、マハラジャ? どっかにあったディスコの名前じゃないの?(当時のディスコは、いまでいうクラブのようなものです)』。それぐらいの考えしか浮かばなかったのですが・・・ 私は海外をあちこち歩きまわっているわりには、インドだけはなぜか足を踏み入れたいと思わない国でした。もしや、よからぬ過去があるのでしょうかっ?!(汗)

そしてさらに、「今回のあなたの人生は、あなたのカルマを清算することです」ともつけ加えられました。

『清算・・・ですと!?』それを聞いてちょっとガッカリ。なぜなら、もっとキラキラしたお役目と将来展望を期待していたからです。それにしてはこのお答え、あまりに地味すぎやしませんか?と思ったものです。

今、このチャネラーさんの言葉をあらためて思い返してみると、「おお〜〜☆まさしくそうだよね!」という、深い納得を感じることができます。

今の私なら、ここに生まれてきた人すべてにとってするべきことは「それしかない!」と同意することができます。そして、私も誰かに答える立場であるのなら、まったく同じことを伝えることでしょう。

もしも、「あなたは、○○で成功して有名になるために生まれてきました」とか、「お金もちになって、なんでもアリの人生を生きるために生まれてきました」と言われたとしたら、それを聞いた人は喜ぶかもしれませんが、それはなんの意味もない回答なのです。

この人生を通して誰もが、あるときには上り調子になり、またあるときには下り調子になり、絶好調とドン底が入りまじり、バランスをとっています。また、ある面では運がよくても、別の事柄に関してはまったくうまくいかないかもしれません。

人は人生のある一点についてしか話さなかったり、目を向けなかったりするため、全体を通して見たときに喜びと苦しみが入り混じって繰り返されていることに気がつきません。

また、今回の人生であまり裕福でなければ次の人生で無条件に豊かさに恵まれるかもしれないし、前回の人生で短命であれば、今回の人生は長生きかもしれません。

それはコインの表と裏を繰り返しているだけにすぎません。今でなければ、いつかであり、今回の人生でなければ別の人生で ・・・ というように、バランスをとっているにすぎないのです。

私たちの真の目的は、そんな人生の、そして輪廻のシーゾーゲームを延々とつづけることではなく、そのようなシステムから解放されることです。

上がったり下がったり、喜んだり悲しんだり、豊かになったり貧しくなったりの繰り返しを脱して、変わることのない安らぎを感じたり、平和を感じたり、愛や豊かさを受け取ったりと、そのような自分になることもできるのだということに気づいて、それを達成しようとすることこそに意義があります。

そして、そんな状態を成し遂げるためには、カルマのシーソーゲームから降りることです。それは、上がったり下ったり、与えられたり奪われたりをつくりだしている原因をねこそぎ片づける必要があるのです。

若かりし日にあのチャネラーさんに言われて、私が肩透かしをくらったように感じたひとことである「カルマの清算」こそが、じつはすべての人にとって変わることのない幸せや安らぎのなかに生きるためには欠かせない究極の使命であったわけです。

それこそが、表になったり裏になったり(喜んだり悲しんだり)、パタパタと忙しく変わる現実を終わりにし、安定した愛と安らぎのなかに自分を確立してくれるのです。

誰にとっても日々すべきこととは、まさにこの乱高下を繰り返すカルマ劇場をひとつひとつ閉じてゆくこと。これ以上、同じような原因と結果をめぐらせないように終止符をうつこです。

そのためには、自分の日々の体験のなかに現れるさまざまな問題(それはプチなものから、メガ級のものまで)、それらをひとつひとつを「私自身が蒔いた種の結果」として認識し、受け入れてゆく姿勢をもつことです。

自分がそれを受けとめてゆくことで、こころのなかの葛藤や対立(あいつが悪い、世界が悪い、私は被害者だ!という思い)が鎮まり、こころが闘いから解放され、安らぎを取り戻すことがでます。

この自分の内側で感じる平和で安らかな状態こそが、自分が新たに目にする世界そのものの原因となってくれるのです。平和な世界は、安らかなこころからしか生まれないからです。

こころのなかですべてが受けとめられ、穏やかさを取り戻したとき、自分の目にする世界から不調和なものや抵抗を生み出すものが消えさってゆきます。そして、自分にとって平和で優しい世界を目にするようになります。

また、静かで平和なこころであるからこそ、高い自己からの導きを受けとめることができるようになります。そして、導きに従うことで、苦しみのない平らな道へと自然に軌道が修正されてゆくことでしょう。

 静かなこころを取り戻して導きとつながることができれば、それ自体がもう十分な幸せとなります。そうであれば、自分がここで何をしていようが、体験の形そのものはさほど重要ではなくなってきます。

それと同時に、そんな自分であるからこそ生きることができる新たな使命も高い自己が教えてくれるようになるのです。それを生きることは、かならずや大きな喜びにつながるものです。

あのときのチャネラーさんは正しかった!いちばん大切な答えを教えてくれていた! 、と今さらながら感じとることができます。

大切なことは、日々起きてくることに対して、カルマ的な視野をもってながめてみることです。そして、そのような繰り返しをもう終わりすることができることに気づくことです。

「ああ、もうこんなやった・やられたの世界はたくさん! それよりも、これを受け入れることで、このようなパターンを金輪際終わりにしてしまおう」、

そんなふうに出来事を受け入れて、カルマの外側の目線からそれを受けいれ、高い自己であるハイヤーセルフにすべてを渡して、ぐるぐる繰り返す因果をキッパリと終わりにしてもらいましょう。

そのことによって手に入る感覚は、怖れから解放された安堵感、これで大丈夫という信頼感、そしていつも守られ支えられているというあたたかな愛の感覚、さらにこの先の人生も自分らしく生きられるという希望があります。

特別ななにかがなくても、ごくふつうの日常でじゅうぶんに幸せ感に満たされていると感じることでしょう。

そして、その平和で満たされた感覚から、新たな現実が喜びストーリーとして目にうつるようになるのです。

 

 

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ホラー楽しい思い出話

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山梨のお友だちからお家で作っていらっしゃる桃が届きました。

大きくって、真っ赤っか。

「あのとき」以来、毎年夏になると送ってくださるのです。

「あのとき」・・・とは、私とお友だち共通の人生最恐のホラー体験。

それは、かれこれ7〜8年まえのこと。

急にものが見えづらくなり、眼科の手術を受けなければならないことになったのです。それは、眼球の中身をカラッポにしたうえで、網膜のうえにかかってしまった膜を除去する手術で、そりゃあもうホラーそのものでした。

なぜなら、局所麻酔なので眼球に差しこまれる器具が網膜に影絵のように大写しになるのです。スクリーンいっぱいにフォークのようなものが映し出されている状態で、膜をクルクル巻きとる作業をしているのが丸見えです。

緊張気味のインターンの先生に「もっと左の方だよ〜」とか「まだ、残っているよ〜(汗)」とこころのなかでつっこみを入れておりました。

その器具たちが動き回る様子が、なぜかスターウォーズの戦闘シーンのように見えたものです。

手術室にはなにやら楽しげな音楽がしじゅう流れてはいたのですが、このときほど明るさが凍るほど不気味に感じたことはありません。

これがなんと4時間もかかり、最終的に病院から解放されるまでに一週間以上もかかってしまいました。

その間、身体を平らにできないので半分起きているような状態で眠ったり、また一日中点眼をしなければならなかったのです。

そんな恐怖の手術体験と入院生活をともにしたのがルームメイトだったそのお友だちでした。彼女もまったく同じ手術で、術後はうつぶせでしか寝られなかったのでもっと大変なご様子。

お互いお風呂はおろか、一週間も顔を洗えないので「もうカピカピだわね〜」なんて笑いながら、そんな日々を励まし合って過ごしたのでした。

もうあれからずいぶん経つのに家族のような親しさが感じられます。

桃のお礼でお電話をしたら、いつものごとく「あれは大変な体験だったけれど、でも毎日が楽しかったわね〜!」なんて、ホラー楽しい思い出話に花が咲くのです。

 

 

 

盆踊りミーティング♪

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きょうは朝からミーティングの一日♪ ・・・ですが、

Sちゃんが朝食として沖縄の焼きそばとチャンプルをたくさん差し入れてくださったので、まずはみんなでそれをいただくことからスタートです  (^.^)

ひと働きして、お昼はサクッとスーパーで仕入れてくることに。それぞれのお好みをカゴに入れたら、こんな感じに。

江戸前寿司に大阪寿司、タコのお刺身に鴨の生ハム、スティックサラダにフルーツ、そしておちゃけ。こりゃ、完全に宴会メニューです。

床に車座になって、例のごとくジャンケンで好きな握りをゲットする争奪戦の行事を。

「きょうの海老はアタマがついていて、見た目もソフトでと〜っても美味しそうね〜」って ・・・ 本気で言っているのか、たんにひっかけなのか?(自分のお目当てが取られてしまわないように、たくみな心理戦となります・笑)。

お食事中、夏らしいBGMを・・・と盆踊りの音楽をかけていたら、お祭り気分が盛りあがって食後は座ったまま盆踊り大会に。

YouTube の踊り方の解説を見ながら、「ひとつひとつの所作を丁寧にすることが大切だよね」「手の動きを流さないで、ピタッと止めるとカッコよく見える」「首の傾き、目線も重要」などなど、ちょっとばっかり研究モードに入りながら(笑)、東京音頭やら炭坑節などフルに三曲踊ったら、もうヘトヘト。盆踊りってこんなにヘビーでしたっけ?!

本日は、お仕事よりも盆踊りで汗をかいたミーティングとなりました。

PS 足さばきがいまいちわからなかったので、リアル盆踊りで踊ってみなくちゃ!です(笑)

 

シックな名画グッズ

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昨今、名画がプリントされたグッズがいろいろ手に入るようになりました。以前は、美術館のショップにいくつかあるぐらいでしたものね。

お友だちから届いた、素敵な名画グッズ☆

コローの「真珠の女」がプリントされたトートバッグです♡

シックな色合いで、どこにでも持っていけそう。たくさん使わせていただきます〜。

♡ ♡ ♡

「どこへでもご一緒して、たくさんお出かけをするのですね?!」・・・と真珠の女さん。

「それでは、失礼して・・・」と、

すかさずマスクをかけられました〜(笑)

お出かけ準備万端ですねっ!

ふたたび感染数、ふえてきていますものね! 予防は大切  ^ - ^

Mちゃん、いつも素敵なお見立て、ありがとうございます♡

 

 

 

お茶の間シネマトーク「夏へのトンネル、さよならの出口」

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先週、カフェでお喋りをしていたとき、「異次元につながる鳥居」についての話題でもりあがっていたのです(いったいど〜ゆ〜話題?!笑)。

そうしたら、数日まえにテレビで「最強にヤバいスポット」として、いわくつきのトンネルや鳥居が紹介されていました。

そしてさらに昨日は、不思議なトンネルと鳥居についてのアニメ「夏へのトンネル、さよならの出口」を見つけてしまい、この流れでさっそく観てしまいました。

高校生たちが噂するのは、なんでも欲しいものが手に入るというウラシマトンネル。

ひょんなことから、そのウラシマトンネルらしき洞窟を見つけてしまった塔野カオルくん。たまたま口をきくようになったクラスメイトの花城あんずとふたりで、欲しいものを手にするためにそのトンネルに挑みます。

しかし、そのトンネルは時空が歪んでいるようで、たった10秒入っているだけで出てきたときには6時間半も時間が流れているのです。

二人は三連休を費やして、108秒のトンネル探索に挑みます。しかし、欲しいものを手にするためには、トンネルのずっと奥にある鳥居にまで行きつかなければならないのです・・・。(→予告をみる

海と山が臨める愛媛(らしいです)の小さな村が舞台です。

梅雨の雨降りの景色にはじまって、夏のうっそうとした緑、入道雲、向日葵畑、夏祭り・・・画面を観ているだけで田舎のむせるような草の匂いが感じられます。そして、季節は移りかわり、青い空と一面の鮮やかな紅葉・・・どの場面もとても美しいです。

お話もおもしろいのですが、私はカオルくんの声にとても惹きつけられました。静かで包みこむような穏やかなトーンで、アニメの声優さんの作りこんだセリフの言い回しとは違って、とても自然な感じがしたのです。

そうしたら、私の直後に鑑賞したお友だちも、感想メールのなかでカオルくんの声についてコメントされていました。やっぱり☆

調べてみたら、やはりプロの声優さんではなく俳優さんが演じていらっしゃいました。

鈴鹿央士さん。あ、この方!!とすぐに思い出しました。

以前、「蜜蜂と遠雷」というピアノコンクールをテーマにした映画を観たとき、「巨匠のお墨つきのナゾの天才少年」としてちょっと不思議ちゃんな雰囲気の少年がいて、その子が登場する四人のピアニストさんのなかでいちばん気になったのでした。

あどけないピュアな雰囲気と、一本芯がとおったゆるぎない存在感。この俳優さんて・・・とこころに残ったのが、鈴鹿さんでした。(→「蜜蜂と遠雷」についてのブログ

「蜜蜂・・・」の演技も、このアニメのカオルくんも、とてもふつうに見えて、なにかこころに染みいってくるものを感じます。

そして、このアニメ全体が、どこか懐かしく、こころが昔の一場面にもどってゆくような(あ、こころがトンネルに入って遡ってる?)そんな感じのする作品でした。

この一週間のトンネルと鳥居の流れは、ここで終わりなのかしらん?! まだある??

 

 

気づきの日記「思いどおりこそが幸せ??」

 

私たちは日々、「ああしたい」「こうしたい」「こうなったらいいな〜」「これが欲しい」・・・と、さまざまなものを欲することが日常になっています。

まさに、欲することが「生きること」、思いどおりになることこそが幸せだと信じているからです。

そして、ときには神さまに「どうか私の想いを叶えてください」と」お願いするのですが、

実のところ、それは「お願い」というより、もはや「指図」に近いものになってしまっています。

「ああして下さい」「こうして下さい」「あれはイヤです」「こうなるべきです」と・・・すべてにおいて自分の思いどおりになることが前提で、それはお願いというよりは自分こそがすべてを仕切っていて好きなようにできる、「神」という存在になりかわってしまっているようです。

私たちが日々、生きるために受け取っているすべての贈りものの出所は、宇宙・神そのものです。

その無限の存在の愛から、それは太陽の光や自然の恵みのごとく、私たちにふんだんに与えられています。幸せに必要なすべてがしっかりとやってきているのです。

しかし、それを丸々受け取るか、それともそのままスルーしてしまうのかは私たちしだいです。

何かが不足していると感じるときには、そもそも足りないというよりは、私たちが受け取りを拒否している可能性があります。

私たちが自分の思いこそが正しいと信じて、それをなにがなんでもとうそうとするとき、私たちはもう自分の思いを叶えることしか眼中になく、天からやってきている豊かさのすべてを締め出してしまっているのかもしれません。

自分の思いを叶えるために、宇宙・神に指図をすることは、私たち自身が神という存在になりかわってしまっているようです。

しかし、宇宙・神から与えられるすべては、私たちが一歩さがって道を空けているときにこそ受け取れるものなのです。

「自分に頼る」ということは、「私には供給源などいりません、好きにさせて下さい」と言っているのと同じなのです。

私たちが自分勝手に思いを叶えようとしはじめたとき、いったいどちらが神なのかわからなくなってしまいます。まさに、「神なんていらない!自分が好き放題生きることこそが大切!」と宣言しているようなものです。

たとえ、私たちが自分に頼り切って宇宙・神を無視したとしても、しょせん生存するためのすべては源である宇宙・神からしかやってくることはありません。頼るべきところは、そこだけなのです。

いくらその存在を忘れさろうとしても、源なくしては私たちはいっぺんに消え去ってしまうほど、その源に存在を依存し生かされているのです。

「勝手に好きなようにします!」と自分の思いに執着することは、こころからその源を締め出そうとしている行為であり、そうすることで徐々に私たちの目にする世界や自分自身に不具合が生じたり、枯渇してゆくことに気づくことになります。

なぜなら、自分の生存に必要な光の供給を自ら遮断してしまっているからなのです。

私たちは叶えたい何かがあるとき、ついつい自分でどうにかしよう、自分の思い通りにしようとやっきになってしまいがちですが、

まずは「すべての供給源に安心しておまかせする」ということをしてみましょう。

「そんなのコワイです。なにか自分にとって不都合なことをさせられるかもしれません」という怖れと不信を感じるのであれば、それはおそらく自分こそがこっそりと人に対して不都合なことを強いてしまっているから、そう感じるのかもしれません。

すべてである宇宙・神に頼ることは、小さな自分に頼ることよりも幸せへの近道であり、自分の想像や思いをはるかに越えて無条件に完全な受け取ることができる、ということを学ぶよい機会にすることができます。

「私はこのことについて、どうしても⚪︎⚪︎になってほしいと望んでいます。けれども、あなたは私のほんとうの幸せが何かを理解し、私を含めてすべての人に満足な結果を与えてくださいます。だから、私はこの思いのすべてを私の手から放して、あなたに委ねます。どうか、みこころのままに」

「みこころのままに♡」と、ほんとうに丸ごと宇宙・神に委ねてしまうときに、何が起こるか?!・・・どうぞ見ていてください。きっと、えっ?!という嬉しい驚きを感じることになります  ( ◠‿◠ )

たいていの場合は、「ナント?!そんな手があったの?」「そうくる?」という自分の想像をこえるイレギュラーな経路から満足できる結果が運ばれてきて、それを見て喜ぶことになります。

そして、委ねるたびに「今度はどんなことが起こるのだろう?!」と、その結末についてのサプライズを楽しみにするようになります。そうなると、どんどん信頼できるようになり、さらに大きく受け取ることができるようになります。

自分が神になって君臨しようとするよりも、さっさと退いて、安らかな気持ちでなりゆきを見守ってみましょう。

 

 

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